刑罰の一覧 (けいばつのいちらん)は、古今東西の刑罰を集め一覧としたものである。「刑罰 」も参照のこと。
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。
身体刑 は、受刑者の身体の一部を傷つける刑罰である。現在ではあまり行われていないが、イラン ・サウジアラビア などイスラム教 の原理主義 の強いところではよく行われている。この中には、かつての日本 で行われていたものもある。
敲刑
被刑者の体躯を杖や棒で叩く刑。ムチ打ち刑。古くから軽犯罪に対する刑として世界的に行われていた。中国や日本の律令制では比較的軽い「笞刑 」とより過酷な「杖刑 」に分かれていた。現代ではイスラム文化圏の国を中心に行われている。シンガポール での例では、3回打たれただけで尻の皮は裂け、大変な苦痛が伴う。回数と打ち方によっては受刑者が死亡する場合もある。また、被刑者に重大な傷害 を負わせたり、死亡させたりした場合は、執行人が罰せられることもあった。
ガントレットの刑
ガントレットの刑(ヨースト・アンマン画、1525年)
中世の西洋の軍隊・アメリカインディアン の社会・西部開拓時代の社会には、棒や鞭を持った兵隊らが二列に並び、その間を逃亡兵や罪人が歩かされ両側から殴られるというガントレット の刑罰があった。
黥刑 (入れ墨刑)
被刑者の体躯(顔面もしくは上腕部が多い)に入れ墨 を彫る刑。日本では『古事記 』『日本書紀 』にすでに見え、江戸時代 にもポピュラーな刑罰であった。(関連項目: 英布 )
烙印(焼印刑)
被刑者の体躯(顔面もしくは上腕部が多い)に烙印 を押す刑。スティグマとも。
断指
被刑者の指 を切る刑。偽証した罪人に行う。キリスト教では、宣誓者は神に指を立てて誓うからである。
刵刑(耳切り刑、フランス語:essorillrment)
軽犯罪に対して行われていた。
初犯に対してはまず左耳を切り落とす、当時は左耳が生殖器と関係していると考えられていたため、犯罪可能性のある血筋を絶やす目的で行われていた。
再犯の場合には右耳を切り落とされた。
フランスでは実際に耳を切り落とす仕事は死刑執行人 が行っていた。
死刑執行人 サンソン はこのような罪人に対して切り落とした後に丁寧に治療を行っていたと伝えられている。
劓 刑(はなそぎ刑)
被刑者の鼻 を削ぐ刑。中国 では殷王朝から記録が見られる。おもに逃亡奴隷に対して再犯を防ぐため行われた。また姦通罪にも適用例がある。中世の日本では、女性に対する死刑の代替となった。アイヌ民族 の間でも姦通を犯した者に執行された。
抉眼
目玉を抉り取る刑。古代に神殿や宮殿等への不法侵入に対して行われた例がある。姦通罪にも適用例がある(ただし女性のみ)。サウジアラビアではポルノなどを観覧した人が執行されたという。
宮刑
男性器を去勢 する刑。「腐刑 」ともいう。文化圏によって、睾丸だけを除去する例と陰茎陰嚢を含めて全陰部を切断する例がある。朝鮮の宮刑は前者、中国の宮刑は後者で、中東には古くから両方がある。古代中国では女性への執行についても規定があったが、詳細が不明で、陰部を閉鎖するという説と本人を監禁するという説とがある。
臏刑
