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現代の88星座の1つ ウィキペディアから
とも座(ともざ、艫座、Puppis)は、現代の88星座の1つ。18世紀半ばにプトレマイオスの48星座の1つアルゴ座の中に設けられた小区画を起源とする新しい星座で、船尾をモチーフとしている[1][4]。南天の星座の1つ。赤緯11°から51°と南北に長い星座で、日本では全ての地域からこの星座の一部を見ることができるが、北東北より北の地域では全域を見ることはできない。
2023年6月現在、国際天文学連合 (IAU) によって6個の恒星に固有名が認証されている[5]。
このほか、以下の恒星が知られている。
とも座の原型となったのは、古代ギリシアの伝承に登場するアルゴ船をモチーフとした星座アルゴ座である[4]。これが独立した星座として扱われるようになったのは19世紀後半からである。
星座としてのアルゴ座は紀元前1000年頃には生まれていたと考えられており、紀元前4世紀頃の古代ギリシアの天文学者クニドスのエウドクソスの著書『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』に既に名前が登場している[44]。このエウドクソスの『ファイノメナ』は現存していないが、エウドクソスの著述を元に詩作したとされる紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスの詩篇『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』では、おおいぬ座に続いて船尾から上ってくるアルゴ座の姿がうたわれている[45]。
2世紀頃にアレクサンドリアで活躍した帝政ローマ期の学者クラウディオス・プトレマイオスの著書『アルマゲスト』では、45個の星がアルゴ座に属するとされた。プトレマイオスが示した45個の星が現在のどの星に当たるのかについては研究者の間で多少の相違は見られるものの、現代のとも座の明るい星はほぼ全て含まれているとされており[46]、古代ギリシア・ローマ期には現在のとも座の原型が整っていたことをうかがい知ることができる。
大航海時代以降、南天の観測記録が欧州にもたらされるようになると、アルゴ座の領域は『アルマゲスト』に記されたものから東と南に拡張されていった。ドイツの法律家ヨハン・バイエルが、オランダの天文学者ペトルス・プランシウスやヨドクス・ホンディウスが製作した天球儀から南天の星の位置をコピーして製作した全天星図『ウラノメトリア』では、アルゴ座の領域はプトレマイオスが示したものよりも南東方向に拡張された[47][48][49][50]。
現在のとも座の枠組みを初めて設けたのは、18世紀フランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユであった[4]。ラカイユは、1756年に出版されたフランス科学アカデミーの1752年版紀要に寄稿した星表と天球図で、アルゴ座に以下の改変を行った[51][52][53]
ラカイユによるこれらの改変によって生まれた小区画の1つ Pouppe du Navire または Argûs in puppi が、後世のとも座 (Puppis) の原型となった。
ラカイユはプトレマイオスの権威を尊重し、それまでの天文学者らと同じくアルゴ座を1つの星座と見なしていた[53][60]。これは19世紀の天文学者らも同様で、19世紀半ばにイギリスの王室天文官を務めたフランシス・ベイリーが編纂した全天星表『The Catalogue of Stars of the British Association for the Advancement of Science』、いわゆる『BAC星表』でも Puppis は独立した星座ではなく、あくまでアルゴ座の小区画 (subdivision) として扱われた[61]。
巨大なアルゴ座とその中にある小区画、という入れ子構造に不満を覚える天文学者も少なくなかった。19世紀後半のアメリカの天文学者ベンジャミン・グールドもその一人であった[53]。1879年、アルゼンチン国立天文台で台長の職にあったグールドは、南天の観測記録を元に星表『Uranometria Argentina』を刊行した。グールドはこの星表を編纂するにあたって、大き過ぎるが故に不便なことの多いアルゴ座に対して以下の要領で改変することとした[62]。
このグールドによる改変によって、とも座は独立した星座として扱われるようになった。また、ラカイユがギリシア文字を付した星として ζ・ν・ξ・π・ρ・σ・τの7個だけがとも座の星として残された[63]。のちにο星やχ星が加えられたが[20][24]、現在もとも座にはα星やγ星は存在しない[4]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が提案された際、ラカイユ以降に「アルゴ座」とされていた領域は、Carina(りゅうこつ座)、Puppis(とも座)、Vela(ほ座)の3つに分割されることが決定され、とも座の星座名は Puppis、略称は Pup と正式に定められた[64]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、とも座の恒星は二十八宿の南方朱雀七宿の第一宿「井宿」と第二宿「鬼宿」に充てられていた[65][66]。井宿では、τ・νの2星が星官「老人」、c・χ・ο・k・π・2・4・5・10・6・16・14・e・12・ξ・HD 62412・3・d・b・ζ・a・σ の22星が星官「狐矢」に配されていたとされる[65]。また鬼宿では、21・20・18・19・22の5星と不明の2星の計7星が星官「外厨」に配されていたとされる[65]。
日本では、明治末期には「艫」という訳語が充てられていたことが、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[67]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「艫(とも)」として引き継がれた[68]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[69]とした際に、Puppis の日本語の学名は「とも」と定められた[70]。これ以降は「とも」という学名が継続して用いられている。
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