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日本の映画 ウィキペディアから
『緯度0大作戦』(いどゼロだいさくせん)は1969年7月26日に公開された日本とアメリカ合衆国合作の特撮映画[23]。カラー、シネマスコープ[出典 8]。
米国のドン・シャープ・エンタープライズ・プロダクションと東宝の日米合作によるSF大作映画[出典 9]。ストーリーは『海底二万里』を現代的にアレンジしたような冒険ファンタジーとなっている[21]。
海中航行における海流の利用についての調査中、海底火山の噴火により母船と切断されて浮上できなくなった海洋調査船「ふじ」の潜水球のクルーが、その噴火を観測に来ていた謎の潜水艦アルファー号に救助された[出典 10]。アルファー号は地上の文明よりも進んだ技術水準で造られた潜水艦で、海洋学者の田代健と新聞記者のペリー・ロートンはアン・バートン医師の治療で一命を取り留める。しかし、ジュール・マッソン博士はアルファー号の設備では治療できないほどの重傷を負っており、田代とペリーはクレイグ・マッケンジー艦長に頼み、マッソンを治療するため根拠地の緯度0基地に向かう[14][28]。その途中、アルファー号はマッケンジーの旧友マリク博士の部下「黒い蛾」の指揮する黒鮫号に襲われるが、マッケンジーは黒鮫号の攻撃を交わして緯度0基地に逃げ込む[13][28]。
赤道と日付変更線の交差地点、海底2万メートルにある緯度0基地は、人工太陽をはじめとする高度な技術文明と豊富な金やダイヤモンドなどの資源を持ち、世界各国から研究目的で高名な科学者たちが「事故死」「亡命」を装って滞在していた。マッソンはアンと姿博士の治療で回復し[13]、田代やペリーと合流してマッケンジーから歓迎される。一方、マッケンジーの排除を目論むマリクは、黒い蛾に命じて緯度0基地に向かっているノーベル賞受賞の岡田正五郎博士とその娘・鶴子を拉致させる[出典 10]。マリクは岡田が発明した放射能に対する免疫情報を聞き出そうとするが、岡田は事前に渡されていた送信機を使いマッケンジーに助けを求める[28]。マッケンジーは志願した田代たちと共にアルファー号に乗り込み、マリクの根拠地ブラッドロック島に向かう[13]。
田代たちは岡田父娘を捜索するが、島にはマリクの手で改造されたコウモリ人間や大ネズミが待ち構えていた[28]。彼らはマリクの研究室に乗り込み岡田父娘を助け出すが、マリクには逃げられてしまう[14][28]。田代たちはアルファー号で脱出を図るが、マリクが乗り込んだ黒鮫号で攻撃を仕掛けてくる[28]。アルファー号は磁場で自由を奪われ岸壁に追い詰められるが[14]、マッケンジーはアルファー号に搭載した飛行能力を使い脱出に成功し、アルファー号の攻撃に夢中になっていた黒鮫号は逆に磁場にかかり動けなくなり、黒い蛾の脳が移植された怪獣グリホンに襲われ、崖の崩落に巻き込まれて爆発する[出典 10]。ブラッド・ロック島も大爆発を起こして崩壊した。
緯度0基地に帰還した田代たちだったが、マッソンはアンと、田代は鶴子とそれぞれ恋仲になり緯度0基地への残留を決め、ペリーだけが地上に戻り[14][28]、宇宙船回収に向かっていた護衛艦に救助される。護衛艦の艦長は田代に瓜二つでペリーは緯度0基地のことを伝えるが、誰も信用せず病人扱いされてしまう。そこに、マッケンジーやマリクに瓜二つの将校が現れペリーは驚愕する。ペリーは証拠として緯度0基地で撮影した写真を見せようとするが、現像したものには何も映っておらず[14]、土産として持ち帰ったダイヤモンドも土に変わっていた。落胆しつつ医務室に向かうペリー。そして、ペリー宛に送り主不明のダイヤモンドがNY銀行に預けられたという電報と共に、司令部より届いた命令に基づき艦長は「緯度0」に向けて艦の針路を取るのであった。
マリクがライオンのボディにハゲタカ(コンドル[60][61])の翼を合成し、黒い蛾の脳を移植して脚の先に鉄の爪をつけた怪物[出典 33]。巨大化血清により短時間で30メートルに成長したが[38]、黒い蛾の脳を移植したために彼女の意思によってマリクの命令を無視し、一貫して沈黙し続けていた。その後、マリクらが乗る黒鮫号が島の磁力で逃げられないままアルファー号を撃ち落とそうとしている最中に黒鮫号を襲撃し[63]、マリクが誤って崖にレーザー砲を撃ったことで起きた崖崩れに黒鮫号ごと巻き込まれ、その爆発に消える。
