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神聖ローマ帝国の宮廷における官職 ウィキペディアから
宮中顧問官(きゅうちゅうこもんかん)は、皇室または王室が存在する国の官職。多くの場合名誉職的な意味合いが強い。
大日本帝国憲法下、宮内大臣の諮問に応じる職。勅任宮内官を5年以上務めた者を対象とし、定員は15名以内、勅任官待遇。1885年の内閣制度創設の際、明治18年太政官達第68号により、内大臣・内大臣秘書官とともに設置された。「帝室ノ典範儀式ニ係ル事件ニ付諮詢ニ奉対シ意見ヲ具上」することを任務とし、議事は内大臣が統轄した。
名称中「宮中」とあるように、戦前の日本では皇室・皇族関連を宮中、内閣以下政府を府中とする「宮中・府中の別」があり、国政関与は不可能であった。ここに佐々木高行・土方久元・元田永孚ら明治天皇側近の親政論者(中正派)を処遇することで、彼らの国政への影響力は弱まり、伊藤博文の立憲主義政治構想が進展した。
1907年、皇室令第3号として制定された「宮内省官制」により、宮中顧問官は定員25名の勅任名誉官と規定された(第21条)。麝香間祗候・錦鶏間祗候同様の名誉職となり、宮内大臣の求めに応じて宮内省の事務を助けるとされた。
※参考文献:日本史籍協会編「明治史料顕職務補任録(一)」(続日本史籍叢書)東京大学出版会←明治35年5月5日付、任官者高辻修長までわかる。
諸外国にも、宮中顧問官が存在した。
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