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イギリスの女性王族、国王・チャールズ3世の王妃 (1947-) ウィキペディアから
カミラ(Camilla、1947年7月17日 - )は、イギリスの王族。国王チャールズ3世の王妃(在位: 2022年9月8日 - )。
敬称は陛下(Her Majesty)で、国王即位の日から王妃(Queen Consort)と称され、戴冠式に伴い端的にカミラ王妃(Queen Camilla)と称されるようになった。出生名はカミラ・ローズマリー・シャンド(Camilla Rosemary Shand)。また、1973年から1995年の先夫との婚姻期間の名はカミラ・パーカー・ボウルズ(Camilla Parker Bowles)。2005年4月に、当時皇太子だったチャールズと再婚した。
カミラは、元英国陸軍将校でワイン商に転職したブルース・シャンド陸軍少佐とその妻ロザリンド・モード(第3代アシュコーム男爵ローランド・キュービットとソニア・キュービットの娘)の間の長女として1947年7月17日にロンドンサザーク区にあるキングス・カレッジ・ロンドンの病院[2]で誕生した[3][4]。出生名は、カミラ・ローズマリー・シャンド(Camilla Rosemary Shand)という。また、妹にソニア・アナベル・エリオットが、弟にマーク・ローランド・シャンドがいる。
イギリス国王エドワード7世の愛妾(Royal Mistress)として知られるアリス・ケッペルは母方の曾祖母にあたる(アリス・ケッペルの次女がソニア・キュービット)。
イングランド南東部イースト・サセックス州、ブライトンと隣り合うルイスのプランプトン (en) で育ち、次いでロンドン市内ケンジントン区サウス・ケンジントン (en) の3階建ての家に越した。
1972年、カミラが初恋の相手であった近衛儀仗騎兵隊大尉で社交界の人気者アンドルー・パーカー・ボウルズ(後、英国陸軍准将、獣医学校校長)と交際している時、アンドルーの友人であるイギリス皇太子チャールズと出会った。チャールズはポロと狩猟という共通の趣味を持つカミラを深く愛するようになったが、結婚の申込を引き伸ばしたため、カミラはアンドルーと結婚した。しかし、結婚後もチャールズとの関係が続いた。カミラとアンドルーの間には1974年に長男(第1子)トム、1978年に長女(第2子)ローラが誕生したが、1995年に離婚している。
一方、チャールズは1981年にダイアナ・スペンサーと結婚したが、カミラとの関係は解消されなかった。そして、チャールズとカミラ両者とも互いに既婚で不倫関係を保ち、これが原因でチャールズとダイアナの夫婦関係は極度に悪化した。1990年代初めにはチャールズとカミラの携帯電話での会話を録音した音声テープが暴露され、2人の秘密の関係は公然と知られるようになった。チャールズとダイアナは1982年に長男(第1子)ウィリアム、1984年に次男(第2子)ヘンリーを授かるが、1992年に別居、1996年に正式離婚している。ダイアナが1997年8月31日にパリで交通事故死した後、チャールズとカミラは公然と交際するようになり、公式行事にも2人で出席し始めた。しかし、死後も冷めることのないダイアナ人気の根強さと、「カミラ=愛人」というイメージから、訪問各国の首脳陣はともかく、その国の国民から歓迎されることは少なく、「帰れ!」と罵られるか、無視されるかがほとんどであった。
ヨハネ・パウロ2世の葬儀のために1日遅れとなった2005年4月9日、チャールズ皇太子とカミラ夫人は出会いから30数年の時を経て、ついに結婚した。2人はまずウィンザー城下のギルドホールで、宗教色のない形で式を挙げている[5]。参列者はウィリアム王子(現在のウィリアム皇太子)、ヘンリー王子、カミラ夫人の子供たちなど近親者が30数人で、彼らの見守る中、約20分で終了した。ギルドホールの周囲には、2人を祝おうと2万人以上の人々が集まった。その後、彼らはウィンザー城の聖ジョージ・チャペルへと移動し、エリザベス2世女王、エディンバラ公フィリップのほか国内外の要人約800人の参列者が見守る中、前カンタベリー大主教の祝福を受けて、2人は正式に夫婦として認められた[5]。挙式後、ウィンザー城内で女王主催の披露宴が催された。2人は当日スコットランドのバルモラル城近郊のバークホールへ向かい、公務とハネムーンを兼ねた旅行を行っている[5]。
2007年8月31日に行われたダイアナの没後10周年の式典を欠席する事を5日前の同年同月26日に発表した。ウィリアム皇太子とヘンリー王子からの出席の要請を受け、当初は出席への意向を示していたが、「式典の目的から注意をそらす可能性がある」との懸念から出席を取りやめたという[6]。
