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ロシア・ウクライナで開発された、小型双発の多目的輸送機、貨物機、旅客機 ウィキペディアから
An-26(アントノフ26;ウクライナ語:Ан-26アーン・ドヴァーッツャチ・シースチ;ロシア語:Ан-26アーン・ドヴァーッツァチ・シェースチ)は、ソ連・ウクライナ共和国のキエフ機械製作工場(KMZ;現ウクライナのANTK アントーノウ)で開発された小型双発多目的輸送機である。北大西洋条約機構(NATO)が用いたNATOコードネームでは「カール」("Curl")と呼ばれた。
軍用輸送機An-26の開発は、O・K・アントーノフの第473国家特別試作設計局(OKB-473;のちのANTK アントーノウ)で1964年に開始された。計画は、主任設計技師V・A・ガルヴァルトによって推進され、An-24T貨物機の発展型として設計された。その設計に当たっては、大型貨物の収納のため尾部の設計が改められ、大型のランプが設置された。このランプは、ハッチの気密性を保つことができた。また、車両などの乗降の際には機体下部に降ろすことによりタラップとして使用可能であった。このランプのおかげで、貨物自動車の車体ごと貨物を積載することが可能になり、また、空中から物資を投下することも容易になった。ランプは、もともと中型輸送機のAn-40のために開発されたもので、8ヶ国で使用許可を受けた。An-40は開発中止となったが、そのランプはAn-26に適用されることとなった。空力特性を改善するため、機体尾部の貨物ハッチの両脇には鶏冠状の小翼が設けられた。
1968年3月12日には、空軍と航空産業省でAn-26の完成の決定が下された。貨物積載量は24tと定められ、そのため主翼強度が補われ、より強力なエンジンであるAI-24VTが搭載されることとなった。踏破力向上のため、An-26には試作中であった新型の高断面車輪を備える降着装置KT-157が採用されることとなった。1968年の1月-5月の間にすべての技術書類が整えられ、工場に渡された。12月20日には試作初号機が製造された。1969年4月にはYa・G・オルローフが主任技師に任命された。1969年5月21日には、テストパイロットのYu・N・ケートフの操縦によりAn-26は初飛行に成功した。1週間後には、試作2号機が飛行した。すぐさま、この機体はフランス・パリ郊外のル・ブルジェ空港で開催された航空サロンに出展された。国家試験は空軍科学試験研究所と合同で実施され、1970年9月21日に終了した。構造を検討した結果、ランプの補強、操縦席左側のキューポラ型側窓の設置、排出用パラシュートの動索接収機の設置といった修正が加えられることとなった。量産化は、1968年からキエフ機械製作工場(旧第473試作設計局)で限定的に開始された。1969年8月29日には、最初の量産型機が機械組立工場から姿を現した。本格的な量産が開始されたのは1970年のことであった。この年には同時に、最初の量産型機がサラートフ州のバラショーフ操縦士高等軍事航空学院第606練習航空連隊に納入された。1975年5月26日には、第106号国防省指令によって正式に軍に採用された。1973年からは、アエロフロートにて運航が開始された。
An-26は、物資の輸送や人員輸送、軍用車両の輸送に用いられた。通常の兵士の場合は39名、パラシュート降下兵では30名を輸送でき、自走砲のASU-57やSD-85、GAZ-69やUAZ-469といった小型自動車、120mm迫撃砲といった重火器類を搭載できた。空中からは降下兵や物資を尾部のランプよりパラシュートで投下できた。補助的な爆撃機としても使用でき、実戦でも爆撃用途に使用されている。機体は良好な飛行特性を持ち、運用範囲は広く、構造が単純で整備に適しており、高い信頼性を持っていた。
1968年-1986年の間にキエフとウラン・ウデの工場において1,398機のAn-26各派生型が製造された。(この他、ライセンス生産ではないAn-26の無断コピーが中国で製造された。)
これらの内420機が輸出に供され、アンゴラに24機、アフガニスタンに56機、バングラデシュに4機、ベナンに2機、ブルガリアに5機、ハンガリーに10機、ベトナムに50機、ドイツ民主共和国(東ドイツ)に12機、インド、イラクに2機、イエメン人民民主共和国(南イエメン)に8機、中国に54機、キューバに51機、ラオスに5機、リビアに30機、マダガスカルに3機、マリ共和国に2機、モザンビークに8機、モンゴルに8機、ニカラグアに5機、カーボベルデに2機、ペルーに16機、ポーランドに7機、ルーマニアに14機、シリアに6機、ソマリアに2機、チェコスロバキアに6機、エチオピア、ユーゴスラビアに15機が輸出された。この他、2機のAn-26がパレスチナ自治政府に供給された。
