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日本の政治学者 (1944-2024) ウィキペディアから
猪口 孝(いのぐち たかし、1944年〈昭和19年〉1月17日[2] - 2024年〈令和6年〉11月27日[3])は、日本の国際政治学者。東京大学名誉教授[3]。専門は、政治学・国際関係論。政治学博士(マサチューセッツ工科大学、1974年)。新潟県立大学学長兼理事長、国際連合大学上級副学長などを歴任。
新潟県新潟市生まれ。東京大学から米国マサチューセッツ工科大学に進み、博士号を取得する[3]。
1982年、『国際政治経済の構図』でサントリー学芸賞受賞[3]。1987年に大嶽秀夫、村松岐夫ともに雑誌『レヴァイアサン』を共同で創刊し、実証主義的政治学の発展に貢献した。
2000年から2002年まで日本国際政治学会理事長を務める。
2018年、日本政治法律学会より現代政治学会賞を受賞[4]。
2023年、秋の叙勲において瑞宝中綬章を受章した[5][6]。
英文の学術雑誌である、Japanese Journal of Political Science(Cambridge University Press)、International Relations of the Asia-Pacific(Oxford University Press)、Asian Journal of Comparative Politics(SAGE Publications)および Asian Journal for Public Opinion Research(open access journal)の創刊編集長を務めた[7]。
2024年11月27日、東京都文京区小石川の自宅マンションで火災が発生し、2人の遺体が発見された。妻の邦子と次女は外出しており難を逃れたが、この時点で猪口孝と33歳の長女と連絡が取れず、遺体の身元確認作業が続いたが、同年12月1日、警視庁により、この遺体が猪口孝と長女の2人であることが確認されたことが発表された[8]。80歳没。警視庁によれば、死因は焼死であり、出火元は応接室と推定されている。現場の焼損が激しいため、火災原因は特定されていないが、失火の疑いがあると指摘されている[3]。
イラク戦争については「孤立主義が深刻になれば、日本は平和路線の転換を余儀なくされる」という認識のもと、日本政府は米国支持を堅持すべきとの主張を展開した[9]。自衛隊のイラク派遣もまた支持した。
父・孝吉は新潟県新発田市の商家の出身で、母・光子の実家はお寺の住職であった[10]。妻は参議院議員(元上智大学教授)の猪口邦子(馴れ初めについては邦子の著書『くにこism』で確認できる)。子は娘が2人(双子)。
「学生の間に2トンの本を読もう」という言葉を残した[11]。
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