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An-30(ロシア語: Ан-30)は、ソビエト連邦(ウクライナ)の観測機。偵察機・輸送機としても運用されている。アントーノフ設計局のAn-24を原型機としている。NATOコードネームは、「クランク」(Clank)。
アントーノフ設計局は、航空地図作成を目的としてAn-24の観測機型An-24FKとして開発した。FKは、写真による地図作成を意味する「fotokartograficheskiy」に由来する[2]。
機体前方の設計変更が行われ、An-24よりも良好な視界を得られるコックピット、ガラス張りの機首、胴体下方にカメラの追加が行われた。この設計変更が認められ、An-30という新たな名称が与えられた生産型は、1971年よりキエフの工廠で生産が開始され[3]、同年には最初の生産型が完成した。 1975年、パリ航空ショーで展示され、この時に与えられたNATOコードネームがクランクである[1]。1980年には生産が完了している[3]。
乗員は、An-24の4名から増加し7名となった。カメラなどを運用するオペレーター2名の席が増設され、食料庫や休憩用の座席も設けられた。「ベランダ」というあだ名を持つ、機首の観測スペースへの移動は、機内を這って進まねばならなかった。このスペースを設けたことで、レーダーは取り除かれ、あらたに小型のドップラー・レーダーが装備されたが、性能的に不十分であったため、一部の機体にはGroza-M30 レーダーが追加装備された[1]。
胴体には撮影用の窓が設けられ、不要時には閉じることでひび割れの防止や、離着陸時に巻き上げる小石などからの防御が可能であった。右前方の大型のドアは維持され、機材の積み卸しに活用された。機体側面の窓は、An-24や試作型のAn-24FKと異なり、An-32と同様にその大半が存在しなかった[1]。
カメラは、3機が機体中心下部に直線に配され、2機がそれぞれ28度の角度で取り付けられていた[3]。高度2,000-7,000mの範囲で、20万分の1-1,500万分の1までの解像度で撮影が可能であった[4]。
An-30Mは、人工降雨、雹による農作物の損害回避などの気象制御に用いられた。式典時の晴天演出も任務とし、メーデーや1997年9月のモスクワ850年記念式典などが知られている[5]。
アフガニスタン紛争に際しては、1982年から航空写真による地図作成を行い、1機が損傷を受けた後墜落した。また、キューバの保有機は、1987年にアンゴラで活動を行っている。
1985年3月11日、ソ連空軍のAn-30Bがアフガニスタンのカブール国際空港の北25km付近で、地対空ミサイルにより被弾、エンジンに損傷を負い着陸に失敗して2名が死亡した[7]。
1992年3月22日、ミャチコヴォ・アヴィア(Myachkovo Avia)の機体がニジネヤンスク(en:Nizhneyansk)の西53km付近でオートパイロットの操作ミスにより空中分解を起こし、川に墜落した。乗員乗客10名全員が死亡した[8]。
軍用機以外の出典は、Flight International, 3–9 October 2006による。
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