東ドイツ空軍のAn-26は、東西ドイツの統合に伴いドイツ連邦共和国のドイツ空軍に編入され、1994年まで運用された。何機かのAn-26がドイツ各地の博物館で展示されている。チェコスロバキアの崩壊ののち、チェコスロバキア空軍の保有したAn-26はそれぞれチェコに4機、スロバキアに2機という比率で分割された。ユーゴスラビアのAn-26は、連邦崩壊後クロアチアとセルビア・モンテネグロ(独立時はユーゴスラビア、セルビアとモンテネグロの分裂後はセルビアが継承)に継承された。独立国家共同体では、ロシア連邦、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタンの各軍でAn-26が運用されており、加えて106機が航空会社で運航されている。
しかしながら、経年による機体の老朽化のため、退役も進んでいる。世界では1,168機のAn-26が運用されていたが、2006年8月時点では民間のみではあるが267機に減少している。ただし、運用会社は多岐にわたっており、2006年の時点で106社がAn-26を運行していた[2]。
An-26は、ソ連空軍の軍事学校や軍事輸送航空部隊、防空軍の補助単位部隊、海軍全艦隊の海軍航空隊、国境軍と内務省管轄の国内軍で使用された。ソ連軍のAn-26は、アフガン戦争に投入された。第50独立混成航空連隊のAn-26は、軍部隊や軍事物資、傷病者の輸送に従事し、遠距離にある駐屯部隊の支援を行った。また、4発の500kg爆弾を搭載して爆撃機としても使用された。
民間のAn-26は、ソ連における全民間航空局で使用された。北部や極東ではAn-26は商用貨物の他、乗客の輸送も行った。アルハンゲリスク民間航空局では、北極探索のためにAn-26が使用された。
An-26は、さまざまな調査のための試験機としても使用された。1971年には、耐氷装置の試験に使用された。1971年-1972年にかけては、未舗装滑走路における負担過重と振動に関する試験に使用された。1972年にはまた、爆撃兵装の試験も行われた。1975年には、パラシュート物資投下システムPGS-200が試験された、An-26Pは、1991年にシベリアにて森林火災の消火活動を行った。
An-26は、各国で開催された航空サロンに出展されている。主なものは、1969年と1971年のル・ブルジェ空港におけるパリ航空ショーと、1972年の名古屋における航空ショーが挙げられる。1991年には、An-26は3つの世界記録を打ち立てている。
1991年のソビエト連邦の崩壊後は、独立した各国で運用が継続されている。特に多数のAn-26を運用しているのは、ロシア連邦軍、ウクライナ軍、カザフスタン共和国軍などである。ウクライナでは2010年まで運用する予定である[3]。また、ANTK アントーノウでは後継機としてAn-140TやAn-140-100を開発している。
An-26は、ソ連のアフガン侵攻以外でも世界各地でさまざまな戦争や紛争に投入されている。
ソマリアのAn-26は、エチオピアとの紛争に投入された。リビアは、チャドとの戦争にAn-26を投入した。ベトナムはカンボジアとの戦争でAn-26を使用した。ペルーは、エクアドルとの紛争にAn-26を投入した。この他、アンゴラ、アフガニスタン、モザンビーク、ニカラグア、エチオピアのAn-26が国内の反抗勢力との内紛で使用されている。これらの戦線において、An-26はいずれの場合も爆撃機として使用されている。
一方、An-26は数々の国連平和維持活動でも使用されている。国連機として、An-26はユーゴスラビア、アンゴラ、コンゴ民主共和国、ソマリア、西サハラに展開した。ロシア空軍のAn-26はタジキスタンやチェチェン共和国との紛争に投入された。その中で、何機かのAn-26がジョハール・ドゥダーエフ将軍の下、アゼルバイジャンからの軍事物資輸送に使用されている。
また、近年はアメリカ特殊作戦軍でも使用されているが、公式な名称は特に与えられていない模様。
