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日本の工学者 (1929-2021) ウィキペディアから
赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日 - 2021年〈令和3年〉4月1日[1])は、日本の半導体工学者。位階は従三位。
赤﨑 勇 | |
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赤﨑勇(2011年) | |
生誕 |
1929年1月30日 日本・鹿児島県川辺郡知覧村 (現・南九州市) |
死没 |
2021年4月1日(92歳没) 日本・愛知県名古屋市 |
国籍 | 日本 |
研究分野 |
半導体工学 化学工学 電子工学 |
研究機関 |
名古屋大学 松下電器東京研究所 松下技研 名城大学 |
出身校 |
旧制第七高等学校造士館 (現・鹿児島大学) 京都大学理学部化学科 |
博士課程 指導学生 | 天野浩、小出康夫 |
主な業績 |
世界初の窒化ガリウム結晶に成功 高輝度青色発光ダイオード(青色LED)を発明 コヒーレント光青色/紫外発光デバイス (LED, LD) 全ての基礎技術の確立 青紫色 レーザーの開発 窒化物半導体の量子構造を解明 窒化物半導体世界最高効率となる太陽電池の開発 GaN系電子線励起レーザーに成功 他重要な業績多数 |
影響を 受けた人物 | 榊米一郎、早川幸男 |
主な受賞歴 |
Optoelectronics Conference Special Award(1994年) Heinrich Welker Medal(1995年) IEEE Society Lasers and Electro-Optics Society's Engineering Achievement Award(1996年) IOCG ローディス賞(1998年) 朝日賞(2000年) 藤原賞(2002年) 武田賞(2002年) 日本学術会議会長賞(2003年) 国際電子デバイス会議賞(2003年) 日本学術振興会特別賞(2006年) 京都賞先端技術部門(2009年) エジソン・メダル(2011年) 科学技術振興機構知的財産特別貢献賞(2011年) カール・フェルディナント・ブラウン賞(2013年) 恩賜賞・日本学士院賞(2014年) ノーベル物理学賞(2014年) チャールズ・スターク・ドレイパー賞(2015年) UNESCO MEDAL(2016年) |
プロジェクト:人物伝 |
学位は工学博士(名古屋大学・1964年)。名城大学大学院理工学研究科・特別栄誉終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー[2]。京都大学名誉博士[3]。日本学術会議栄誉会員[4]、日本学士院会員[5]。恩賜賞[6]、文化勲章[7]、文化功労者受章。『 高輝度青色発光ダイオードの発明 』で2014年度ノーベル物理学賞を受賞。
京都大学理学部卒業後、株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。
「赤﨑」の「﨑」は山偏に竒(いわゆる「たつさき」)であるが、JIS X 0208に収録されていない文字のため、赤崎 勇と表記されることも多い。
鹿児島県出身の半導体工学者。未来の万能光源とされLEDにおける高輝度青色発光ダイオードの源となる窒化ガリウム (GaN)結晶化の研究が知られており、世界の名立たる大学、産業界、研究所の研究者達が挑戦しながらも物性制御が非常に困難とされ撤退せざる得なかった[8]、窒化ガリウムを半導体研究ではそれまで用いることがほとんどなかったMOCVD装置を用いる事を決断し[9]、ウェハー上にはサファイア基板を用い[10][11]、AlNによる低温堆積バッファ層技術[12][13] によって1985年、不可能視されていたGaN窒化ガリウム完全結晶化に世界で初めて成功する(『特許1708203/米国特許4855249』『特許3026087/米国特許5122845』)。そして理論上不可能とされた窒化ガリウムにおけるp型伝導特性の発見や、結晶構造における単位格子の相違から実現困難だとされた窒化物半導体発光ダイオードを、高輝度にする為に必要なp型半導体n型半導体のPN接合青色発光ダイオードを完成し、1989年に不可能に近いとされた[14][15][16]待望の青色LEDの発明に成功する。1995年には世界初となる短波長半導体レーザー(青色レーザー)を開発し室温パルス発振を成功させた[17][18][19][20]。
