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灰野 敬二(はいの けいじ、1952年〈昭和27年〉5月3日 - )は、日本のミュージシャン。千葉県市川市生まれ[2]、埼玉県川越市育ち[2]。
1970年代より活動。日本国内におけるアヴァンギャルドなミュージックシーンにおいては最古参の人物であり、ボックスセット『魂の純愛』や『ロスト・アラーフ』『天乃川』といった作品でうかがえるアプローチを十代の頃から深め続けている。リリースしたレコードやCDはほとんどがインディペンデント流通で、100を超える厖大な点数のため全体像を把握するのは困難。
ソニック・ユースのサーストン・ムーアをはじめとして、世界的にも数多くの信奉者を生んでいる。他ジャンルの創作者とのコラボレーションも試行しつつ多彩なテクスチャーを貪欲に取り込んでの混沌としたサウンドを追求しており、一貫してコマーシャリズムと連帯しないという狷介な姿勢を三、四十年の長きにわたって固持している。
主に扱う楽器はボーカル、ギター、ドラム、パーカッション、ハーディ・ガーディなど。ある時期までは一貫してテクノロジー楽器を否定する姿勢を保っていたが、2000年代以降はエレクトロニクスや発振器などを用いての演奏も行うようになった。 マレーネ・ディートリヒ、ヤニス・クセナキス、シド・バレット、ジム・モリソン、チャーリー・パーカーらの影響を受ける。
千葉県市川市に生まれる。幼稚園児の時、埼玉県川越市に引越した。幼少期は病弱であった[3]。
アントナン・アルトーに影響を受けて演劇を志すが、ドアーズの「When the Music Is Over」を聞いて衝撃を受け、音楽へと転向した[4]。当初は、ブルースや実験音楽のユニットを転々としながら、自宅録音による作品も制作していた。
1971年、自身の即興ヴォーカルによる「ロストアラーフ」を結成。頭脳警察や阿部薫らも出演し、加藤登紀子も出演予定であった新東京国際空港建設反対デモ集会「三里塚・幻野祭」にて登場する。この時は受け入れられず観客から石を投げられたが、灰野はこのときの経験が後の創作活動につながったとして宝であると振り返っている[5]。
1972年頃、マジカル・パワー・マコと出会って親交を深め、ともに活動するようになる。1973年にはソロ・パフォーマンスを開始。同年、マジカル・パワー・マコらとNHK『ひるのプレゼント』に出演するも、視聴者から苦情が殺到して担当プロデューサーが降格する事態となる。1974年、マジカル・パワー・マコのアルバムに参加。その後、映画『卑弥呼』のサウンドトラックに参加し、武満徹と活動する。
1975年、ロスト・アラーフが解散。1977年頃、ギターによる演奏を開始し、阿部薫と軍楽隊を結成。三浦崇史、大正琴楽者の竹田賢一のヴァイブレーション・ソサエティに参加。1979年には、灰野敬二のメインのバンドである不失者を結成し、ここにハード・ロックの方法論を導入する。不失者は結成時は白石民夫とのデュオであったが、その後は主にトリオ編成としてメンバーチェンジを経ながら現在も存続している。
1981年、初の渡米を果たし、多岐に亘るミュージシャンと共演。しかし、1983年から1987年にかけて、病気療養のため演奏活動を中止することになる。
1988年、復帰。パーカッションと舞踏によるソロ・パフォーマンスを始め、田中泯とともにヨーロッパ公演を行う。1989年、三上寛(後も共演の機会を持った)、阿部とも共演経験のある吉沢元治とともに作品をつくる。
1990年、法政大学で不失者による初のコンサートを開く。以後、このコンサートは学生会館の閉館まで年末の定例公演として継続していた。1991年にはニューヨークで公演。以後、毎年のように北米やヨーロッパ各地で、不失者あるいはソロとして精力的な公演をする。
1995年、三上寛、石塚俊明とバサラを結成する。「阪神大震災被災者のためのコンサート」にも参加。また、阿部薫と鈴木いづみを描く映画『エンドレス・ワルツ』に本人役で出演。1997年には、徳間ジャパンより初のメジャー進出となる作品を4枚同時にリリースする。1998年には「哀秘謡」を結成。このグループでは、ローリング・ストーンズからグループ・サウンズ、童謡まで、多彩な曲を新解釈で「あるべき姿にして」演奏している。
2004年、秋田昌美ときくりを結成。
他に結成したグループとしては、鬼怒無月、勝井祐二とのBlack Stage、ルインズとのニード、同じく吉田達也とナスノミツルとの連名ユニットから発展したサンヘドリン、滲有無(ソロプロジェクト)、レック(フリクション)とPILL(Lip Cream)とのHEAD RUSH、ナスノミツル、一楽儀光との静寂がある。
不失者はドラマーである高橋幾朗脱退以降、後任ドラムが決まらず、灰野敬二自身が叩いたドラムをサンプラーでループさせたり、ドラムの音なしでベースの小沢靖とのデュオとして活動していたが、2005年を境としバンド(あるいはデュオ)形態での活動は休止状態となった(ごくたまに灰野ひとりで不失者名義の演奏をすることはあった)。2008年、長年不失者のベーシストであった小沢靖が2月7日朝方に肺がん・肺気腫のため死去。
