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日本の歴史学者・教育者 ウィキペディアから
三宅 米吉(みやけ よねきち、1860年7月1日(万延元年5月13日) - 1929年(昭和4年)11月11日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の歴史学者、教育者。号は昭軒。
人物情報 | |
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生誕 |
1860年7月1日(万延元年5月13日) 紀伊国和歌山城下(現・和歌山県和歌山市) |
死没 |
1929年11月11日(69歳没) 東京府東京市小石川区原町(現・東京都文京区小石川) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾(中退、現・慶應義塾大学) |
学問 | |
研究分野 |
歴史学(日本史、東洋史) 考古学 |
研究機関 |
東京師範学校 高等師範学校→東京高等師範学校 帝国博物館→東京帝室博物館 東京文理科大学 |
学位 | 文学博士(日本・1901年) |
主要な作品 |
『日本史学提要 第一編』(1886年) 『益軒ノ教育法』(1890年) 「法隆寺所蔵四天王紋錦旗」(1891年) 「漢委奴国王印考」(1891年) 「邪馬台国について」(1922年) |
学会 |
帝国学士院 考古学会 東京人類学会 |
紀伊国和歌山城下出身。慶應義塾に学んだ後、新潟学校、千葉師範学校、東京師範学校に勤務。1886年(明治19年)に大手教科書出版社・金港堂に入社し、同社の支援よる欧米留学を経て、教科書や雑誌の編集に従事。1895年(明治28年)以降は高等師範学校、東京高等師範学校教授および帝国博物館、東京帝室博物館の要職を長く務めた。1901年(明治34年)には文学博士となり、また考古学会会長に就任。晩年は東京高等師範学校長、帝室博物館総長、宮中顧問官、帝国学士院会員を歴任した。高師校長としては東京文理科大学設立に尽力し、初代学長に就任している。
1860年(万延元年)、和歌山藩士・三宅栄充の長男として紀伊国和歌山城下に出まれた。7歳で藩校学習館に入り、3年ほど漢籍を学んだ後、民政局参事草野政信の教えを受けた。
1872年(明治5年)、宮内大監の職にあった父を追って上京し、慶應義塾正則部に入学。義塾では成績優秀で、5年制の正則部で飛び級を重ね、在学2年ほどで第5学年に進んだが、この時、学則改正により正則と変則が合併されたため、少年には難解な政治学、経済学が学科の中心となった。不平を覚えた三宅は同級の尾崎行雄とともに別の学級の設置を訴えたが、一二の学生のための特設はできないとして転校を促され、尾崎とともに退学するに至る。
1876年(明治9年)、父の新潟裁判所転任にともなって新潟に移り、7月に官立新潟英学校英語教員心得の職を得た。翌年3月、新潟英学校が県立新潟学校英語教場に改組された際には同校百工化学教場助手となり、次いで英語教場訳読教師、舎中監事を兼任した。百工化学教場では教諭中川謙二郎の元で物理学、化学などを実習し、科学的実験・研究法を学んでいる。同校での教え子には、後に東京師範学校や金港堂で同僚となる新保磐次、歴史・地理学者となる吉田東伍、工学博士となる近藤虎五郎らがいた[1]。また同校時代には外国人から製造化学を学んでおり、1879年(明治12年)7月に製造工業の道に進むことを志して新潟学校を辞し、再度上京したが、当時の工業社会には適当な職が見つからなかったという[1]。
東京では結局、草野政信宅に寄寓し、旧藩主である紀州徳川家の家扶上田章に漢文を学びながら同家の蔵書(後の南葵文庫)を借覧する機会を得ることになった。ここで和漢の史籍を目にしたことがきっかけで、三宅は科学的な日本史研究の必要を覚え、歴史学者の道を歩むことになる。1880年(明治13年)3月、新潟学校時代の校長で千葉師範学校長となっていた小杉恒太郎の招きを受けて同校教師となり、間もなく千葉中学校教師、および両校の舎中幹事を兼任した。千葉中学校では主に物理と化学を教授し、教え子の中には、後に歴史学者となる白鳥庫吉、外務大臣を務める石井菊次郎、京都府知事となる木内重四郎がいた[2]。
翌1881年(明治14年)3月、慶應義塾時代の教員で東京師範学校長補の職にあった高嶺秀夫に招かれて同校雇教員に転じ、次いで助教諭となった。同校では歴史と英語を担任し、附属小学校でも物理と化学を教えたという。
金港堂編集所取締役となり、雑誌『都の花』『文』等を創刊。
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帝国大学講師を経て文学博士に。国語教育、歴史教育に尽力した。同僚に那珂通世などが居る。
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