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アメリカのプロレスラー (1981-) ウィキペディアから
ブライアン・ダニエルソン(Bryan Lloyd Danielson、1981年5月22日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。ワシントン州アバディーン出身[1]。AEW所属。WWEではダニエル・ブライアン(Daniei Bryan)のリングネームで活動していた。アメリカン・ドラゴン(American Dragon)のリングネームでも知られる[2]。
ショーン・マイケルズ主宰のテキサス・レスリング・アカデミー(Texas Wrestling Academy)でトレーニングを積んだ後、1999年10月4日に同アカデミーが運営するインディー団体TWA(Texas Wrestling Alliance)にてデビュー。同年12月、覆面レスラーのアメリカン・ドラゴンとしてFMWに初来日。その後、WWF(現:WWE)とのデベロップメント契約を経て、新日本プロレスLA道場でトレーニングを積んだ。
2002年10月、新日本LA道場軍として新日本プロレスに初参戦、2004年3月にはカレーマンとのタッグチームでIWGPジュニアタッグ王座を獲得した。
2006年12月、ROH世界王座としてプロレスリング・ノアに来日。2008年9月14日、金丸義信を破ってGHCジュニアヘビー級王座を奪取した。本国アメリカでは、ROHレスリング・スクールのコーチを務めながら、ROHのトップレスラーとして活躍し、プロレスリング・ノアのKENTAや丸藤正道とも対戦している。また、ノアのリングにはROHのリングでも使っている本名のブライアン・ダニエルソンのリングネームで上がった。
2009年にROHと契約が満了し、WWEと契約。契約開始までの間はチカラやDRAGON GATE USAなどの団体にフリー参戦した。WWEに昇格と同時にリングネームをダニエル・ブライアンと改め、2010年2月の新番組NXT開始により「ルーキー」の一人として登場、初回から世界ヘビー級王座王者のクリス・ジェリコとシングルマッチを行った。その後は連敗を重ねたものの「プロ」による投票で1位を獲得した。しばらくした後、最下位脱落のかかったプロによる二回目の投票が行われる前週にマット・ストライカーがルーキー達に「翌週落とされるのは誰だと思う?」と質問した際、それまでNXTにおいて全敗していることから自分自身が落ちるべきだと発言、同様の発言をしたマイケル・ターヴァーとともに「自信のない人間はWWEに必要ない」というWWE上層部の判断でプロ投票とは別で脱落することとなった。この時のインタビューでブライアンは「"ダニエル・ブライアン"は消えるが、"ブライアン・ダニエルソン"はどうかな?」と意味深な発言をした。その後は(ルーキーとしては脱落したものの)NXTにおいて自身をこき下ろす実況を繰り返したマイケル・コールに怒りの矛先を向け、コールと抗争を展開するというアングルが用意され、NXTのスキットなどで抗争を繰り広げた。それはコールが実況を担当するRAWにも波及し、RAWではマット・ストライカーや『師匠』役のザ・ミズまで巻き込んでの抗争のストーリーを展開した。その後シーズン1が終了した結果、6月7日のRAWでネクサスが誕生し、他の7人と共にリングやその周辺で大暴れ。しかし6月11日、突然WWEから解雇が発表された。レスリング・オブザーバーに掲載されたリポートで本人が語ったところによると、ネクサスとしての破壊行動中、リングアナウンサーのジャスティン・ロバーツの首をネクタイで締め上げたことが放送コードに抵触したことが、解雇された理由とのことである。
その後アメリカインディーでのマットを主体にするかと思われたが、8月16日WWEのPPV、サマースラムで電撃復帰、勝利に貢献。復帰後は、元「師匠」であったミズと抗争を繰り広げ、9月19日に行われたナイト・オブ・チャンピオンズでミズを破りUS王座を獲得。10月のブラッギング・ライツでは、RAW代表としてSmackDown!代表でIC王者のドルフ・ジグラーと闘い勝利し、この試合がきっかけでジグラーとは抗争することになったが全勝を収めた。11月に二年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングトーナメントでは予選でテッド・デビアスを破るが、1回戦でアルベルト・デル・リオに敗れた。
NXTシーズン4ではデリック・ベイトマンを指導するプロとして登場した(NXT出身者がプロになったのは唯一ブライアンのみ)。