マリクが血清で巨大化させたコウモリに人間の脳を移植させて造り上げた5体の合成体[出典 41]。長時間の飛行が可能[63]。マリクの手先として鶴子を攫ったり[63]、改造手術の助手を担当したりするほか、マッケンジーらと飛び回りながら格闘する。性格は凶暴だが、マリクには忠実である[61]。
マリクが飼育する、その名の通り巨大化血清で巨大化したネズミ[38][63][注釈 30]。ブラッド・ロック島を護衛する[63]。20センチメートルある牙を武器とする[61]。大食いで人間を30秒で骨だけにしてしまう獰猛な性格[61][63]。劇中では5体登場[38][63]。1体は火炎放射で丸焼きになり、残る4頭はマッケンジーらを追跡しようとして溶解沼に飛び込み、そのまま溶解してしまう。
本作品の起源は、1940年代にNBCラジオで放送された、テッド・シャードマン原作の"Tales of Latitude Zero"(緯度0の物語)である[出典 51]。シャードマンは1960年代から、"Tales of Latitude Zero"の映画化を試み、企画をドン=シャーププロに持ち込んで、1967年に東宝の重役であった藤本真澄が渡米した際、日米合作企画として持ちかけたことで実現した[25][28]。当時のアメリカ映画界は制作費の安い日本との合作を、予算調達に行き詰った邦画界は日米合作による低迷打開を、それぞれ模索していた時期であった[24]。なお、当初のドン=シャーププロはアンバサダープロと名乗っており[25]、初期脚本にはそちらの記名がある。
東宝では1966年にSFメカニック映画『空飛ぶ戦艦』が企画検討されたが、本作品がそれに替わった。『空飛ぶ戦艦』は円谷プロの『マイティジャック』として蘇ることとなる。70ミリパナビジョンを導入する案もあったが、予算の都合から実現しなかった[28]。
なお、円谷英二特技監督と本多猪四郎監督のコンビは本作品が最後となった。
音楽は伊福部昭が担当した[75]。伊福部は、劇中での緯度0の人物の衣裳からエリザベス朝をイメージし、チェンバロを用いている[75]。
外国人キャストには、ハリウッドの一流俳優が起用された[21][18]。本作品には出演していないが、ハリウッドでの活動経験もある俳優のヘンリー大川が通訳を務めた[12][28]。
日本人キャストでは、「英語を話せる俳優」を中心に人選がなされ、宝田明、岡田眞澄、平田昭彦ら英語力の優れた映画俳優が起用されたほか[23]、元宝塚歌劇団の男役でミュージカルなどの舞台で活躍していた黒木ひかるが「黒い蛾」を演じた[12]。また、当初の岡田博士役には佐々木孝丸が予定されていたが体調不良で降板し、日系カナダ人の中村哲に交代した。台詞はすべて英語で撮影され、日本語版はアフレコで日本語に吹き替えられている。
宝田は、後年本作品を印象に残る作品の1つに挙げており、コットンらハリウッドの名優の芝居を間近で見られたのが有意義であったと述べている[76]。
撮影は、カットごとに細かく撮影する日本式ではなく、全景で1シーン撮影した後、同じシーンをアップでも撮るというハリウッド方式で行われた[21][12]。これにより、ドラマの流れを中断せず演技できることから俳優には好評であったが、フィルムの使用量や撮影時間は大幅に増えることとなった[21]。
セリフは全編英語で収録され、105分の「英語版」として完成した後、編集と吹き替えにより89分の「日本語版」が制作され、日本国内で公開された[42]。アメリカでは、「英語版」を編集した「米国版」が公開された[42]。
特殊撮影は、海上や海中のシーンが多いため砧撮影所のオープンプールで撮影された[42]。ラストのブラッドロック島が大爆発を起こす俯瞰シーンは、オープンプールの周りにレールを敷き、高さ6メートルの足場を組んで撮影した[42]。あまりの爆発の大きさに、事前に消防署に連絡していたにもかかわらず消防車が撮影所に駆け付けたという[出典 52]。
水中の爆発にはフロン12を直接噴射する方法を用いている[52]。冒頭の火山噴火シーンは、水槽に絵の具を落として表現しており、カメラを逆さにして撮影している[33][11]。
潜水球を遊泳中のバートンと甲保が見つけるシーンには、縦横10メートル・水深9メートルの専用プールが制作された[42]。冬の真っただ中である1969年1月17日に撮影されたが、ボイラーを用いて水温を39.5度まで上げて撮影された。2時間近く熱湯の中にいたため、撮影スタッフはのぼせてしまった[53]。
公開の数か月後、『コント55号 宇宙大冒険』には本作品の映像が特撮シーンとして一部使用された。特撮テレビドラマ『愛の戦士レインボーマン』でもアルファー号や黒鮫号のカットが流用されている[78]。
