平井康三郎
日本の作曲家 ウィキペディアから
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平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年(明治43年)9月10日 - 2002年(平成14年)11月30日)は、日本の作曲家。本名、平井保喜(ひらい やすき)。
高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った[2]。伊野小学校から、1923年(大正12年)に旧制土佐中学校(現:土佐中学校・高等学校)入学。土佐中学校在学中に当時の校長:三根円次郎(ディック・ミネの父)が生徒向けに用意していた蓄音機で音楽を聴き、独学でヴァイオリンを練習したことがNHKのラジオ番組で息子の平井丈一朗によって語られた。1929年(昭和4年)に東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学し、ローベルト・ポラックに師事して1934年(昭和9年)に卒業。同校研究科作曲部でクラウス・プリングスハイムに作曲と指揮法を師事して1936年(昭和11年)に修了した[1]。
1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)の期間、東京音楽学校で教鞭を取る傍ら、作曲活動を行い、「平城山」や「スキー」などを作曲した。その後は、文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂等に携わる。また、NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授等を歴任。
1965年(昭和40年)、「詩と音楽の会」を結成。日本の新しい歌曲、合唱曲集の創作活動を行う。作品は、器楽、声楽(洋楽・邦楽)と広範囲にわたる。小学校や中学校の校歌も数多く手がけた。
1973年(昭和48年)、紫綬褒章受章。1982年(昭和57年)、勲四等旭日小綬章受章。1983年(昭和58年)、伊野町名誉町民。1992年(平成4年)、よんでん芸術文化賞、毎日出版文化賞を受賞。
妻は、東京音楽学校で共に学び、桐朋学園大学ヴァイオリン科名誉教授を務めた平井友美子(疋田小枝)。息子に、チェリストの平井丈一朗、東京芸術大学名誉教授でピアニスト・音楽芸術博士の平井丈二郎(皇后雅子様のピアノの師)。孫に、指揮者・作曲家の平井秀明、ピアニスト平井元喜、平井丈二郎の長女でピアニスト・ソプラノ・音楽博士の平井李枝(内閣府国家戦略室選出「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」)、平井丈二郎の長男でピアニスト・音楽博士の平井裕也。
本名名義で発表された楽曲もある。
()内の人物は明記しない限り作詩(作詞)者。
社歌・校歌・園歌など
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