3月、シェイマスによってUS王座を奪われ、レッスルマニア27のダーク・マッチにおいて再戦するが、ランバージャックの暴走により試合は流れた(結局バトルロイヤルに変更され、グレート・カリが優勝)。
4月末に行われた追加ドラフトでスマックダウンに移籍した。その後コーディ・ローデスとの抗争を経て、マネー・イン・ザ・バンクで優勝し、王座へ挑戦する権利を翌2012年のレッスルマニア28で行使する事を公約したが、11月25日のスマックダウンにおいて、ビッグ・ショーとマーク・ヘンリーの世界ヘビー級王座戦後の乱闘時に登場して同権利を行使した。この権利行使はヘンリーが試合続行不可能とされたために無効となったが、同日のメイン戦でランディ・オートン、コーディ・ローデス、ウェイド・バレットとの王座挑戦を賭けた4ウェイ戦が行われることとなり、その試合に勝利し、ヘンリーへの挑戦権を獲得。金網戦にて戦うが惜敗した。
12月に開催されたTLC・PPVにおいて、ショーとヘンリーの世界ヘビー級王座戦後の乱闘に登場し、新王者ショーに対してマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使して世界ヘビー級王座を獲得した。翌々週の再戦において、ヘンリーが邪魔をしたことで反則勝ちし王座を防衛。両手人差し指を空に突き上げ「YES!」を連発するパフォーマンスを開発したのは、この頃である。さらに翌週、ショーとの王座再々戦にてセコンドについた恋人のAJがショーと衝突したことから、ショーを一方的に非難し、ヘンリーを含めた三つ巴抗争開始と同時にヒールターンした。
1月にはロイヤル・ランブルPPV、2月にはエリミネーション・チェンバー・マッチにおいて王座防衛に成功するが、3月にロイヤル・ランブルを制したシェイマスが世界ヘビー級王座への挑戦を表明し、抗争を開始した。4月のレッスルマニア28にて行われた防衛戦では、試合開始直後恒例のAJとのキスの隙を突かれブローグ・キックを食らい、試合時間わずか18秒で王座から陥落してしまう。このことからAJに対して一方的な別れを告げる。そして同月に行われたエクストリーム・ルールズの三本勝負において再度シェイマスに挑戦したが惜敗、同王座路線から退いた。
2012年5月、ビート・ザ・クロックにおいて優勝。CMパンクの所持するWWE王座への挑戦権を獲得し、パンクとの抗争を開始した。AJや、時にはケインも巻き込み抗争を続けたが、7月のマネー・イン・ザ・バンクPPVでの試合に敗れ、抗争は終了した。
8月はサマースラムにてケインに勝利するが、その1週間後の8月27日放送のRAWにて、GMとなったAJの指示により抗争相手のケインとともに「アンガーマネジメント」(日本語字幕では「怒り抑制セラピー」)に参加することになってしまう。その流れでタッグを結成することになり、9月10日放送のRAWでタイタス・オニール&ダレン・ヤング組とWWEタッグ王座の挑戦権を賭けて対戦。ところが試合中に仲間割れを起こしてしまい、ケインにチョークスラムで投げ捨てられるも、ヤングの上に覆いかぶさる形になったためフォール勝ちとなりタッグ王座の挑戦権を獲得。ナイト・オブ・チャンピオンズでコフィ・キングストン&Rトゥルースと対戦した時も、試合中に再び仲間割れ。トップロープに上ったケインを突き落とすが、落とした先が倒れていたコフィだったためそのままカバーしてフォール勝ち。結果的にタッグ王座を獲得した。ファン投票によりタッグ名を「Team Hell NO(ヘル・ノー)」とし、様々な敵から王座を防衛し、ローデス・スカラーズやシールドとの抗争をしていくうちに徐々にベビーターンしていく。
レッスルマニア29においてドルフ・ジグラー・ビッグ・E・ラングストン組と王座戦を行い、ケインのチョークスラムを喰らったジグラーにダイビング・ヘッドバットを喰らわせて勝利、会場中が「YES!」チャントを巻き起こした。
その後はジ・アンダーテイカーをも巻き込んでシールドとの抗争に戻り、戦うが劣勢が続き、5月、エクストリーム・ルールズのトルネード式王座戦にて敗れ王座を失った。その後、ケインやオートンと共にシールドと戦い、その中で負けが目立ち、かつてローデス・スカラーズに言われた「チームの弱点」という言葉に劣等感を覚え、焦り凶暴化し始め、ケインやオートンとも口論が絶えなくなる。その後Smackdown!にて、オートンとのノーDQ戦での試合中、ダメージを受けて医師の判断で試合中止、敗戦に。自らの実力を示したいブライアンは次のRAWで再度オートンと対戦。今度はカウントアウトで勝つが納得することができず、またもノーDQ戦を行いオートンをタップさせるという驚くべき勝利を果たす。
