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日本の歌人 ウィキペディアから
小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
『古今和歌集』序文において六歌仙の一人に挙げられており、文屋康秀や僧正遍昭、凡河内躬恒、在原業平、安倍道行、小野貞樹らと和歌の贈答を行っている[1]。
出自は明らかでないが、通説では出羽国郡司小野良真の娘とされている[1]。ほかに、小野篁自身の娘[2]、あるいは小野滝雄の娘[3][4]とする説もある。
「小野」については地名とする説や氏姓とする説があるが、氏姓とする説が有力である[3]。その論拠として大江朝綱「男女婚姻賦」(『本朝文粋』巻第一)に小野小町の氏姓を省略した例がみられ、このような氏姓の省略が多くの文書で見られるのに対して地名は省略しないことが挙げられる[3]。
「小町」については、民俗学の立場から小野氏の采女がもつ世襲の霊媒職名とする説、後宮に仕える女性の通称とする説、本名であるとする説がある[3]。この論点については勅撰集である『古今和歌集』や『後撰和歌集』にみえる小野小町の姉や孫(ただし『後撰和歌集』では伝本によって姉が従姉になったり孫が姪になったりしている)を根拠として挙げるものもある[3]。一説には小町姉が実在するという前提で、出羽国の郡司の小野一族の娘で姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説がある[5]。
『続日本後紀』で承和九年正月八日に正六位上を授けられたとされる小野吉子と関連づける説もあり、小野吉子と同一人物であるとする説(角田文衛説)や小野吉子は姉の「小野の町」なる人物にあたるとする説(岡一男説)がある[6]。この角田説や岡説では『古今和歌集』の「三条町(紀静子)」や「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」と「町」を同様に論じるが、両者は地名に由来すると考えられ氏姓名の小野小町とは同様には論じられないとする異論もある[3]。
一方、勅撰集の作者表記の例や、先述の勅撰集の姉や孫の表記(「小町が姉」や「小町が孫」)のような例では前部に実名がくる(「~が母」の場合には前部に実名がくる)ことから「小町」は本名であるとする説がある[3]。
前述の秋田県湯沢市小野には晩年に住んだという伝承のある岩屋堂遺跡がある[7]。また、京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年ここの随心院で過ごしたとの説がある[14]。
なお、亡くなったとする伝承のある地に小町の墓がある例もある(茨城県新治郡新治村小野(現土浦市)など)[11]。以下の墓所を参照。
小野小町の物とされる墓も、全国に点在している。
日本では一般にクレオパトラ、楊貴妃と共に小野小町が「世界三大美人」(または世界三大美女)の一人に数えられている。小野小町の代わりにヘレネー、楊貴妃の代わりに虞美人を加える場合もある。
明治中期、日本国内でナショナリズムが高まると、世界三大英雄(カエサル、ナポレオン、織田信長)ら日本人を世界の偉人にしようという動きが生まれ、小野小町もメディアに登場するようになったのが始まりとされている[19]。
『古今和歌集』の18首や『後撰和歌集』の4首など勅撰集に六十数首の和歌が収められている[1]。また『小町集』が伝わる[1]。ただし、これらの中には他人の歌や後人の偽作も含まれているともいわれる[1]。歌風は情熱的で奔放な恋歌であり、そこから小野小町に関する多くの説話や伝説が生み出された[1]。
— 『古今集』思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ
かぎりなき思ひのままに夜もこむ夢ぢをさへに人はとがめじ
夢ぢには足もやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなく明けぬるものを
人にあはむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり
秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば
— 『小町集』ともすればあだなる風にさざ波のなびくてふごと我なびけとや
空をゆく月のひかりを雲間より見でや闇にて世ははてぬべき
宵々の夢のたましひ足たゆくありても待たむとぶらひにこよ
次の歌からも美女であった事が窺える。これは、百人一首にも選ばれている。
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に — 『古今集』
小野小町を題材とした作品を総称して「小町物」という。
小野小町を題材にした七つの謡曲、『草紙洗小町』『通小町』『鸚鵡小町』『関寺小町』『卒都婆小町』『雨乞小町』『清水小町』の「七小町」がある。これらは和歌の名手として小野小町を讃えたり深草少将の百夜通いを題材にしたものと、年老いて乞食となった小野小町に題材にしたものに大別される。後者は能作者らによって徐々に形作られていった「衰老落魄説話」として中世社会に幅広く流布した。
鎌倉時代に描かれた、野晒しにされた美女の死体が動物に食い荒らされ、蛆虫がわき、腐敗して風化する様を描いた九相詩絵巻は別名を「小野小町九相図」と呼ばれる。モデルとしては他に檀林皇后も知られ、両人とも「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢ゑたる)犬の腹を肥やせ(よ)」の歌の作者とされた。
六歌仙のひとりとして3話から5話にかけて登場。声を演じたのは遠藤綾。
原作者であり監督の新海誠は、小町の古今和歌集の和歌から着想を得て、この作品をつくったとしている[21]。
- 原文
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。
- 現代語訳
小野小町と深草少将の「百夜通い」の如く、公家の裏切りに傷ついた白拍子への想いを証明しようとした面打師・孫四郎(演 - 名高達郎)は九十九夜を最後に通いは途絶えた。時は流れ、転生した孫四郎は現代の京都で低温科学研究所に勤務する青年・山村三郎(演 - 名高達郎)として幸福な結婚をするが、前世の恋人が死ぬことなく400歳の妖怪「氷女」と化して真夏の上に異常気象で酷暑に見舞われる「きらら坂」に現れて男性を次々と死なせる事件を引き起こし、「百日行」の残り一日を目前にした修行僧・日信(演 - 小林芳宏)や三郎の父・山村孝吉(演 - 芦屋小雁)も犠牲になった。京都府警の早川六助(演 - 遠藤太津朗)は捜査の過程で、記録にあるだけでも戦後から5件も同様の怪事件が起きていることを知り困惑する。更には、妻・民子(演 - 村田みゆき)も「氷女」を目撃したショックで眼が見えなくなり入院してしまう。その一方で、「氷女」の前に非業の死を遂げた日信の怨霊が出没して恨み言をぶつける。真夏の凍死事件の記事を読んだ三郎は父が恋い焦がれた着物デザイナーの九条沙織(演 - 宇津宮雅代)が人間の法律では裁けぬ妖怪だと確信して罠を仕掛け、背後から忍び寄った「氷女」にナイフを突き刺して致命傷を与えるが、彼女は三郎の前世である孫四郎の恋人であり、三郎の妻は沙織の妹の転生だった。死に際、妹を幸せにしてやって下さいと言い残し、沙織は呪われた人生の幕を閉じた。その直後、民子は眼が見えるようになる。
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