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日本の女優、歌手、タレント (1978-) ウィキペディアから
雛形 あきこ(ひながた あきこ、1978年〈昭和53年〉1月27日 - )は、日本の女優[1]、タレント、元グラビアアイドル。所属事務所はhina。
東京都江戸川区生まれで、両親と弟の4人家族[2]。小学4年生の頃に、父親の出奔に伴い東京都足立区西新井へ転居し、それ以降母子家庭として育つ。足立区立興本小学校卒[3]、足立区立扇中学校卒[4][5]、東京都立江北高等学校(定時制)中退。
1992年、中学2年の時にドラマ『おべんきょう』(TBS)で女優デビュー[6]。当時は本名の「明子」名義であり、劇団東俳に所属。劇団時代にイエローキャブ(当時)社長の野田義治に見出され、自宅でスカウトされる。雛形という苗字がめずらしかったので野田は電話帳で自宅を調べて、押しかける形となった。本人曰く「人さらいが来たと思った」。
15歳からグラビア活動を開始し、それ以降数多くのグラビア誌で表紙を飾る[2]。1994年、フジテレビビジュアルクイーンに選ばれる。同年、第10回日本メガネベストドレッサー賞・特別賞を受賞。1996年、第33回ゴールデン・アロー賞グラフ賞受賞[注釈 1]。1997年、スクーバダイビング関連会社のイメージキャラクターとして、プロのモデルダイバーを務める。また1996年と1997年の11月に、テレビ朝日『27時間チャレンジテレビ』のニュースチャレンジステーションのキャスターにも挑戦した。
1995年より『めちゃ²モテたいッ!』にレギュラー出演し、後継番組である『めちゃ²イケてるッ!』も併せて22年間レギュラー出演した。1998年に20歳で最初の結婚をしたのを機にグラビアを卒業し[2]、その後は女優業へシフトするようになりイエローキャブから有限会社サンズへ移籍。
2004年、イエローキャブ・サンズ分裂時のお家騒動では野田義治について行き、株式会社化されたサンズエンタテインメントに引き続き所属。
2008年、東京都交通局日暮里・舎人ライナーの開業へ向け、「地元出身応援団」の1人に選ばれる。
2024年1月15日、所属事務所サンズエンタテインメントからの独立をインスタグラムで報告[7][8]。以後は同社が設立する新会社「Thanks」との業務提携により活動を行う[7]。
身長164センチメートル。血液型はA型。愛称は「ヒナ」など。
家庭を大事にし、どんなに忙しくても食事の支度をしているという。
好きな食べ物はざくろと唐揚げ。また甘いものやお菓子が好きであり、大量にお菓子を買い込んだり、普段の食事代わりに3食お菓子やデザートだけで過ごす日もあるという[9]。また、好きな和菓子を物色しに自家用車を飛ばしてわざわざ神奈川県の鎌倉まで行く事もある。反対に嫌いな食べ物は白いご飯と豆腐で、本人は「(味のない食べ物の存在する)意味がわからない」としている。
『ダウンタウンDX』の"芸能人目撃情報"のコーナーで、視聴者から「雛形さんが渋谷のカフェで消しゴムを噛んでいた」という投稿があった。これに対し本人は、「MONOが一番美味しいんです。歯に食い込む感じがたまらなく好き」という発言で共演者を驚かせた。放送後のブログでは、日頃噛んでいるというMONOの消しゴムが写真付でアップされた[10]。
大竹まことのラジオ(下記)に生出演した際、「不幸な匂いのする女」と大竹が自己のイメージを繰り返し述べたことに対し、アシスタントの光浦が、「手作りパンの教室に通っていますよね。すべての教室の中で、手作りパンこそが最高の幸せの象徴」と私生活を明かし、雛形本人も「うちでパンが焼けたらいいな、と思いまして」と語りその事実を認めた。一方、飽き性であり新世紀エヴァンゲリオンにはまったり、畑にはまったりといろいろやっているがすぐに投げ出してしまう。パン教室にも同じめちゃイケメンバーの大久保を誘ったはいいものの、すぐ辞めてしまった。
