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石川県白山市を流れる川 ウィキペディアから
手取川(てどりがわ)は、石川県の主に白山市を流れて日本海へ注いでいる一級河川。石川の通称で呼ばれた時代もあり、石川郡及び石川県の由来となっている[1]。
石川県白山市南部の白峰地区の岐阜県境にそびえる白山に源を発し北流する。上流には手取川ダムがあり、中流域の鳥越地区及び吉野谷地区では河岸段丘を下刻して手取峡谷を形成している。鶴来市街地で流路を西へ変更し、山から金沢平野へ抜ける地点を扇頂とした扇状地を形成している。能美市及び能美郡川北町の境界を流れ、白山市美川地区で日本海に注いでいる。平均河床勾配1/27は日本有数の急流河川である。
倶利伽羅峠の戦いの後、平家軍を追う木曾義仲軍が篠原の戦いを前に、増水して濁流の川を渡るとき、多くの兵士が互いに手に手を取って流されないようにして渡ったことに由来する[3]。また、氾濫のたびに渡るのに手間取ったことに由来するとも言われる[4]。徳光パーキングエリアの南脇の大川、大慶寺川(現・大慶寺用水)など扇状地での流れも変わってきたが手取川と呼ばれる以前は「比楽河・ひらかがわ」とも呼ばれた[5][6][7]。河口の港は比楽湊、その後「本吉湊」と呼ばれ、室町時代には三津七湊の1つであった。
七ヶ用水(しちかようすい)は、手取川を水源とし、金沢平野の北側半分を潤す7つの用水の総称である[8]。疎水百選。
ほとんどは新たに用水を掘ったのではなく、何度も流れを変えた手取川のかつての川筋を元にして作られている。
2006年(平成18年)に疎水百選に選定[8]、2014年(平成26年)には国際かんがい排水委員会によるかんがい施設遺産に登録されている[8]。また、大水門および給水口が土木学会の土木遺産に登録されている。2023年(令和5年)9月25日には、大水門・取入口隧道・冨樫用水取水口水門が国の重要文化財に指定された[9][10]。
暴れ川として知られ、過去幾度となく洪水・氾濫を繰り返した。
1912年(大正元年)には、支流の甚之助谷が地すべり性崩壊を起こして荒廃。砂防事業による対策が進められた[11]。また1934年(昭和9年)7月11日[12]の災害は手取川最大の土砂災害が発生。前年の豪雪による残雪と豪雨の影響で水量が増加、上流の別当谷で大崩壊が発生し(別当崩れ)死者・行方不明者130人、家屋流失240戸、家屋浸水5,003戸の大災害となった[12]。白山麓の市ノ瀬集落はこの災害で壊滅した。2004年(平成16年)5月の災害では別当出合にある砂防新道の吊橋が流失した。国直轄の白山砂防事業として砂防堰/堤や砂防トンネル、地滑り対策が実施され、白山砂防科学館が設置されている。
手取川扇状地上の集落は洪水を避けるため自然堤防の微高地に立地しており、島集落と呼ばれる景観を形成している。
白峰地区白峰集落(旧牛首)の上流、石川県道33号白山公園線沿いの河床にある高さ16mの大岩。1934年(昭和9年)の大洪水の時に支流の宮谷川から流出した。大災害の様子を後世に伝える資料であり、県指定天然記念物に指定されているとともに日本の地質百選にも選定されている。
1980年(昭和55年)に建設された手取川ダムは上水道、工業用水、電力、治水に利用される。上水道は、石川県の七尾市以南に広く供給されている。また、農業用水も各地から取水される。
上流より示す。
1911年(明治44年)に金沢電気瓦斯(現在の金沢市企業局の前身)が福岡に発電所を建設したのが手取川水系の水力発電の第1号である(現在の北陸電力福岡第一発電所)。現在は水系に22(電源開発:1、北陸電力:21)の発電所がある。
河口では毎年秋にサケが遡上する[18]。有効利用調査の対象河川として、事前申込制で期間内にサケの遊漁ができる(手取川サーモンフィッシング)[18][19]。
※発表順
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