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山形県最上郡の村 ウィキペディアから
村の西側は出羽山地、東側は新庄盆地で、村の中央を最上川が西進する。最上川に沿って、国道47号と陸羽西線が走っており、西に庄内町、東に新庄市がある。
戸沢村は、最上川とともにあった村であった。
戸沢村が最初に歴史に登場するのは、延喜式の兵部省「諸国駅伝馬条」である。多賀城から庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「佐藝(さぎ)駅 駅馬四疋、船十隻」の記述が出てくる。この駅亭は水駅と思われ、現在の津谷地内の最上川と鮭川の合流地点付近にあったと推定されている(現在の鮭川村真木新田とする説もある)。
古くから庄内地方と最上地方を結ぶ水運の要であったが、俳人松尾芭蕉が『板敷山』と称した、最上峡の厳しい地形にさえぎられ、道路の開削はできなかった。江戸時代には、現在の村の中心である古口集落に新庄藩の船番所が置かれ、舟の往来の監視を行っていた。明治時代に、難工事の末に「磐根街道」(現国道47号)と呼ばれる道路が開削され、大正時代に陸羽西線が開通し、舟運の歴史に幕を閉じた。現在は、川下りでは日本最大の規模である「最上川舟下り」を中心に、草薙温泉、道の駅とざわなどの観光業が中心の村である。
2024年(令和6年)7月26日、県内を襲った集中豪雨により最上川が氾濫。村役場のある古口地区などが広い範囲で浸水した[1]。
2015年の国勢調査では第1次産業従事者が357人(15.5%)、第2次産業837人(36.4%)、第3次産業1106人(48.1%)となっている。 2014年の市町村民経済計算では村内総生産額94億2000万円で第1次産業が15億5800万円(16.6%)、第2次産業20億3000万円(21.6%)、第3次産業57億4000万円(61.0%)、控除等(帰属利子等)が7800万円(0.8%)となっている。村民1人当たりの所得は163万5千円と県民所得(258万3千円)、国民所得(286万8千円)を大きく下回っている[3]。
村内人口の減少が深刻で、過去最大人口だったのは3村が合併前の1950年の11,454人で以降は一度も増加することなく減少し続けている。2017年3月31日時点の老齢人口割合(65歳以上)36.8%と全国平均よりも約10ポイント高い[5]。そのため、1986年以降農業の後継者対策として国際結婚を推進し、嫁不足問題解消のため、村を挙げて韓国からの花嫁としての来村を募った。そして日本人社会に馴染めるように戸沢村は日本語教室の開講をはじめ、村民との相互理解を図るための交流事業などを実施した[6]。1997年、国道47号沿いに韓国風に統一した『道の駅とざわモモカミの里 高麗館』が完成した。韓国からの花嫁が道の駅とざわにてキムチソフトクリームなどを提供している。しかし、2007年以降は外国人配偶者との離婚や外国人研修生の帰国などで外国人転出者が増加している[5]。
戸沢村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 戸沢村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 戸沢村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
戸沢村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
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