日本のシンガーソングライター (1966-) ウィキペディアから
山根 康広(やまね やすひろ、1966年8月16日 - )は日本のロック・シンガーソングライター、編曲家[1]。1993年、メジャー・デビュー。独身。
山根 康広 | |
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生誕 | 1966年8月16日(58歳) |
出身地 | 日本,大阪府堺市北区 |
ジャンル | ロック |
職業 | シンガーソングライター・編曲家 |
担当楽器 | |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル |
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事務所 | 未来らんど (MIKI LAND) |
公式サイト |
YASUHIRO YAMANE OFFICIAL WEBSITE "STYLE" YouTube OFFICIAL CHANNEL |
1985年大阪府立狭山高等学校卒業後、大阪芸術大学環境計画学科(現・環境デザイン学科)卒業[2]。1989年村中伸一とバンド「BE FREE」結成[2]。1991年解散。その後、バンドは再結成するが、山根はソロに転向[2]。
平日は会社勤め、週末は音楽活動の生活を送る[3]。バンド・スタイルでのデビューを希望していたが、なかなか意に叶わず、会社勤めをしながらその機会を待っていた[4]。村中が編曲したデモテープが日本クラウンの目に留まり、1993年1月21日にメジャー・デビュー。デビュー曲「Get Along Together」が有線放送を通じ、大ヒット。7月20日付で会社を退職、音楽活動に専念[5]。12月「第35回日本レコード大賞」最優秀新人賞受賞、翌年「第45回NHK紅白歌合戦」出場。
楽器はピアノ、ギター、ドラムなど演奏が出来る(ピアノは幼少時から習っていた)。デビューから全楽曲の作詞・作曲・編曲を自身で担当する。大阪府出身ということもあり、ラジオで話す時やブログでは大阪弁を使う。血液型不明。
現在レコード会社を移籍しながらも精力的に楽曲制作・ライブ活動を続けている。韓国のグループ「sg WANNA BE+」の音楽プロデュースを担うなど、活動範囲を広げている。
「Get Along Together」「恋という名の翼」のヒットにより山根は一般的にバラード・シンガーのイメージを持たれているが[6]、「Everyone」「少年」「BOYS&GIRLS」「be-ALIVE」「MADE IN "J"」等、多数のロック曲を制作しており、ライブではバンド・スタイルでビート曲を披露することも多く、山根の音楽のルーツは70年代のアメリカ・イギリスの洋楽ロックである。[7]
学生時代からディープ・パープルなどのコピーをすることでバンドの楽しさを知り、1970年代、1980年代のハードロック、ブルース・スプリングスティーンやイーグルスにのめり込む。そのため現在に至る山根の曲の世界観やバンドサウンドのアレンジ面などは、それらの影響を大きく受けている[8]。その一方で、松田聖子の大ファンであり、ポップでキャッチ―な部分に関して多大な影響を受ける。10代の頃、ベッドの横に大きな松田のポスターが貼ってあったという。
2010年7月29日にザ・プリンス パークタワー東京で執り行われた市川海老蔵・小林麻央の結婚披露宴に招聘。市川のたっての希望。自身の「Get Along Together」を来賓の前で歌唱[9]。
実家は、大阪府堺市百舌鳥八幡駅前でスタジオヤンタ鹿鳴館を経営していた(今は廃業)。ちなみにヤンタとは本人のニックネーム[2](ファンからは、やんたん、やんやん、やんちゃんと呼ばれることもある)。
(1以外はファンクラブにて発売)
(ファンクラブにて発売)
(1,2,8,9以外はファンクラブにて発売)
オフィシャルファンクラブ「MOTHER(マザー)」1994年6月発足。
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