被刑者の足/脚を切り落とす刑。古代中国では逃亡罪の他、偽証罪にもあてられ、公事についての偽証は右足、私事についての偽証(もしくは再犯)は左足を切断した。臏刑は別名「刖 刑」、「剕 刑」ともいうが、いずれも脚そのものを切断する刑だけでなく、膝蓋骨を取り去って歩行不能にする刑、アキレス腱 を断ち切る刑の3種類の意味があり、文字の使い分けは時代によって異なる。アキレス腱を断ち切る刑を受けた者は「踊」というブーツ状の特殊な履物を履けば杖に頼らず歩行可能であった。「臏」の月偏を骨偏にかえた文字が膝蓋骨をさすことから本来は「臏」が膝蓋骨を抜く刑で、非は上下または左右にわける意(「扉」など)があることから「剕」が脚そのものの切断刑またはアキレス腱の切断といい、「刖」の「月」は「欠」と同語源であることから、膝蓋骨の欠損もしくは脚そのものの欠損をさしたと思われるが、早くから混用され、殷 以前の伝説時代について書かれた『書経 』(戦国時代 に成立)の中で、すでに「臏」と「剕」は切断刑をさす場合と膝蓋骨を抜く刑をさす場合とがあり、戦国時代 の「剕」には、脚そのものを切断する刑とアキレス腱を断ち切る刑の両方の意味があった。(関連項目: 孫臏 )
断腕
「断手 」ともいう。被刑者の手 /腕を切る刑。窃盗 に対する罰として行われることが多い。窃盗等の計画犯には右腕(利き腕)を、傷害・暴力等の衝動犯罪には左腕をという規定もあった。イスラム法 にも規定があり、イスラム教国では現在も執行されている。
四解
四肢をすべて切断する刑。「支解 」ともいう。
木枷
站籠
自由刑 は、受刑者の行動の自由を奪う刑罰である。
過去存在した刑罰
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木枷
中国で用いられた首に枷を付ける刑罰。枷鎖 やCangue (en:Cangue )ともいう。
站籠
中国で用いられた刑罰の一種。首を穴に入れ、足が地面に着かないように吊るし、首だけで体重を支えるようにする。立枷 (zh:立枷 )ともいう。
徒罪
かつての日本 での刑罰。現在でいう懲役 にあたるが、徒罪 は1年以上3年以下の範囲で適用された。
「恥辱の樽」のひとつ。ここから頭と足だけ出した姿で広場に立たされる
「タール羽の刑」(1774年)
「晒し台」
肉体的な苦痛ではなく、精神的苦痛を与えることを目的とする刑罰の一種で近代まで行われていた。現代では実施している国は無い。
中世から近代にかけ、ヨーロッパで広く行われた晒し刑 。単独で成立する。共同体のルールを犯した者を、町の広場のさらし台 に縛り付け、それぞれの罪を象徴する「恥辱の仮面」や「恥辱の帽子」、「恥辱のマント」といったアイテムを着けて一定期間晒し者にし、市民の嘲笑を受けさせたもの。頭と足だけ出して身体を樽 で密封する「恥辱の樽 (英語版 ) 」というものもあった。この「恥辱の樽」はのちに手を加えられ、「鉄の処女 」として見世物にされた。
同業組合 の規定を破った親方などは、広場で鳥かご状の檻に閉じ込めて建物などから肥桶の上に吊るし、空腹に耐えかねて自分から肥桶に落ちるまで晒し者にした。
また、手かせ 足かせを着けて、単純に晒し者にする方法もとられた。
タール羽の刑 。近世ヨーロッパやアメリカで暴徒やコミュニティが行っていた私刑。標的の身体に木タールを塗った上から羽毛をつけ、晒し者にする。アメリカでは西部開拓時代 の辺境地でも見られた。
追放刑 は、受刑者の居住地域を制限する刑罰である。
流刑
被刑者を辺地や離島 に追放する刑。日本の遠島や旧ソ連 のシベリア収容所 など。
所払い
被刑者を特定の都市・場所から追放する刑。中世ヨーロッパでは、共同体から森の中へ追放された罪人は「狼人間」と呼ばれ、故人として社会から抹殺された。アイヌ は、罪人のアキレス腱 を切断して原野に追放した。
ガレー船送り
18世紀ドイツで行われた。罪人を追放し、ガレー船 の漕ぎ手として強制労働させる。経費がかかりすぎるのと効果が余りあがらなかったことで、数年間しか続かなかった。
非人手下(ひにんてか)
