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かつて存在した日本の音楽事務所 ウィキペディアから
トライアングル・プロダクション(英: Triangle Production)は、グループ・サウンズ・バンドのアウト・キャストやThe Loveで活動した藤田浩一が、1975年4月24日に設立した音楽プロダクションである。主にAORやR&Bに影響を受けた後年にはシティ・ポップと呼ばれるポップスの音楽を多数リリースした。レイジー[1],フラッシュ、角松敏生[2],オメガトライブ[3],菊池桃子[4]等をデビューさせ、数多くのヒット曲を送り出した実績があり、これらの作風は「トライアングル・サウンド」と呼ばれた。ヒット曲を連発した1980年代、数多くの表彰を受けており、多数のトロフィーが事務所内に飾られていた。また、事務所前にはいつもレイジー等の入待ちや出待ちのため毎日のようにファンが詰めかけており、一部のファンクラブでは事務所内での事務作業手伝いなどのボランティアも募集していた。音楽プロダクションとしては消滅しており、系列のバミューダ音楽出版が事業の一部を引き継いでいる[5]。
レイジーやトロワが在籍していた時代は東京都港区北青山3丁目12−7カプリース青山ビル9階のガラス張りの角部屋にあったが、後に隣の青山花茂ビル7階に移転した。
トライアングル・プロダクションは1980年代の日本の音楽業界を牽引した音楽事務所の1つであり、レイジー,角松敏生,オメガトライブ,菊池桃子などを輩出してヒットを連発した。そして、プロダクション代表の藤田浩一による澄み切った明るく特徴的な作風は、トライアングル・サウンドと呼ばれ、質の高い都会的な音楽として認知された。1980年代前半はポータブルオーディオやカーオーディオが普及を開始し、海辺などでのレジャーや夜間のドライブ等で音楽が聴かれ始めた時期であり、同時代を席巻したトライアングル・サウンドはレジャーやドライブの需要にも合致する爽やかな作風となっていた(藤田浩一も自身のプロデュース作品をレコーディングした直後に、カーオーディオで聴きながらドライブするテストを行っていた)。当時のスタッフによれば、レコーディングが終了した深夜2時以降は藤田タイムと呼ばれ、代表の藤田浩一が音源と共にドライブへ出掛け戻ってくるまで電源は落とせず、戻ってきた後で再びレコーディングがはじまる事も多々あったようであり、藤田浩一のサウンドに対する情熱・こだわりは相当なものであった[6]。オメガトライブに至っては『カマサミ・コング DJスペシャル』や『DJ SPECIAL』という企画アルバムが発売されており、海辺におけるレジャーやドライブでの需要を特に強く意識していた。
藤田浩一がプロデュース業から引退した1995年には音楽制作を停止し、所属タレントのほとんどを移籍・独立させた。そして、藤田が死去した2009年には会社が消滅しているが、出身者はブラック・コンテンポラリー、ヘヴィメタル、アニソン、俳優・女優などの各方面で多大な影響を与え続けている。元レイジーの高崎晃と樋口宗孝が結成したLOUDNESSは、アルバムがビルボードTOP100にランクインしただけでなく、世界でも超一流のステージであるマディソン・スクエア・ガーデンに日本人初の出演を果たし、同じく元レイジーの井上俊次はアニソン制作会社のランティスを立ち上げて、元レイジーの影山ヒロノブと共に2000年代からの世界的なアニメブームを牽引した。角松敏生、オメガトライブ、菊池桃子は日本で一流の音楽家と言える地位を築き、2010年代の世界的なシティ・ポップブームで海外からも評価されている。
藤田浩一の没後は本家であるトライアングル・プロダクションは消滅したが、系列の音楽出版社であるバミューダ音楽出版が事業の一部を引き継ぎ、かつて本事務所に所属していた元TWIN FIZZの仁科かおりが社長を務めている[5]。
下記は在籍を開始した時系列順に並んでいる。
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