ANTK アントーノフでは、An-24やその発展型であるAn-30と併せてAn-26に関するいくつかの近代化改修案を提示している。その近代化改修は、最大離陸重量を必要に応じて700kg、1,000kg、あるいは2,000kg増加させること、国際路線での使用のための装備の追加、空中衝突警告装置の追加、地上電波自動飛行制御装置の追加の4つを主眼としている。これらに加え、An-26とAn-30では旅客機への改修も提案されており、必要に応じて43席あるいは34席の客席をもつ旅客機へ改修できる。また、貨客機や郵便機、要人機への改修案も示されている。また、An-26へは外付け式の追加燃料タンクも提案されている[4]。
An-26の機体構造は全金属製で、胴体は半モノコック構造となっている。
主翼は、安定性に優れ、また、主翼に装備するエンジンへの異物の吸い込みの危険性も低い高翼式を採用している。主翼形状は、ケーソン・台形型と呼ばれる。主翼構造は、エンジン取り付け部を境に内側が後退角なしで前縁と後縁が並行になっている通常翼、外側がより前後幅の狭く、後縁が若干前へ傾き、前縁は後退角をもったテーパー翼となっている。高揚力装置は、主翼内側部分では反れて開くシングルスロッテッドフラップ、外側部分では引き出し式のダブルファウラーフラップとふたつに分割された補助翼を備えている。
降着装置KT-157は、引き込み式の三車輪式(前輪式)である。機首に前輪、主翼下面エンジン部分に主輪を格納する。
基本型An-26の主要動力機関は、アカデミー会員O・H・イーウチェンコ記念プロフレース・ザポリージャ機械製作設計局(イーウチェンコ=プロフレース)製のAI-24VT ターボプロップエンジン2基を搭載している。これには4枚羽式のAV-72T プロペラが装備される。これに加え、出力900kgのターボジェットエンジンRU-19A-300が1基、補助動力機関として右側主要動力機関ゴンドラに搭載されている。
貨物室には、積載用クレーンの梁と機内繋留用の設備が装備されている。さらに、左右の舷側には降下兵用の折り畳み式座席が備え付けられている。この他、1,000kgまでの爆弾や機上無線標識を吊り下げるため、ハードポイントに2-4基のパイロンVDZ-34を装備できる。
出典: deagel.com (2011年12月17日). “An-26” (英語). 2011年12月25日閲覧。
諸元
性能
C-1 | G.222 | C-27J | C-295 | An-26 | An-72 | |
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画像 | ||||||
乗員 | 5名 | 4名 | 3名 | 2名 | 5名 | 3 - 5名 |
全長 | 29.0 m | 22.7 m | 24.50 m | 23.80 m | 28.07 m | |
全幅 | 30.6 m | 28.7 m | 25.81 m | 29.20 m | 31.89 m | |
全高 | 9.99 m | 9.8 m | 8.60 m | 8.58 m | 8.65 m | |
空虚重量 | 23,320 kg | 14,590 kg | 17,000 kg | 11,000 kg | 15,200 kg | 19,050 kg |
最大離陸重量 | 45,000 kg | 28,000 kg | 30,500 kg | 23,200 kg | 24,000 kg | 34,500 kg |
最大積載量 | 11,900 kg | 9,000 kg | 11,500 kg | 9,250 kg | 5,500 kg | 10,000 kg |
発動機 | P&W JT8D ×2 | GE T64-GE-P4D ×2 | RR AE 2100-D2A ×2 | P&Wカナダ PW127G ×2 | プログレス AI-24VT ×2 | プログレス D-36 ×2 |
ターボファン | ターボプロップ | ターボファン | ||||
巡航速度 | 650 km/h | 439 km/h | 583 km/h | 480 km/h | 440 km/h | 600 km/h |
航続距離 |
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最短離陸滑走距離 | 460 m | 662 m | 580 m | 670 m | 1,240 m | 400 m |
初飛行 | 1970年 | 1999年 | 1997年 | 1969年 | 1977年 | |
運用状況 | 現役 (用途廃止中) | 現役 |
An-26およびその各派生型の運用者。中国製の機体を含む。
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