当初、アメリカ側のキャストの諸費用はアンバサダー(ドン=シャープ)、日本側のキャストおよびスタッフは東宝、製作費(公称3億6,000万円[出典 7]、実質2億8,900万円[25][24])は折半として契約がまとまり、『海底大戦争 -緯度ゼロ-』の仮題で製作発表された[25]。撮影が始まって2週間後には、ドン=シャープ側の資金調達が困難となり、最終的にドン=シャーププロが倒産してしまった[79] ため、撮影が一時中断された[25][28]。ドン=シャープ側が支払うべきギャランティーと製作費をすべて東宝が負担することで撮影を再開し、完成させることになった[出典 53]。製作費の大部分はアメリカ側キャストのギャラ[注釈 33]であり、1969年(昭和44年)製作の東宝映画では、この作品の直後に公開された戦争大作『日本海大海戦』の予算を大幅に超える結果となった。最終的に東宝が自社資金で制作したことから、日本国内では東宝単独での製作・配給として公開された[25]。
当初、本格日米合作SF超大作として宣伝されたが、実際の公開に際してはテレビアニメ『巨人の星』の劇場版が併映となり、興行成績は芳しくなかった[4][24][注釈 34]。テレビに押されて日本映画界の斜陽が加速していた当時、前述の莫大な製作費をすべて肩代わりしたのに興行成績を挙げられなかったという結果は重く、以降の東宝に日米合作映画の製作は行わないという結論をもたらした[79][24]。また、本作品の結果を受け、前年の『怪獣総進撃』で終了するはずであった怪獣路線が再開されることとなった[出典 54]。
その後、1970年12月にアメリカで公開されたのを皮切りに日本国外で順次公開され、製作費の回収を達成した[25]。
海外では、原作に基づいた "Latitude Zero" のほか、『海底軍艦』の英題に基づいて『Atragon II』の題名でも公開されている。同様に、ドイツでは『U4000』という題名になっている。
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本作品は戦前のラジオドラマをベースにしたほか、内容検討の際にドン=シャープ側が用意したスケッチを元にしており、従来の東宝特撮作品にないアメコミ的カラーを含んでいる。また、台本が決定するまでの改稿は4稿におよび、相当の改変を経て完成作品となった。
主な変更点は
などであるが、最大の変更点は、難解と評されるエンディングであった。
当初、ペリーが救出されたのは50年後という設定で、最後にマッケンジー本人がペリーに「緯度0の1日は地上の50年に相当する」と説明し、緯度0住民の長寿の理由とされていた。
その後、完成作品と同様な日本版エンディングと、別のアメリカ版エンディングの製作が検討された[31]。ペリー救出後、彼は新聞記者の前で緯度0の写真をスライドで紹介しようとするが、何も写っていない。呆れた記者たちが去った後にはマッケンジー艦長だけが残り、スライドを再び映すと緯度ゼロの風景が写っていた、というもの。
これらは緯度0の物語が夢であったか現実であったかを漠然とさせ、観客を混乱させる意図によるものであったが、より観客にインパクトを与えるため、田代博士やマリクの瓜二つまで登場する完成作品に落ち着いたと思われる。監督の意図では、「緯度0はパラレルワールド」だそうである。
このほか、予告編では黒鮫号のレーザーが赤になっているが、本編では青に変更されている。
1974年(昭和49年)12月14日には「東宝チャンピオンまつり」で『海底大戦争 緯度0大作戦』(かいていだいせんそう いどゼロだいさくせん)と改題してリバイバル公開された[82]。上映時間は68分[82]。
主に、以下の変更がなされている。
本作品はドン=シャープ・プロが倒産したため、映像の二次利用に関する権利が曖昧となった[79]。そのため、長らく映像ソフト化されなかった[2][83]。東宝特撮封印作品のドラマCD販売会社グリフォンから『ノストラダムスの大予言』と『獣人雪男』のドラマCDの広告では下部で本作品と『火の鳥』のドラマCDの発売が予告されていたが[84]、実現にはならなかった。
その後、2006年(平成18年)に契約が失効したため、東宝が作品の債権者と再契約を行い[79]、同年DVDとして初ソフト化された[83]。
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