子供のころは母に勧められて習い始めた日本舞踊が好きだったため、師範になって日舞の教室を開くことが将来の夢だった[2]。
1998年5月、CMディレクター山本一磨と結婚。2000年5月11日に長女を出産すると、ママ友仲間に助けてもらいながら仕事と子育てを両立した(ちなみにママ友仲間とは、現在〈2021年11月〉もとても仲良くしているという)[2]。2003年11月28日に離婚。
2010年、『水戸黄門』レギュラー出演。同年7月2日発売の週刊誌「フライデー」にて、俳優の天野浩成との熱愛が報じられ、自身のブログでは「報道の通り、仲良くさせていただいています」とコメント。2013年3月25日、天野と結婚。この天野との結婚に際しては天野側が雛形姓に改姓したことが2018年になってから明らかにされた[11]。
この再婚では結婚式はしなかったが、お互いの親族を伴ってハワイに行った。この時義母からサプライズプレゼントとしてウエディング写真の撮影をしてもらい、後年本人は「ものすごく嬉しかった」と感想を述べている[2]。
元々明るい性格だったが、先述の通り小学校4年生の頃に家庭の事情で引っ越したことや、転校による環境の変化にすぐに馴染めず引っ込み思案な性格になった。そんな中唯一の救いだったのが同じマンションに住む女の子の存在で、当時彼女が劇団東俳に所属していたことからその後雛形も所属することとなった。「この子とできるだけ一緒にいたい」との思いから劇団に所属したため、それまではテレビを見ても芸能界に憧れたことも特定のタレントや歌手に憧れたことも一切なかったという[2]。
中学2年生のころに出演したドラマ『おべんきょう』は、劇団東俳に所属してすぐの頃に受けたオーディションに合格したため、芝居の勉強をほとんどしないままの出演となった。しかし本人は「初めての撮影現場は周囲の大人たちに優しく色々と教えられたおかげで演技に気負うことなく楽しく撮影に臨むことができた。今にして思えば本格的な芝居の勉強をしていなかったのが、私にとっては良かったのかなと思います」と回想している[2]。
15歳のある日「グラビアの撮影をやってみませんか?」と声をかけてきたのが、当時のイエローキャブの社長・野田義治だった。野田から「まずはグラビアで名前を世に出して、その後例えば芝居がやりたいなら、女優になるところまで持っていくから」と説得されて同事務所への所属を決めた[注釈 2][2]。
グラビア活動を始めると、『週刊ヤングマガジン』や『週刊少年サンデー』などさまざまな雑誌や媒体で撮影をした。本人によると、撮影現場はいつも和気あいあいとしていて、カメラマンやヘアメイクらスタッフとの信頼関係がバッチリで、セクシーなポーズも自分なりに楽しみながら臨めたという。当時はグラビア撮影のため数え切れないくらい海外(主に温かい地域にある島)に行っており、一番多かったのはサイパンとのこと[注釈 3][2]。
グラドル時代にマンションで初めて一人暮らしをしたが、当時は撮影で忙しかったため、帰宅後はほぼ寝るだけの部屋だったとのこと。17歳で歌手デビューするまではイベントなどでファンに会う機会がなかった。このため本人は、「当時は自分が世間でどのくらい認知されているのか分からなかった」としている[2]。
グラビアでしていた“雛ポーズ”は、当時のグラビアポーズの代名詞となった。このポーズの誕生のきっかけは、新人だった頃水着でのポーズの仕方が分からず困っていると、カメラマンから「じゃあ、カメラを見ながら立ったり座ったりを繰り返して」と言われた。意味が分からないまま指示通りに撮影に臨み、後日雑誌に載ったその写真を見ると“座っている所から立ち上がろうとして膝に手をついている途中経過の姿勢”が多かった[12]。
ほどなくして野田社長が、このポーズを「胸と顔が印象的に見えるポーズ」として気に入り、雛ポーズと呼ばれるようになった。ただし雛形自身はグラビア活動を初めて1年くらい経った頃に、後輩グラドルから「私にも雛形さんがしている“雛ポーズ”をしてほしいってリクエストがすごいんです」と言われるまで、周りから雛ポーズと呼ばれていることは知らなかったという[注釈 4]。