2008年、元NORDの伊藤まくと「沙無座(ザムザ)」を結成。
2011年からアメリカのドゥームメタルバンドSunn O)))のStephen O’Malleyと、実験音楽家として名高いオーストラリア出身のマルチミュージシャンOren AmbarchiとNazoranaiを結成
2012年、ナスノミツル、高橋幾郎と共に9年ぶりに不失者としてアルバムをリリース。7月には、ミュージシャン・灰野敬二を主題としたドキュメンタリー映画『ドキュメント灰野敬二』(監督・白尾一博)が公開。11月には、ロングインタビュー、完全ディスコグラフィーなどを収載した初の著書『捧げる 灰野敬二の世界』を発売。12月、一楽の持病悪化により静寂の解散が決定、ラストライブを行った。
2013年、DJ灰野敬二としては初となるミックスCDをBLACK SMOKER RECORDSより発表。また、亀川千代(ex.ゆらゆら帝国)、Ryosuke Kiyasu(SETE STAR SEPT , Kiyasu Orchestra)と共に不失者としてアルバムをリリースした。12月、R&Bをカバーするプロジェクトとして、川口雅巳、山崎怠雅、宮崎理絵、藤掛正隆らとHardy Soulを結成。
2016年2月、MARC JACOBSの2016年秋冬コレクションのランウェイショーに楽曲を提供し、8月からの同広告キャンペーンヴィジュアルに起用される[6]。6月には川口雅巳、山崎怠雅、なるけしんご、片野利彦らとロックカバーバンドHardy Rocksとして高円寺HIGHでワンマンライブを行う。
発売年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1981年 | わたしだけ? | |
1990年 | 滲有無 | |
1992年 | 慈 | |
1993年 | 天乃川 | |
Execration That Accept to Acknowledge | ||
1994年 | Guitar Works | |
Beginning and End, Interwoven | ||
運命への挑戦 A Challenge to Fate | ||
1995年 | 魂の純愛 | ロスト・アラーフ、不失者の音源を含む『わたしだけ?』以前の未発表作品を収めたボックス・セット |
Tenshi no Gijinka(天使の擬人化) | ||
I Said, This Is the Son of Nihilism | ||
手風琴 The 21st Century Hard-Y-Guide-Y Man | ||
1996年 | The Book of "Eternity Set Aflame" | |
Saying I Love You, I Continue to Curse Myself | ||
1997年 | So, Black Is Myself | |
息をしているまま | ||
黒き祈りは在る 黒き祈りは本当に在る ほら ここに | 限定音源 | |
1998年 | こんなになってもまだ考えている The 21st Century Hard-Y-Guide-Y Man |
|
2001年 | Abandon All Words at a Stroke, So That Prayer Can Come Spilling Out (一度すべての言葉を捨てよう、祈りがあふれて来られるように) |
|
2002年 | まずは色を無くそうか!! | |
2003年 | "C'est parfait" endoctriné tu tombes la tête la première (真っ逆さまに落ちてゆく洗脳された「これでいい」) |
|
光 闇 打ち溶け合いし この響き | ||
ここ | 限定音源 | |
2004年 | Black Blues (soft version、violent version) | |
Next Let's Try Changing the Shape | ||
2005年 | 宇宙に 絡みついてる 我が痛み | |
この気配 封じられてる 創まりに | ||
Reveal'd to None as Yet - An Expedience to Utterly Vanish Consciousness While Still Alive |
||
2006年 | やらないが できないことに なってゆく | |
2008年 | こいつから 失せたいための はかりごと The 21st Century Hard-Y-Guide-Y Man |
|
2011年 | Un Autre Chemin Vers L'Ultime | |
2012年 | 「ドキュメント 灰野敬二」サウンドトラック | 不失者で2曲、灰野敬二で1曲収録、限定音源 |
2020年 | 黒の意味 義務より礼儀 正しくすべてよりも速くなってしまって 光の中に産み落とされることのなかった微笑 |
|
Mark Knopfler’s Guitar Heroes – Going Home (2024年)
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