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山形県(出羽国・羽前国)の郡 ウィキペディアから
最上郡(もがみぐん)は、山形県(出羽国・羽前国)の郡。8世紀の初めには裳上郡とも書き、陸奥国に属した。
人口32,382人、面積1,580.38km²、人口密度20.5人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の4町3村を含む。
古代の郡域は現在の村山地方(山形地域)と最上地方で、中世に村山郡と分割されて以降の郡域は、東村山郡・山形市・天童市および西村山郡朝日町、上山市の大部分(中山を除く)、西置賜郡白鷹町の一部(針生)にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
はじめ陸奥国に属して裳上郡とも書き[1]、後の村山郡の区域にもわたっていた。『続日本紀』には和銅5年(712年)の10月1日に置賜郡とともに出羽国に割譲されたとあり、これが最上郡の文献初見でもある[2]。しかし霊亀2年(716年)9月23日の箇所にはふたたび陸奥国の置賜郡・最上郡として現われ、中納言の巨勢万呂(巨勢麻呂)の進言で出羽国に移管されたとある[3]。天平9年(737年)の陸奥・出羽間道路開削作戦のときには確実に出羽国になっていた[4]。
仁和2年11月11日(886年12月10日)に2郡に分割された[5]。これを記す『日本三代実録』に分割後の郡名は記されないが、北が村山郡、南が最上郡となったようである。
太閤検地のころ、南北2郡の名称入れ替えとともに再編が行われ、旧最上郡が村山郡に、旧村山郡の北部が最上郡、旧村山郡の南部が村山郡となった。
正保日本図が作成されたころ、郡境が確定されたといわれている。なお、元治元年(1864年)の『最上名所名産名物番付』に現在の最上地方・村山地方の産物が含まれることから、名称としての「最上」は江戸時代を通じて両地方を指したとみられる。
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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真室川村 | 真室川村 | 昭和25年4月1日 町制 |
昭和31年9月30日 真室川町 |
真室川町 | 真室川町 | |
安楽城村 | 安楽城村 | 安楽城村 | ||||
及位村 | 及位村 | 及位村 | ||||
鮭川村 | 鮭川村 | 昭和29年12月1日 鮭川村 |
鮭川村 | 鮭川村 | 鮭川村 | |
豊里村 | 豊里村 | |||||
明治25年7月8日 豊田村 | ||||||
金山村 | 大正14年1月1日 町制 |
金山町 | 金山町 | 金山町 | 金山町 | |
新庄町 | 新庄町 | 昭和24年4月1日 市制 |
新庄市 | 新庄市 | 新庄市 | |
稲舟村 | 稲舟村 | 昭和23年12月1日 新庄町に編入 | ||||
萩野村 | 萩野村 | 萩野村 | 昭和30年4月1日 新庄市に編入 | |||
八向村 | 八向村 | 八向村 | 昭和31年9月30日 新庄市に編入 | |||
東小国村 | 東小国村 | 昭和29年9月1日 最上町 |
最上町 | 最上町 | 最上町 | |
西小国村 | 西小国村 | |||||
舟形村 | 舟形村 | 昭和29年12月1日 舟形町 |
舟形町 | 舟形町 | 舟形町 | |
明治23年11月15日 堀内村 | ||||||
大蔵村 | 大蔵村 | 大蔵村 | 大蔵村 | 大蔵村 | 大蔵村 | |
古口村 | 古口村 | 古口村 | 昭和30年4月1日 古口村 昭和30年5月1日 改称 戸沢村 |
戸沢村 | 戸沢村 | |
明治25年7月8日 角川村 |
角川村 | |||||
戸沢村 | 戸沢村 | 戸沢村 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
小鷹鋭健 | ||||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
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