コメディNo.1
かつて存在した日本の漫才コンビ ウィキペディアから
かつて存在した日本の漫才コンビ ウィキペディアから
コメディNo.1(コメディナンバーワン)は、かつて存在した日本の漫才コンビである。1967年から2009年まで活動した。所属事務所は全期間を通じ、吉本興業大阪本部。略称は「コメワン」。コンビ名は吉本新喜劇の作家檀上茂が命名した。
詳細は各項目を参照。
ふたりは吉本新喜劇の座員だった。同じく新喜劇出身で、漫才で成功した西川きよしから「漫才はもうかるでえ[1]」と転身を勧められ、コンビ結成。ラジオの深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(ラジオ大阪)の土曜日を担当し、同番組の全曜日通じての最高聴取率を記録するほどの人気を獲得したほか、関西テレビ『爆笑寄席』での、体を張ったコントで評判を取った[1]。
放送メディアでは特に坂田ピンの活動が多くなり、コンビとしての活動は、なんばグランド花月などの舞台中心となった。また2人はプライベートではほとんど付き合いがなかった。コンビ仲が悪い漫才コンビの代表的存在とされる[誰によって?]。
前田が2009年4月3日に起きた中田カウスへの脅迫状送付事件に関与していたと一部で報道されたため、「世間を騒がせた」という理由で同年5月25日よりタレント活動を休養[2]。同年7月21日、吉本興業は前田が大阪府警南警察署より参考人として任意の事情聴取を受けたことを明かし、あわせて同年8月31日をもってコメディNo.1の解散を発表した[3][4]。その後、前田は吉本興業を解雇された。
2021年10月17日、前田が79歳で死去した。前田の訃報は同年11月4日に公表された[5]。その後、坂田はピンで活動していたが、最晩年は出演機会は少なくなっていた。2023年12月29日、坂田も82歳で死去した[6]。
ピンでの出演は各人の項目参照。
アホの坂田(アホのさかた)は、コメディNo.1による楽曲。
「エンタの歌道」(テイチク、廃盤)に収録されたが、「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(SLC、廃盤)および「浪花のモーツァルト キダ・タローのほんまにすべて」(アップフロントワークス)に収録された際はいずれもシングル盤をマスター音源としていると思われるノイズが聴こえる。
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