WWE王座用のオールスター・マネー戦へも出場したが、惜しいところで優勝を逃した。しかし翌日RAWにて、サマースラムでのWWE王座戦の挑戦者を自由に選ぶ権利を得たジョン・シナが権利をファンにゆだねると、ファンが「YES!」チャントを繰り広げたことで、ブライアンが挑戦者となる。サマースラムにおいての試合は激戦となったがブライアンが制し、初のWWE王座に輝いたものの、直後に特別レフェリーのトリプルHの攻撃に遭い、さらにオートンがマネー権を行使。王座を失い、そのままオートンのみならずトリプルHの派閥オーソリティーとの抗争が始まった。権力に物を言わせた敵のやり方に苦しめられながらも9月、ナイト・オブ・チャンピオンズPPVでオートンから王座を取り戻した。かに見えたが翌日、レフェリーが高速でカウントをとったことを共謀と決め付けられ、王座を剥奪された。10月6日のバトルグラウンドでリマッチが行われるも、ビッグショーの乱入によりノーコンテスト。10月27日、ヘル・イン・ア・セル(PPV)で3度めの対戦が組まれたが、乱入して来たトリプルHを攻撃してしまったため、彼の友人であり、この試合の特別レフェリーを務めていたショーン・マイケルズにスウィート・チン・ミュージックをお見舞いされたことで、オートンに敗れた。翌日のRAWで弁明したマイケルズを締め上げたが、直後ワイアット・ファミリーからの暴行を受けたことで、CMパンクと共にそのまま抗争に移行。しかしパンクがシールドとの抗争に入ってしまったことで一人での戦いを余儀なくされる。仲間になるよう誘われつつもTLC・PPVにおいて3対1のハンディ戦を行うも、敗戦。翌日のスラミー賞発表会において、スーパースター賞をはじめ数々の受賞をした。ワイアット達とはさらに抗争は続き、大晦日RAWのガントレット戦にて叩き伏せられ(試合自体は反則含め全勝)てついにファミリー入りを宣言し、ワイアットらに連れられ会場を去った。
ワイアット・ファミリーに入ったブライアンは、服装もそれらしいものとなり、ワイアットの指示に従うことに。試合後に相手選手に暴行をしたり、ワイアットの必殺技を自ら受けるなどの奇怪・凶暴な行為を続けていく。その後ワイアットとのタッグで、ウーソズとの金網式タッグ戦を戦い、その試合で敗れると、ワイアットに反抗し滅多打ちにしてしまうと、次週のRAWにて、ファミリーへの加入はすべてワイアットに対抗するための作戦だったと説明した。ロイヤルランブル2014内で行われたワイアットとのシングル戦に敗退し、抗争は終結。
ロイヤルランブル明けよりトリプルHとの抗争を再開。エリミネーション・チェンバーPPVでのWWE世界ヘビー級王座を賭けたチェンバー戦でもオーソリティーの介入によって敗れたことで苛立ちが募った結果、レッスルマニア30におけるトリプルHとの対戦を要望するようになり、3月10日のRAWにて、大勢のファンと共にリングを占拠。会場とリング上をジャック。「ブライアン対トリプルH」と、「ブライアンが勝てばメインイベントのWWE世界ヘビー級王座戦に加われる」よう要求し、それを了承させた(その後トリプルHは「試合の勝者が王座戦に加われる」と改訂)。
4月6日のレッスルマニア30にてトリプルHを破り、メインイベントのWWE世界ヘビー級王座を賭けたトリプルスレットマッチに進出。バティスタからタップアウトを奪い、WWE世界ヘビー級王座を奪取した。
4月11日、アリゾナ州セドナでブリー・ベラと結婚式をあげた。
4月21日のRAWにて、ステファニー・マクマホンより「結婚祝いのプレゼント」として、エクストリーム・ルールズPPVでのケインとの王座戦を決定したと告げられた。その直後ケインに襲撃され、場外・リング脇の金属製のステップの上・実況アナブースのテーブルの上の3箇所でツームストン・パイルドライバーを見舞われ首を破壊されてしまう。(実際は、長年の勤続による疲労が蓄積しドクターストップがかかり手術も決まっていたため、ケインに襲撃されるストーリーが組まれた)。
5月、エクストリーム・ルールズPPVにてケインと防衛戦を戦い、勝利したが、フォークリフトのリフトの先からダイブ技を放った際にさらに首の負傷を悪化させ、緊急手術を行うことになる。5月12日のRAWにて、そのことをファンに伝えたが、直後にケインに襲撃され救急車で搬送され退場。その際妻のブリーとステファニーの間に不穏な空気が流れた。その後5月15日に手術を受けた。
5月26日のRAWにてステファニーが権力を振るい、WWE王座を返上しなければブリーを解雇すると告げた。回答期限は6月1日のPPVペイバックとした。当日ブライアンは王座返上を決意しかけたが、ブリーが現れステファニーにビンタを見舞い自ら退団を表明し夫の王座を守った(後にブリーは復帰)。しかしその翌日のRAWにて、ブライアンの試合復帰目処が立たないことを理由にWWE王座の剥奪が決定、王座を失うこととなった。
