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日本の映画 ウィキペディアから
『ハワイ・マレー沖海戦』(ハワイ マレーおきかいせん)は、1942年(昭和17年)12月3日に日本の東宝映画が製作、社団法人映画配給社配給で公開された戦争映画・国策映画である[2][5][3][4]。情報局国民映画参加作品。
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃および12月10日のマレー沖海戦の大勝利を描き、国威称揚させることを目的として、海軍省が企画し、開戦一周年記念映画として1942年に公開された[6][5][3][4]。
物語の主軸となるのは大日本帝国海軍のパイロットを目指す予科練の詳細な生活。平凡な少年友田義一が海軍精神を注入され、また厳しい訓練を耐え抜いて、晴れてパイロットとして搭乗するまでに物語の大半が費やされている。
後半は真珠湾攻撃に至るまでの航空母艦内の生活が詳細に描かれ、特撮を用いた攻撃シーンが場面を盛り上げる。最後は、仏印基地から発進した攻撃機が戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈し、大本営が戦果を発表するまでを描く[7]。
訓練の様子を描くことで、少年が軍人として成長していく様を壮美に描写することが意図されているが、一方で少年が戦争に巻き込まれていくことの悲劇性の描写にもなっており、単なる戦意高揚映画に留まらない作品として評価されている[6]。
特撮の完成度が評価された本作品は「国民必見」の映画と評され、日本映画史上空前のヒット作となった[6]。キネマ旬報ベスト・テン第1位[6]。
戦後も1968年(昭和43年)に東宝の配給で再公開されており[注釈 2]、冒頭に、複雑な思いで見るだろうが公開当時のままで上映する旨を断り書きした字幕がついていた(CS放送ではこの字幕が付かない版の場合がある)。
軍部では、真珠湾攻撃当時から記録映像を残すことが困難であるため、特殊撮影による記録映画の製作が構想されていたという[6][5]。報道部海軍少佐の浜田昇一は、開戦前に訪れた東宝特殊技術課で円谷英二と出会い、開戦と同時に本作品の製作を依頼したという[6]。
特撮は円谷英二が担当[3]。円谷得意のミニチュアモデルによる特撮に、部分的に実際の海戦で撮影された映像を挿入し、臨場感を醸し出すことに成功している。この映画で、円谷率いる特技スタッフは半年かけて精巧な1/400スケール1,800坪の真珠湾の特撮セットを作り上げ[6][3][4]、見学に訪れた海軍報道部や朝香宮鳩彦王はそのリアルさに息を呑んだ。封切から一週間後の1942年12月17日に戦艦「大和」で本作品を鑑賞した宇垣纏連合艦隊参謀長も、日記に「見事な出来」と書き残している[9]。後年、円谷は本作品について生涯で最も苦労した作品と語っている[3]。
海軍省の至上命令で製作されたこの映画であるが、肝心の軍事資料は、担当将校らの「カツドウ屋は信用できない」という理由により、資料協力を受けられなかった。山本らスタッフによる空母の見学も検討されたが、作中登場する艦の見学は許可が下りず、既に旧式艦であった「鳳翔」のみ、しかも艦内設備の詳細な取材は厳禁とされた。山本は後に、「艦載機の着艦制動装置の仕組みなど子供でも知っているのに、それの撮影はおろか、見学も認められなかった」と、当局の対応に不満を洩らしている[10]。山本と円谷は鈴鹿海軍航空隊に出向していた特別映画班の鷺巣富雄へ協力を求め、真珠湾攻撃参加者への取材などを行った[11]。
この理不尽な状況の中で、実物大の空母セットは、カメラマンのハリー三村がどこからか入手した最新のアメリカの雑誌『ライフ』に掲載されていた、艦内を含むアメリカ海軍空母の写真を参考に作られた[12]。また、円谷ら特撮スタッフはわずかな提供写真に写った水柱の大きさから、戦艦や飛行機、地形の実寸を割り出し、特撮セットを組み上げた[6]。また、登場する飛行機は一部を除きいずれも実機だが、航空母艦は戦場にいるため実物大の野外セットを作り、離陸する飛行機はセットの上を滑走させている[4]。こうして再現された戦闘機・攻撃機そして航空母艦・軍艦などの精緻なセットとミニチュアによる「実物としか見えない」映像は、後年(戦後)に作られたいわゆる戦争物の映画でもなかなか見られないもので、特に「航空母艦の実物大のセットを作って撮影した」という点は、多額の費用をかけて戦艦長門他の軍艦の実物大セットを作ったことで知られる『トラ・トラ・トラ!』(1970年公開)くらいでしか実現できなかったものである[注釈 4]。飛行機の編隊がハワイの山間を飛行する場面では、模型を吊るしたクレーンを回すことでバンクの再現を試みており[13][6]、後に押収したフィルムを観たGHQは、この場面を実際の記録映像だと信じ込んでいたという[14][5][4]。
マレー沖海戦のシーンは軍部の要請により急遽追加され、9日間で制作された[3]。この撮影では、プールの底に溝を掘り、ここにミニチュアの船に結びつけたロープを這わせることで、徐々に沈んでいく艦艇を表現した[6]。
こうしてようやく完成したフィルムだが、海軍省立会いで行われた試写では、艦の様子を見た情報部検閲部長が「アメリカの航空母艦じゃないか」と激怒して公開に反対した[15]。これも、元はといえば上記のように軍が資料提供を拒んだため、アメリカの艦船を参考にセットを組んだことによるものであり、円谷も山本もこのときは「はらわたが煮えくり返った」と後年語っている。検閲部長は宮家であったこともあり、あわや公開差し止めとなりかけたが、「誰がどう収めて公開にこぎつけたのか、いまだに分からない」と山本は述懐している[15]。
『海ゆかば』をはじめ、当時好んで唄われた軍歌が次々と挿入され、それらがどのような場面で唄われ扱われていたかを知ることが出来る。[独自研究?]
この他、ノースアメリカンNA-16(BT-9の輸出モデル)と見られる固定脚機が主翼に「US ARMY」と大きく書いたアメリカ陸軍戦闘機役で登場している。海軍では、新型の中間練習機の試験評価のため1938年(昭和13年)にNA-16-4R(NA-37)とNA-16-4RW(NA-47)を輸入していた。この機体は二式陸上中間練習機の開発時に参考にされた。
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