“女豹のポーズ”は、雛ポーズと同じくらい有名で、雛形が広めたとされる。ただし本人は、「あのポーズは女豹ではなくネコをイメージしたポーズ」としている。当時主演したドラマ『闇のパープル・アイ』で豹に変身する内容だからなのか、後日グラビア撮影時に「豹っぽいポーズをお願いします」と言われた。 しかし豹をじっくり見たことがないためスタッフに「豹ってどんなポーズをするんですか?」と聞いた。彼から「豹はネコ科だからネコでいいんじゃないですか?」と言われたため、“ネコが伸びをしているイメージ”でポーズし撮影した。その後このポーズは、女豹のポーズとしてファンなどの好評を得て、他のグラドルにも広まった[注釈 5]。本人は後年、「グラビア活動は私の原点ですし、どちらのポーズも“雛形あきこ”を世間に認知してもらえた、とても大切なポーズです」と語っている[12]。
『めちゃイケ』で共演したメンバーは、歳を重ねるにつれ仕事でもプライベートでも立場がどんどん変わるのに、この番組の収録の時だけは“番組開始当初の関係に自然と戻る”という不思議な空間だったという[2]。
『めちゃイケ』の放送期間中にフジテレビの本社が新宿・河田町からお台場に引っ越した。完成直前の巨大な球体[注釈 6]にメンバー皆で入って大暴れしてしまい、後で怒られて出禁になったとのこと。他にも『めちゃイケ』ではメンバーと共に、番組の外部の人たちから色々と叱られたそうだが、本人は「今となっては何もかもが懐かしい。あれが私の青春時代だった気がします」と回想している[2]。
事務所側は小室哲哉プロデュースのデビューを望んでいたが、当時すでにアイドルとして一定の評価を受けていた雛形を小室ファミリーという別物のトレンドに乗せてしまうことを小室サイドが憂慮し、小室哲哉の弟子の浅倉大介プロデュースで歌手デビューしたというエピソードがある[要出典]。
すべてビクターエンタテインメントから発売。
発売日 | タイトル | 楽曲制作 | 最高位 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1st | 1995年8月2日 | 笑顔の予感 | 作詞:井上秋緒 作曲:浅倉大介 編曲:浅倉大介 |
28位 | |
2nd | 1995年11月1日 | Wonder Girl | 作詞:麻倉真琴 作曲:浅倉大介 編曲:浅倉大介 |
54位 | |
3rd | 1996年2月2日 | 揺れる恋 乙女色 | 42位 | カップリングには「Kitty Day~仔猫になった日~」が収録される | |
4th | 1996年4月24日 | SIX COLORS BOY | 48位 | アニメ映画『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』主題歌 雛形自身も声優に初挑戦 | |
5th | 1996年6月5日 | Dream-self | 作詞:井上秋緒 作曲:浅倉大介 編曲:浅倉大介 |
60位 | アサヒ飲料『さわやかぶどう』CMソング |
6th | 1996年10月23日 | DESTINATION | 61位 |
発売日 | タイトル | 収録曲 | 最高位 | |
---|---|---|---|---|
1st | 1996年3月3日 | ヒナ・コレ Hina Collection |
|
42位 |
2nd | 1996年11月21日 | ヒナ・コレ2 Hina Collection 2 |
|
73位 |
Best | 2010年8月18日 | GOLDEN☆BEST |
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|
1997年
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