6月29日、マネー・イン・ザ・バンクPPVのキックオフショーに登場。当初は6月中(このPPV)の復帰の予定であったが術後の回復が良くなく、右手の握力が戻らない状態であることから復帰は未定、再度手術を受けることも検討中と答えた。10月、右腕に力が入らない症状であると再判明しトミー・ジョン手術を受ける可能性があると公表された[3]。故障後、サバイバー・シリーズ後のRAWなどにゲストGMとして番組に登場していた。12月29日のRAWにて、復帰宣言を行い、ロイヤルランブルの出場を表明した。
1月17日のスマックダウンで試合復帰、25日のロイヤルランブルのランブルマッチで10番目に登場したが、ブレイ・ワイアットにより退場させられた。3月29日、WrestleMania 31にて7wayラダーマッチによるIC王座戦に出場。最後にはラダー上でジグラーとのヘッドバット合戦を制して勝利し、ベルトを奪取した[4]。これにより、WWEの現存タイトルをすべて獲得した。4月26日のエクストリーム・ルールズPPVではバッド・ニュース・バレットとの王座防衛戦が予定されていたが、直前のハウスショーでの負傷でキャンセルとなり、治療に専念していたが回復が思わしくなく、5月11日のRAWの番組上で王座の返上と無期限の療養に入ることが発表された。
2月8日、自身のTwitterで「医療上の理由」により引退することを発表。また、同日にはRAWにも登場。妻であるブリー・ベラを始めとする家族、選手、スタッフ、ファンに感謝を示し、度重なる脳震盪による引退を表明。同時にブリーが妊娠していることも明かした。最後は自身のトレードマークである "YES!" で観客と一体となって行いリングを後にした[5]。7月、スマックダウンのGMとして復帰した。また、その後に元「師匠」であったザ・ミズが彼の技や動きのマネをするようにもなる。
3月20日のSmackDown Liveにて、外部の著名な脳神経外科医や脳震盪専門医ら3名、およびWWEの専属医師であるジョセフ・マルーン氏より試合復帰の許可が下りたことを、本人自ら発表した[6]。4月8日、レッスルマニア34にてシェイン・マクマホンと組んでケビン・オーエンズ & サミ・ゼインとのタッグマッチで復帰戦を行う。しかし試合前にオーエンズとゼインに襲撃を受け動けなくなり、シェインが孤立。終盤に試合に復帰してゼインにキックの連打を見舞い "YES!" チャントを起こし、最後にイエスロックで極めてギブアップを奪い勝利した[7]。6月26日、SmackDown Liveにてハーパーと対戦。しかし、試合中にハーパーのパートナーであるローワンに介入され反則裁定になるが、尚も攻撃を続ける両者に対して入場口よりケインが登場。協力してブラジオン・ブラザーズを追い払い抱擁を交わす。GMであるペイジが現れ、2013年以来となるチーム・ヘル・ノーの再結成と同時に7月15日に開催するExtreme Rules 2018でWWEスマックダウンタッグ王座を保持するブラジオン・ブラザーズとの王座戦を行う事を発表された[8]。7月15日、Extreme Rules 2018にてWWEスマックダウンタッグ王座を保持するブラジオン・ブラザーズ(ハーパー & ローワン)に挑戦。試合前にケインが襲撃を受けた為に一人で試合に挑む事になり苦戦が続く。中盤にケインが駆けつけるも左脚を痛めた状態であり試合を覆す事ができずに最後はローワンのスピンキックから合体技を決められ敗戦した[9]。11月13日のSmackDown Liveにて、WWE王座を保持するAJスタイルズに挑戦。終盤にスタイルズのフィニッシャーであるフェノメナール・フォアアームを避けて背後にいたレフェリーに誤爆させ、レフェリーが倒れている隙を突いてローブローからニー・プラスを決めて勝利し、ベルトを奪取する[10]。翌週のSmackdown Liveにて、自らを「"ニュー"ダニエル・ブライアン」と名乗り、6年ぶりにヒールターンした。その後、かつての仲間であったローワンと組み、スタイルズとの抗争に入る。
年が明けてからも、様々な相手から王座を防衛してきたが、4月のレッスルマニア35において、その間唯一苦戦を強いられた相手であるコフィ・キングストンに激闘の末敗れ、王座を失った。
5月7日、SmackDown Liveで空位となっていたWWEスマックダウンタッグ王座を巡り、ローワンとタッグを組んでウーソズと王座戦を行う。相手のスーパーキックの乱発に苦しむが、場外戦からローワンがジェイ・ウーソをリングに上げてスーパーキックを防ぎ、アイアンクロー・スラムを決めて勝利。王座を戴冠した[11]。
9月5日、AEWのリングに登場した[12]。
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