日本において江戸時代に科せられていた、被刑者を非人 という身分に落とす刑罰。(1)姉妹伯母姪と密通 した者、(2)男女心中 (相対死)で、女が生き残った時はその女、また両人存命の場合は両人とも、(3)主人と下女の心中で、主人が生き残った場合の主人、(4)三笠附句拾い(博奕の一種)をした者、(5)取退無尽 (とりのきむじん)札売の者、(6)15歳以下の無宿(子供)で小盗をした者などが科せられた。
この非人という身分は、徳川時代に、病気や困窮などにより年貢 未納となった者が、村の人別帳 を離れて都市部に流入・流浪することにより発生したものと(野非人)、幕藩権力がこれを取り締まるために一定の区域に居住させ、野非人の排除や下級警察役等を担わせたもの(抱非人)に大別される。地域によって、その役や他の賎民との関係には差異があるが、特に江戸においては非常に下の身分とされ、穢多頭弾左衛門 の支配を受けた。市中引き回しの際に刺又 や袖搦 といった武器を持って囚人の周りを固めるのが彼ら非人の役割であった。当時の斬首刑を描いた図には、非人が斬首刑を受ける囚人を押さえつけ、首切り役の同心が腕まくりをして刀を振りかぶっているような図が見える。
なお、従来の研究では、非人は「士農工商穢多非人 」の最下位に位置づけられることから、最も賎しい存在とされ、非人手下という刑の凄惨ぶりが強調されてきたが、非人と平人とは人別帳の区分の差異であること、非人は平人に復することができたことなどから、極刑を軽減するためにとられた措置であるという見方もある。
奴 (やっこ)
日本において江戸時代に科せられていた、女性を人別帳 から除き、個人に下げ渡し一種の奴隷 身分とする刑罰。引取りを希望するものがあれば下げ渡し、多くは新吉原 などの娼婦 として使役された。古くは、売春を行った者や窃盗を行った者、その他夫や父親の犯罪の縁座 により奴刑に処せられた例が多数見られたが、公事方御定書 において、関所を男に従って抜けようとした者にこの刑が課せられる旨の規定がなされるのみとなった。なお、引き取り手がいない場合は、牢内の使役に使われた。
手鎖 (てぐさり)
江戸期日本で行われた刑罰の一つ。
叱り (しかり)
江戸期日本で行われた刑罰の一つ。
晒し 、不義密通により公衆にさらされる男女『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版[1]
市中引き回し 、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版
他の刑罰に付加される刑罰。単独では成立しない。
獄門 (ごくもん)
江戸期日本の死罪の付加刑。
晒し (さらし)
人通りの多い場所に罪状を書いた高札などと共に長時間放置される刑罰。心中の未遂や生き残りの本来の刑罰は非人手下だが、その前に晒されるのが普通だった。
市中引き回し
江戸期日本の死罪以上の罪人に行われた付加刑で、罪人を馬に乗せ、罪状を書いた捨札などと共に刑場まで公開で連行していく。 時代劇で「市中引き回しの上打ち首獄門」などと言われる物である。
この刑は、強盗殺人 を犯した者に対し適用された。
労働の付加
自由刑の付加刑で、囚人は苦役 を義務付けられる。日本 の佐渡金山送り 、ヨーロッパ のガレー船送り などがある。また寄場送り(よせばおくり)も同様であるが、本来の人足寄場 は無宿者の授産施設であり、犯罪者の更生を目指す施設としては世界で最も初期に作られたものである。その後、油絞りなどの重労働で作業ノルマが科せられるようになると苦役と変わらなくなった。
没収
日本でも適用されていて、日本では主刑の言い渡しに付加して科される刑罰である。
剖棺斬屍
既に死んだ人間を墓から掘り出して首を切る刑。
注釈
戦国時代から江戸時代にかけての日本で行われた「縛り首」は斬首刑のことであり注意が必要である。これは両手を後ろ手に縛ってから首を刎ねたことに由来する。