また自然界には存在し得なかった青色LED発光半導体となる窒化ガリウム完全結晶[21][22]の創造はエレクトロニクス革命とも呼ばれ[23]、現在世界で主要となるシリコン半導体の性能指数値(εμeEc3)を桁違いとなる1130倍以上も上回る高性能を持ち[24][25]、完全クリーンかつ光学的特性、電気的特性、物理的特性、化学的特性の全てを兼ね備えた究極の万能次世代半導体であるGaN窒化物半導体[26][27]の発明にも繋がることにもなった。これらの青色発光ダイオード発明業績、GaN窒化物半導体に関する業績の原著論文は約700編以上、221以上にも上る特許を取得している。
これらの傑出した業績により、恩賜賞、ノーベル物理学賞を受賞するなど国内外の重要となる数々の賞や顕彰を多数授与されることになる。また名古屋大学・赤崎研究グループの窒化ガリウム完全結晶の成功を知ったTOYOTAグループの豊田合成から強い申し入れにより、1986年、産学連携による世界に先駆けた『 青色発光ダイオード製品化プロジェクト 』が開始され[28] 、翌年、青色LED量産実用化を豊田合成に任せ科学技術振興事業団から青色LED製造技術開発を受託[29]。1991年には科学技術振興機構から青色LED実用発光度の成功認定[30] を豊田合成は世界に先駆けてされる。2014年度にノーベル物理学賞を天野浩、中村修二と受賞。
鹿児島県川辺郡知覧村(のちの知覧町霜出、現・南九州市)[31] 出身。幼少期に鹿児島市の上町地区に移り鹿児島市立大龍小学校、1946年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・甲南高等学校 )[32][33]、1949年に旧制第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)を卒業し、京都大学理学部に入学[34]。大学時代は吉田寮に住み、地元の人もめったに訪れないような神社仏閣を寮の友人達と巡ったり、夏休みには信州の山々を歩き、クラシック鑑賞などをして充実した学生時代を過ごす[35]。1952年京都大学理学部化学科卒業。
京都大学理学部卒業後、1952年、錚々たる半導体研究者達が在籍し[36]、ソニーと並び称された神戸工業[37](現デンソーテン)に入社、日本のテレビ放送幕開けとなる国産によるブラウン管開発を担当する[38]。1959年、神戸工業の上司で半導体素子研究や電子放射分野の大家であった京都大学の先輩にあたる有住徹弥[39][40][41]真空管部長が、名古屋大学工学部電子工学科教授に転出するのに伴い、名古屋大学有住研究室(日本の大学で初めて開設された半導体学部門)[42] の助手になるよう誘いを受ける。唐突なことだったので当初断わったが強い要請により名古屋大学有住研究室で学究生活に入ることになり、助手、講師、助教授を務め、博士論文『 Geの気相成長に関する研究 』[43] で名古屋大学工学博士。
1964年ナショナル創業者松下幸之助の熱望で新しく創られたばかりの松下電器東京研究所に所長の小池勇二郎からスカウトされ招聘されることになるが、日本の理系エリートが集まる基礎研究所として名高かった日本電信電話公社(現NTT)電気通信研究所[44][45]からも強くスカウトを受けることになる[46]。そして選りすぐりの研究者が招聘された松下電器東京研究所では32才にして一番若い研究室長と迎えられた以後[47]、基礎第4研究室長を務めたのち松下技研株式会社半導体部長に就任する[48]。研究所ではGaAsやGaP、AlNを中心とするIII-V族半導体、及び混晶(GaAsP, GaInP, GaInAsPなど)の各種結晶成長(化学気相成長、物理気相成長、エピタキシャル成長、HVPEハイドライド気相成長法、MBE分子線エピタキシー法、融液成長、液体封止高圧引き上げ成長など)及び電気、光学性質に関する目覚しい研究業績をあげる。