欠席に落胆しつつも、夫人の尊厳に理解を示す報道を行ったメディアもあった[7]。また王室伝記作家のペニー・ジュノーは、「10年の月日の中で国民は夫人の人柄を知り、夫人に対する見方を変えた」と指摘している。一部のコメンテーターは地元紙で、「夫人を追悼式典に招待したのは、夫人を再び好ましくない存在として際立たせようとする意図があった」と述べた[7]。
2008年(平成20年)10月27日-31日、「日英修好通商条約調印150周年」の折に、夫のチャールズ皇太子に同伴して公賓として来日した。カミラにとっては初の来日[8]。
夫妻は滞在中、天皇明仁・皇后美智子(現在の上皇・上皇后)との夕食、皇太子徳仁親王・同妃雅子(現在の今上天皇・皇后雅子)との夕食に出席。麻生太郎首相・千賀子夫人との会談を行った。
10月28日に慶応義塾大学を訪問し、最先端技術及び国際的なコラボレーションによるデジタルアートの視察、歌舞伎及び剣道演武を鑑賞。「UK-JAPAN2008」レセプションに出席。10月29日に奈良県の東大寺、正倉院修補、なら工藝館を訪問し、大阪府公館で英国の学校とのリンク・プロジェクト関係者、児童・生徒と交流した。10月30日に、カミラ単独で聖路加病院小児病棟を視察した。10月31日、離日[9]。
2012年4月、ロイヤル・ヴィクトリア勲章デイム・グランド・クロスを授与された[10]。2022年1月1日、ガーター勲章を授与された[11]。
2022年9月8日、義母の女王エリザベス2世が崩御し、夫のチャールズが国王チャールズ3世に即位したことに伴い、イギリス王妃(クイーン・コンソート)となる。翌年5月6日の国王戴冠式にともない、カミラ王妃(クイーン・カミラ)と称されるようになる。
称号:カミラ王妃 (Queen Camilla) | |
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カミラ王妃のロイヤルサイファー | |
敬称 | Her Majesty (陛下) |
通称 | Your Majesty (陛下) |
チャールズとの婚姻により、カミラは夫が持つ各称号(title)に対応する夫人として以下の称号を受けた。
皇太子妃時代の敬称は、慣例により、スコットランドにおいては、故ダイアナ妃と同様、Her Royal Highness, the Duchess of Rothesay(ロスシー公爵夫人殿下)が用いられたが、イングランドでは、カミラがthe Princess of Walesの称号の使用を辞退したので、次位の称号を用いてHer Royal Highness the Duchess of Cornwall(コーンウォール公爵夫人殿下)が用いられた。これはthe Princess of Wales(皇太子妃)として知られていた故ダイアナ妃に対するイングランド人の根強い敬愛に配慮したものと考えられている。
この時点では、チャールズ皇太子がイギリス国王に即位しても、Her Majesty the Queen(王妃陛下)の称号を辞退し、Her Royal Highness the Princess Consort(公妃殿下)の称号を名乗る」と発表された。ただし、King(国王)の配偶者である女性がQueen(王妃・王后)と呼ばれないのはイギリス王室史上前例がないことで、英連邦各国の憲法改正などを伴うとの問題も指摘されていた。
しかし、義母エリザベス2世女王は、女性王族内でのカミラの序列を、自分を含めて第4位(エリザベス2世女王 - アン第一王女 – アレクサンドラ王女 - カミラ)に位置付け、2022年のプラチナ・ジュビリーのメッセージの中では、「チャールズの即位後、彼女がQueen Consort(王妃)と呼ばれることを望む」との意向を表明した[24][25]。
2022年9月8日、エリザベス2世の崩御とチャールズ3世の即位に伴い、イギリス王室はTwitterでカミラを「Queen Consort」(王妃)と呼称し[26]、王室公式サイトに設けられたカミラのプロフィルページにも、「Her Majesty The Queen Consort」(王妃陛下)と記載した[27]。
2023年4月4日に公開された、同年5月のチャールズ3世戴冠式の招待状内では、初めて「Queen Camilla」の表記が登場し、公式の場でカミラ王妃(王后)の呼称を用いるようになった[28]。
元夫のアンドリュー・パーカー・ボウルズとの間に誕生した、子女2人(1男1女)がいる。また、孫が5人(3男2女)いる。 このうち3人の男の孫は戴冠式での王妃のペイジを務めた。
カミラ (イギリス王妃)の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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