呉羽丘陵
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呉羽丘陵(くれはきゅうりょう)は、富山県の富山平野にある丘陵である。
呉羽丘陵 | |
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中央サイクリングロードからの風景 各放送局の電波塔が並ぶ | |
所在地 | 富山県(富山平野) |
位置 | 北緯36度41分52.8秒 東経137度9分50.5秒 |
最高峰 | 城山(145.3 m) |
プロジェクト 山 |
呉羽丘陵は一般に呉羽山(くれはやま)とも呼ばれるが、呉羽山は呉羽丘陵の中の標高80mの山(北緯36度42分32秒 東経137度11分6秒)の名前であり、北側の呉羽山や八ヶ山、南側の城山を含めたものが呉羽丘陵である。
「呉羽」は一帯の地名で、呉服部(くれはとりべ)にちなむものである。機織業を伝来した渡来人・呉織(クレハトリと読み、呉“ご”から我が国に織物を伝えた織工を指す/「はとり」は「機織り」の転)に由来するといわれる(『越中志徴』)。姉倉比売(あねくらひめ)神社の姉倉比売神が機織の神であることも、クレハトリ伝承と関係がある。『源平盛衰記』巻28(北国所々合戦事)には寿永3年(1183年)、源義仲(木曾義仲)の武将・今井兼平の軍勢が「御服山」に陣取ったと書いてある。クレハトリに呉服【呉+服部】の字が宛てられ、これが音読されてゴフクとなり、さらに御服・五福などの字が宛てられるに至ったと考える。山麓の五福(富山大学がある辺り)も山名からの転訛とみられる。天明3年(1783年)以前に成立した堀麦水の『三州奇談』に「くれはの宮」とあるのがクレハの形での文献初出とされる。
最高地点の標高は城山の145.3m。山中にある呉羽山公園展望台からの富山市街・立山連峰の眺望が素晴らしく、富山市のキャッチフレーズである「立山あおぐ特等席」を実感することができる。ドライブやサイクリング、ハイキングに適した林道や散策路、五百羅漢(長慶寺)、富山市民俗民芸村 、また過去には呉羽山温泉などもあり、市民にとっては最も身近な憩いの場の一つとなっている。頂上には国内唯一の大正天皇による漢詩の碑が建立されている。第二次世界大戦以前には富山藩主、前田正甫の銅像があったが、戦時中の金属類回収令により失われている[1]。
南北に向かい合う呉羽山と城山にはそれぞれ散策路があり、総延長約15Kmにもなるが、両山の間を通る富山県道44号富山高岡線(旧国道8号)によって分断されている。そのため富山市は、県道を跨ぎ両山の上部を結ぶ歩道橋を計画しており、2020年度着工、2022年度末の完成予定である。総事業費は12億1300万円である[2]。橋は、長さ約124m、幅1.8mの吊り橋で、吊り橋から県道まで高さは約29mとなる予定。将来はライトアップも行う予定である[3]。なお、着工後に橋の設計をめぐり、富山市の担当者らが官製談合の疑いで逮捕されている[4]。
呉羽丘陵は、全長約22kmにわたる呉羽山断層帯の西側が持ち上がってできた丘陵である。そのため、丘陵の西側はゆるやかな斜面になっているのに対し、東側は急斜面となっている。呉羽山断層は活断層であり、将来はマグニチュード7を超える地震の発生が指摘されている。
呉羽丘陵によって富山平野は二分されており、かつては言葉や風俗の境界とされていた。呉羽丘陵よりも東側が呉東(ごとう)、西側が呉西(ごせい)と俗に呼ばれる(天気予報などでは「東部」「西部」と分けられる)。富山県内の多くの箇所から見え、かつ、放送局のある富山市中心部から近いことから、頂上部には各放送局の送信塔が並ぶ。
「富山」という地名の由来について、かつて越中国の国府のあった現在の高岡市から見て、呉羽丘陵の外側にあった事から外山(とやま)と呼ばれ、それが変化して富山になったという説がある。
呉羽丘陵は全域が暖温帯のヤブツバキクラス域に属し、137科927種の植物の生育が記録されている。これは富山内で生育が知られる植物種約2500種の約4割にあたり、呉羽丘陵一帯は比較的多様な環境が存在すると言える。ただし湿性の環境が少なく、湿地性の植物はあまり見られない。
呉羽丘陵に生息する植物の中で分布上特記すべき種として、コシダ、ヤマドリゼンマイ、コバギボウシ、ホトトギス、キンラン、アケボノシュスラン、クモキリソウ、ジャヤナギ、メヤブマオ、オオヤマフスマ、サネカズラ、オクチョウジザクラ、ニオイタチツボスミレ、トウグミ、オクノフウリンウメモドキ、カラタチバナ、コシジタビラコ、オオマルバノホロシ、サワギキョウ、キキョウ、タイアザミ、ミクリ、ケナシトウササクサ、チャシバスゲ、タチスゲ、メアゼテンツキが挙げられる[5]
1991年中の調査ではニホンジネズミ、アズマモグラ、ヒミズ、キクガシラコウモリ、ニホンザル、アブラコウモリ、タヌキ、ニホンイタチ、テン、アナグマ、ムササビ、ハタネズミ、アカネズミ、ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミ、ノウサギの6目10科17種の生息が確認された。このうちニホンザルはヒトリザルのみが確認され県東部からの遊動と考えられる[6]
1913年春に呉羽運体器が運転を開始した。山麓から山頂にワイヤーを張り、ゴンドラを吊り下げ、原動機からゴンドラに取付けた別のワイヤーにより上下させる方式であった。ところが9月に上下のゴンドラが中間で接触。屋根のないゴンドラから乗客が転落し、重傷をおうという事故をおこしてしまう。このため経営者は廃止届けを提出。運行期間は1年もたなかった。その後1924年春に富山市の久野藤作は山上に展望台を設置し行楽客を誘致することを計画。交通手段としてインクラインを敷設、起点は市電呉羽公園前付近とし山上駅屋上に展望台を設けた(呉羽インクライン)。1925年4月より運行を開始したが客足は伸びず借入金は増えるばかりあった。このため経営者は行方不明となり営業を停止。1928年に興業許可を取り消され廃止となった。
富山県は3大都市圏以外では最初に地上デジタル放送が開始された。
スポラディックE層出現時の新川地区における外国電波の混信障害を解消するため、2001年1月に開催されたNHKの第898回経営委員会において、新川テレビ中継局(アナログ放送)の開設が決定され[20]、同年4月に運用を開始した[21]。
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