1968年にはモスクワで開かれた半導体物理国際会議で世界最高の電子移動度を誇るGaAs半導体を発表し世界の研究者から大いに注目を浴びている[49]。その後、世界最高となる赤色LED、緑色LEDを完成させ[50][51]、1979年10月、世界にLEDを誕生させたアメリカのイリノイ大学にわずかに遅れること、世界で2番目となる日本初の赤色レーザーを発振させることに成功させた[52]。1981年、松下技研半導体部長を辞職し以前から要請の出ていた名古屋大学に復帰し、工学部電子工学科教授に就任。大学では異例となる独自の研究室を赴任初年度に開設される[21][53]。赤崎研究室には最初の指導学生となる天野浩・名古屋大学特別教授や国立研究開発法人NIMS物質・材料研究機構の小出康夫理事らが在籍し、助教授時代にはIOCG国際結晶成長機構会長や日本結晶成長学会会長などを歴任した西永頌東京大学名誉教授らが教え子[54][55]にいるなど、数多くの門下生達[54]を優秀な科学者に育て上げ輩出したことで学界でも著名である[56][57]。
1992年に名古屋大学を定年退官。1992年からは名城大学理工学部教授に就任した。2021年4月1日、気管支肺炎のため、名古屋市内の病院にて死去[58]。92歳没。死没日をもって従三位に叙される[59]。ノーベル物理学賞受賞後も名城大学大学院理工学研究科特別栄誉終身教授[60]、名古屋大学特別教授・名誉教授[61]、名古屋大学赤﨑記念研究センター[62]リサーチフェローを務めた。
窒化ガリウム (GaN) 結晶化は悲願となる青色LEDの発光源と世界の学者や研究者達からターゲット[63][64]にされながらも、自然空間で高度なエネルギーを持ち、青い光を放つ物質性や繊細さを併せ持つガリウムナイトライド(窒化ガリウム)は、物性制御の扱いや電気制御が非常に困難と撤退せざる得なかった、最高難度を誇る窒化ガリウム (GaN) を最高レベルの結晶化に成功し、原理上不可能と考えられた窒化ガリウムp型伝導の発見や、最難解だったPN接合を実現した青色発光ダイオード(青色LED)を1989年に発明、誕生させた論文を発表したことでも著名。また青色LEDを広範囲に適応出来る実用化(高輝度化)をもたらしたInGaN[65] は、1988年3月NTT研究所に招聘された赤﨑の窒化ガリウム完全結晶の成功をキャッチアップしたNTT物性科学基礎研究所・量子物性研究部の松岡隆志研究員[66] は、ただちに窒化ガリウム完全結晶の化学反応計算を繰り返し行い1年がかりで解を見い出した1989年3月、窒化ガリウムの原子間に大量のアンモニアガスを用いて窒化インジウムを注入混晶することに成功、青色LED実用化に重要な役割を果たした発光物質の窒化インジウムガリウム(InGaN)の作成に成功する[67]。このInGaNを青色LED・青色レーザー(短波長半導体レーザー)の設計層に加える[68][69] だけで青色LED、短波長半導体レーザーの発光度が強化され実用化[70] と相成ることなる。なお不可能と考えられた窒化ガリウム青色LED誕生の驚きは1993年から2002年までの10年間だけでも国際会議や学術会儀での基調講演・招待講演が140件を超える多大な反響を呼ぶことになった[71]。その窒化ガリウム完全結晶・青色LED・ 青色レーザー(短波長半導体レーザー)の発明[72][73]により光ディスク最高峰の記録媒体となるBlu-ray Discが開発されるなど[74][75]膨大な特許料を建設費の一部に用いて、赤﨑記念研究館が名古屋大学東山キャンパス内に造られ、記念研究館の前庭には譲葉の花言葉に思いを託して自らユズリハを植樹し[76]2006年10月20日に開館した[77]。また名古屋大学を象徴する豊田講堂の時計塔には名古屋大学で成し遂げられた青色LED発明の偉業を称える為、青色LEDのイルミネーション時計が設置されている[78]。
赤崎勇『 Geの気相成長に関する研究 』[120] 工学博士 - 1964年 名古屋大学(博士授与年月日 昭和39年3月30日)。
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