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日本の女優(1920−2012) ウィキペディアから
三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年(大正9年)9月5日 ‐ 2012年(平成24年)2月13日)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身の女優。東洋高等女学校卒業。夫は宮阪将嘉(1997年に死別[1])。
家業は青果問屋であった。
東洋高等女学校卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社。そこのコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年に松竹演芸部に歌手として所属。
その後、ムーランルージュなどを経て、1954年に劇団民藝へ入団(新藤兼人監督の『どぶ』でスクリーンデビューも果たす)。
1967年に劇団を退団。
1969年から始まった『男はつらいよ』シリーズに車寅次郎のおばちゃん・車つね役として計49作で起用され、これが当たり役となる。以降、松竹映画を支えるバイプレイヤーとして活躍。
テレビドラマでは『パパと呼ばないで』(井上時枝役)などで親しまれたほか、橋田壽賀子・石井ふく子両氏が関係する作品にも出演していた。
森光子とは同い年で、山岡久乃とは親交があり「一緒に老人ホームに入らないか」との誘いを受けたほどの仲だった[2]。
普段から着物を愛用しており、着付け教室を開設していた。
晩年は自宅のあった神奈川県鎌倉市の高齢者施設に居を移し、2011年の映画『ムーランルージュの青春』に車椅子姿[3] で出演。これが生涯最期の仕事となった[4]。
2012年2月13日午後7時15分、老衰により鎌倉市内の病院で死去[5][6]。享年91。戒名は「浄芸院真誉寿光泉恵大姉」で、夫・宮阪が死去した際、ともに受けた戒名だという。告別式では倍賞千恵子が弔辞を読み、自身のヒット曲「忘れな草をあなたに」をアカペラで歌い、故人に捧げた[7]。
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