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MoJo(モジョ、1952年8月24日[1][2] - )は、日本の歌手、作曲家。千葉県市川市出身[1]。
本名は
「とみた いちろう」名義でフォークシンガーとしてデビュー。のちに作曲家・スタジオミュージシャンとしても活動し、CMソングなどの作曲・歌唱を手がける一方、「MoJo」の名義でアニメソング歌手としても活動している。
この節の加筆が望まれています。 |
高校時代はフォークソングクラブにて部長を務める。この時期、同じく近隣の高校でフォークソングクラブの部長を務めていた佐藤龍一と出会う[6]。
1971年、佐藤龍一とともに吉田拓郎のコンサートに前座で出演したことをきっかけに、佐藤とブルースバンド「宴(うたげ)」を結成。同年、高校時代の後輩が結成したバンド「イージー・ライダーズ」にリードボーカルとして参加し、第5回全国ヤマハ・ライトミュージックコンテスト全国大会にて優勝するが、その後脱退。
1972年、千葉県船橋市において佐藤とともに「MOJO MOJO EAST[注 1]」を立ち上げ、さまざまな歌手を招いて毎月コンサートを行った。このコンサートに生田敬太郎を招いたことがきっかけとなり、同年に佐藤龍一、伊藤薫(両名は後に「竜とかおる」を結成)と共にエレックレコードと契約[6]。
1973年、「とみたいちろう」名義でエレックレコードよりアルバム『TAKE1』をリリース[4]し、フォークシンガーとしてメジャーデビュー。
1977年よりif音楽事務所に移籍[4]、バンド「Big Beat」を結成してライブ活動を行う[4]。
1978年にフリーのボーカリストとして独立し、同時に作曲家・スタジオミュージシャンとしての活動を開始[4]。バンド時代の最後のライブをCM制作のプロデューサーが見ていたことがきっかけで、CMソングの制作に歌手・作曲家として携わるようになる[7]。
また、同時期から「MoJo」のペンネームでアニメ作品や特撮作品の楽曲をレコーディングするようになる[2]。なお、「MoJo」は前述の「MOJO MOJO EAST」に由来するが、その当時カーリーヘアーにしていたことから自分自身も「モジョ」と呼ばれるようになったことがきっかけと発言している[8]。
スタジオミュージシャンとなってからはライブイベント等には参加しない方針をとっていた[7]が、1999年のライブイベント「スーパーヒーロー魂ツアー1999」にMoJoとして出演したことを機に、本格的にライブ活動を再開[4][5]。以降はアニメ・特撮ソング関連のライブイベントに参加する傍ら、定期的に自主ライブを開催している。
2007年には佐藤龍一と再会したことを契機に、再びフォークシンガー「とみたいちろう」としての活動を再開[9]しており、現在は作曲家としては「富田」、フォーク歌手としては「とみた」、アニメ・特撮ソング歌手としては「MoJo」と芸名を使い分けて活動している[2]。
カバーは省略する。
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