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日本の雑誌 ウィキペディアから
1991年創刊。当時編集者だった山口昇(現在の山口日昇)が自己の出版社「世謝出版(よしゃしゅっぱん)」から刊行した。零細出版社だったため、地方・小出版流通センターという小部数出版物専門の取次を通して流通させた。この時期はA5判でグラビアが皆無。創刊号5000部は完売。
誌名は「プロレス」ではなくて『紙のプロレス』。「世の中とプロレスする雑誌」をコンセプトとしていた。ここで説明すると、プロレスとはリングの上でプロレスラーと闘うものである。リングの上ではなく紙の上で、プロレスラーとではなく「世の中とプロレスする」ということはつまり、プロレスをテーマとした雑誌ではない、人間の生き方をテーマにするという意味の雑誌だった。ゆえにプロレス雑誌ではあって当たり前のグラビア・試合リポートはおろかレスラーのインタビューも掲載していない。執筆陣は高田文夫、ナンシー関、中島らも、椎名誠、立川談志、馳星周ら。[1]。
『紙のプロレス』誌は新間寿恒(新間寿の息子)とのトラブルですぐに廃刊した。しかし山口は、平社員(吉田豪)を身代わりに、編集部代表として新間の会社まで謝りに行かせた。彼が部屋に入ると、激高した寿恒は「山口(昇)という男はお前かっ!!」と怒鳴り、膝蹴りを数発彼に見舞った。新間は、謝りに来るとすれば会社代表者の山口が来るのが当然だろうと考えていたとされる。
『紙のプロレス』誌は廃刊し、編集長の職を完全に解かれた山口昇は、世謝出版の社史編纂室の平社員に降格した。しかしその直後同社は『紙のプロレスインターナショナル』という雑誌をA5判で新創刊。社会人になって数か月の、完全な新入社員を編集長とし全権を委任にしたとし、以降の刊行を続けた。なお、この「××インターナショナル」という名は、UWF崩壊後直ぐにUWFインターナショナルという別の団体が待ち構えていたかのように立ち上がった話を念頭に置いた命名と思われる。
NWFという編集プロダクションを立ち上げていた柳沢忠之が『紙のプロレスインターナショナル』に寄稿していたことがきっかけで、山口昇と柳沢忠之が共同で1994年に株式会社ダブルクロスを設立。『紙のプロレスインターナショナル』はダブルクロスで発行することになり、ワニマガジン社を窓口にし、大手の取次を通じて全国で発売されるようになった。しかし、1996年になってCSの衛星放送の格闘技専門チャンネルのFIGHTING TV サムライの開局に伴い、柳沢忠之がダブルクロスの社員10数名を引き連れて移籍。
ダブルクロスに残ったのは山口昇と新人の女子2名の3人だった。残された山口は、プロレスバラエティー番組『リングの魂』の雑誌版『Rintama』を編集し、売上は非常に好調であったが山口が番組プロデューサーと喧嘩をした為、3号で休刊[2]、1996年に『紙のプロレスRADICAL』を創刊する。誌面を大判化しカラーページを増やし、プロレスに加えて、新たに格闘技のPRIDEやリングスを誌面の中心にした[3][4]。
判が小さかった頃の旧『紙のプロレス』は後に「ちっちゃい紙プロ」と言われて[5]、UWFインターナショナルと高田延彦をからかうスタンスだった。 『Rintama』で高田らと関係修復をし、『紙のプロレスRADICAL』創刊号の表紙に高田延彦を起用する約束だったのが[2]、『週刊プロレス』の編集長を辞任したターザン山本を表紙にして創刊した。その結果、創刊号は返本率65%と返本の山だったという[6]。高田からは、話が違うとクレームがつき2号で改めて高田が表紙になった[2]。
1998年に新日本プロレスから取材拒否を受け、ミスター高橋に取材をしたことでNOAHからも取材拒否をされて[7]プロレスのメジャー団体に取材をすることが一切できなくなり、雑誌の方向が定まっていく。
当時はPRIDEが大きくなりつつある時期ということもあり、格闘技を積極的に取り上げ、支持者を増やしていく。
PRIDE以外にはリングス、格闘探偵団バトラーツ、ZERO-ONEといった団体が誌面の多くを飾った。リングスと関係が悪化していたパンクラスについては、『パンクラス公式読本』という書籍を編集していたが、『紙のプロレスRADICAL』本誌ではほとんど取り上げなかった[2]。しかし、その3団体がいずれも潰れたことから「紙プロがプッシュする団体は必ず潰れる」というありがたくないジンクスを頂戴することとなる[要出典]。
2000年代前半頃にリングスと関係が切れる。
2002年頃携帯電話サイトの「紙プロhand」を開設する。(後のkamipro move) ニュースの速報が速く、特にPRIDE関係のニュースについては後に述べる事情により“事実上の公式発表”と同等視された。
