清川虹子
日本の喜劇女優(1912-2002) ウィキペディアから
日本の喜劇女優(1912-2002) ウィキペディアから
清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年〈大正元年〉11月24日 - 2002年〈平成14年〉5月24日)は、日本の女優。本名:関口 はな[1]。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身[2]。淡路尋常小學校卒業、神田高等女學校中退。
1924年、東京府東京市神田区の尋常小學校を卒業。神田高等女學校を中退。1928年、川上貞奴主宰の児童劇団へ入団し[1]、貞奴最後の弟子となる[3]。1929年、市民座へ入り、座員の中条金之助と結婚(1男を儲けるが、のちに離婚)。同年、山村聡主宰の新劇へ移籍。1933年、笑の王国に参加[1]。1934年、東宝製作の『只野凡児・人生勉強』でスクリーンデビュー。1942年、東宝社長の大沢善夫の弟である大沢清治と結婚して芸能界を引退したが、1947年に夫と死別。
その後、芸能界に復帰し、『サザエさん』シリーズに磯野フネ(舟)役でレギュラー出演した。1949年、新東宝などの喜劇作品で多数共演した伴淳三郎と結婚したが[1]、伴のあまりの女癖の悪さが原因で1959年に離婚(但し、交流は伴の死まで続いた)。1960年代後半からは藤純子主演の『緋牡丹博徒シリーズ』、若山富三郎主演の『極道シリーズ』などに助演し、東映の仁侠映画を支えた。1983年、『楢山節考』に出演し[4]、70歳にして初ヌードを披露した[4]。榎本健一や伴らと並ぶ喜劇役者として大成し、喜劇女優の代表格とされた。
1989年、友部達夫の年金党に参加。第15回参議院議員通常選挙比例代表に出馬したものの落選(選挙運動での桃太郎のコスプレが話題となったほか、オレンジ共済組合事件発覚時は「騙された!」と号泣していた)。1990年勲四等瑞宝章を受章[4][5]。
1998年頃から体調を崩して入退院を繰り返していた。2002年5月24日午前3時37分、肺出血のため神奈川県川崎市高津区の病院で死去[4]。満89歳没(享年91)。
『サザエさん』シリーズで共演していた歌手・女優の江利チエミとは公私にわたり親交があり、芸能界デビュー前に実母を亡くしていたチエミからは「お母さん」と呼ばれて実母のように慕われていた。だが、1982年2月にチエミが45歳の若さで急病死し、清川は大きなショックを受けたようで「チーちゃん(チエミの愛称)、ウソでしょう…」と泣き崩れていた。
他多数
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.