かつて本誌を率いた柳沢忠之は、サムライTVでの上司である谷川貞治とともにサムライTVを退社した後、谷川とともに「ローデス」という編集プロダクションを作り、谷川がコメンテーターとして出演していたテレビ番組『SRS』の雑誌版『SRSDX』を創刊した。SRSDXの取材対象は当然ながら同番組で取り上げる範囲と大きくダブり、K-1を中心とした格闘技と、プロレスをメインにしていた。現在のkamiproの原型は実はこの雑誌にあるともいえる。のち、ドリームステージエンターテインメント(DSE)が主催するPRIDEのテレビ中継(スカイパーフェクTV)の解説者を谷川貞治が務め始めたのとほぼ同時期に、柳沢は、PRIDE運営(特に企画・対戦カード決定)に外部スタッフとしてかかわるようになる。ところがそののち柳沢は、当時PRIDEと対立していたK-1の新会社FEGの設立メンバーとしてDSEを去った。谷川もPRIDEを離れFEGの社長に就任した。それと相前後してDSEの運営に入ったのがかつて柳沢の盟友であった山口日昇であった。
山口がDSEの興行の運営者の一人となったことから、同誌は「DSEの機関誌」と読者や関係者から呼ばれることも多く[8][9]、現実にもまったく悪びれずにDSEのPRIDEやハッスルといった関係の記事が目立つようになった。
DSEと対立関係にあったK-1からは取材拒否を受けて、例外的に前述の経緯から谷川貞治のみが取材可能な状態だった[2]。
ところがDSEの事実上の活動停止により、宙に浮いたプロレスイベントのハッスルは、新運営団体ハッスルエンターテインメントにより活動を続行した。その代表に就任したのが山口であった(2007年)[10] 。以降彼は雑誌の編集どころではなくなり、ハッスルの後始末に奔走することになる。ハッスルそのものも解体され後継の興行ハッスルMAN'Sワールドが2010年に旗揚げされたが、表面上の役職にはいろいろな人が名を連ねているものの、こちらを実質的に運営しているのも山口である。
2005年には発売元をワニマガジン社からエンターブレイン(角川グループホールディングスを構成する一社。ファミ通で知られた旧アスキーである)に移し、雑誌名を『kamipro』に変更する(エンターブレイン・ムックとして刊行)。
2006年に山口が編集長を辞任し、ジャン斉藤が統括本部長に就任。「週刊ゴング」編集長を辞したGKこと金沢克彦をレギュラーに迎えた[11]ことにより、新日本プロレス選手会の意向で行われていた新日本プロレスからの取材拒否は2006年に解除された[12]。
2010年、kamipro編集部員の全員(山口以外)が突如退社し、山口を入れない体制でkamiproを刊行する形となった。山口が「ハッスル」で抱えた巨額の負債により雑誌刊行を停止させないためと思われる。2011年3月にはエンターブレインとの関係が切れNo.157をもって休刊となった。同年7月29日には、元kamiproのスタッフが集結し、同じく格闘技の専門雑誌「Dropkick」を創刊した(販売元は晋遊舎)。さらに12月には、やはり「kamipro元スタッフが関わる雑誌」として『KAMINOGE』が東邦出版より創刊される。
2012年には書名の権利を持つ山口日昇がウェブマガジンとして「かみぷろ」(kamipro.com/)を創刊。こちらは「神様のプロパガンダ」の略であるとしている。
2010年以降について掲載。
各号のテーマを表紙とともに記載
各号とも、試合のレポートが中心。表紙のキャッチコピーを表紙の人物とともに紹介
企画力が高く、他社では絶対に考え付かないようなニッチな企画を断行し、それらをヒットさせ続けている。同誌の本で新たに取り上げられた見立てが、すぐに業界全体のスタンダードになるなど、影響力も高い。
同誌を刊行していた「ダブルクロス(英語:double cross)」とは(ライバル社の両方と結んだ)「二重契約」の意である。体は一つしかないので先に結んだ契約を当然反故にすることになる。転じて、「裏切り」一般を指す非常に強い言葉である。スパイを「ダブル」(二重エージェント)というのと同じ感覚である。
その後、同社は社名をまさに地で行く展開となり、「経営共同パートナーが社員ほぼ全員を引き連れて他社移籍」「社長以外の全員がある日突然集団退社」などの内紛が起きている。
社長の山口は社員にあだ名(ホーリーネーム)を授け、それをビジネス上の名として使わせていた(次欄参照。現役の「ジャン斉藤」「堀江ガンツ」というのもある)。自身も昇から「日昇」に改称した(読みは変わらず訓読み。間違ってもニッショウとは読まない)。これは当時山口と対立していた前田日明(日明だが「あきら」と読む)へのご機嫌取りだとする見方もある。
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