1955年の野球(1955ねんのやきゅう)では、1955年の野球界における動向をまとめる。
日本プロ野球
日本シリーズ
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1955年 日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月15日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 4 - 1 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月16日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 2 | 南海ホークス |
10月17日(月) | 移動日 |
10月18日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 0 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月19日(水) | 第4戦 | 雨天中止 |
10月20日(木) |
10月21日(金) | 南海ホークス | 5 - 2 | 読売ジャイアンツ |
10月22日(土) | 第5戦 | 南海ホークス | 5 - 9 | 読売ジャイアンツ |
10月23日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 1 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月24日(月) | 第7戦 | 読売ジャイアンツ | 4 - 0 | 南海ホークス |
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり4回目) |
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- 前年結成された高橋ユニオンズがトンボ鉛筆製作所と業務提携して「トンボユニオンズ」と改称するが、シーズン終了後に提携が解消され、再び「高橋ユニオンズ」に名称が戻っている。
4月
- 4月2日
- 4月7日
- 西鉄の中谷準志が平和台球場での対大映3回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[6]。
- 第27回選抜高等学校野球大会の準決勝戦の第二試合の桐生対明星戦において桐生が1体0で勝利し今泉喜一郎がノーヒットノーランを達成[7]。
- 4月8日 - 第27回選抜高校野球大会の決勝戦が行われ、浪華商が桐生を延長11回4対3でサヨナラ勝利し、18年ぶり2度目の優勝を達成[8]。
- 4月12日 - 阪神の藤村富美男が甲子園球場での対国鉄1回戦の二回裏に1号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[9]。
9月
- 9月6日 - 国鉄の大脇照夫が中日球場での対中日21回戦に先発し、9回までの投球72球のセ・リーグ最少記録[29]。
- 9月9日 - パ・リーグはペナント・レース1位に同率チームが出来た場合、優勝決定戦を行うことを決定[30]。
10月
- 10月6日 - 南海が平和台球場での西鉄22回戦に9-7で勝利し、2年ぶり4度目のパ・リーグ優勝達成[31]。
- 10月7日 - 巨人は横浜での対国鉄ダブルヘッダー第2試合の対23回戦に3-2でサヨナラ勝ちし、中日が大阪での対阪神対阪神ダブルヘッダー第2試合の24回戦に0-4で敗れたため、巨人の2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を達成[32]。
- 10月8日 - 毎日の荒巻淳が川崎球場での対トンボ20回戦で18勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[33]。
- 10月11日
- 1955年度のセ・パ両リーグの最高殊勲選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最高殊勲選手にセは巨人の川上哲治、パは飯田徳治、最優秀新人にセは阪神の西村一孔、パは毎日の榎本喜八、沢村賞に巨人の別所毅彦、パの最優秀投手に南海の中村大成がそれぞれ選出される[34]。
- 巨人の藤本英雄が和歌山での対広島ダブルヘッダー第二試合の26回戦の五回より救援登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成[35]。
- 10月12日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対中日ダブルヘッダー第1試合の23回戦の五回表に大矢根博臣から今季336個目の三振を奪い、沢村栄治が1937年の更新する1シーズン最多奪三振の新記録となる[36]。
- 10月13日 - パ・リーグの全日程が終了。南海は日本プロ野球最多のシーズン99勝をあげる。トンボは勝率.350を切ったため、制裁金500万円を払うことになった[37]。
- 10月19日 - 国鉄の金田正一が長野市営球場での対阪神26回戦で10三振を奪い、メジャーリーグの1シーズン最多奪三振348を更新する今季通算350奪三振となる[38]。
- 10月24日 - 日本シリーズの巨人対南海の第7戦が行われ、巨人が南海を4-0で下して4勝3敗とし、2年ぶり4度目の日本一達成[39]。
11月
- 11月23日 - 巨人対大洋ダブルヘッダー25、26回戦が神宮球場で行われ巨人が4対1、1対0で勝利。セ・リーグは全日程を終了[40]。
毎日新聞1955年4月1日6面「南海、五連勝を記録 中西1,2号 西鉄、近鉄に完勝」毎日新聞縮刷版1955年4月p6
毎日新聞1955年4月3日6面「セ・リーグ公式戦開く 三村1号 中日、広島ともに先勝」毎日新聞縮刷版1955年4月p30
毎日新聞1955年4月3日6面「立教の善戦空し 浪商、六回に猛打 高田は岐阜を破る」毎日新聞縮刷版1955年4月p30
毎日新聞1955年4月8日6面「島田命取りのエラー」毎日新聞縮刷版1955年4月p90
毎日新聞1955年4月8日6面「浪商、尼崎を破る きょう桐生高と優勝戦」毎日新聞縮刷版1955年4月p90
毎日新聞1955年4月9日6面「浪華商、18年ぶり優勝」毎日新聞縮刷版1955年4月p102
毎日新聞1955年4月13日6面「阪神国鉄に破る 藤村200号」毎日新聞縮刷版1955年4月p150
毎日新聞1955年5月6日6面「大映16連敗逃る 豊田も6号」毎日新聞縮刷版1955年5月p62
毎日新聞1955年5月11日6面「杉下ノーヒット・ノーランを記録」毎日新聞縮刷版1955年5月p122
毎日新聞1955年5月12日6面「飯田選手、千回出場」毎日新聞縮刷版1955年5月p136
毎日新聞1955年5月22日6面「"藤村助監督がさい配" 阪神田中代表 選手団に発表」毎日新聞縮刷版1955年5月p62
毎日新聞1955年5月23日6面「仰木6打席6安打」
毎日新聞1955年5月25日6面「延長12回、毎日小川を打てず」毎日新聞縮刷版1955年5月p62
毎日新聞1955年6月5日6面「大津 ノーヒットノーランを記録」毎日新聞縮刷版1955年6月p56
毎日新聞1955年6月20日6面「武智(近鉄)完全試合 西鉄首位 毎日、南海に勝越す」毎日新聞縮刷版1955年6月p246
毎日新聞1955年6月26日6面「毎日、エラーで新記録」毎日新聞縮刷版1955年6月p326
朝日新聞1955年7月8日6面「国鉄無残塁記録」朝日新聞縮刷版1955年7月p98
朝日新聞1955年7月17日6面「中尾(巨人)二百勝あぐ 青田は二百号本塁打」朝日新聞縮刷版1955年7月p216
朝日新聞1955年7月21日6面「中日原田、千本安打」朝日新聞縮刷版1955年7月p268
朝日新聞1955年7月24日6面「大洋、十四連敗を喫す」朝日新聞縮刷版1955年7月p308
朝日新聞1955年7月25日6面「大洋15戦目に勝つ」朝日新聞縮刷版1955年7月p320
朝日新聞1955年7月28日6面「長持(広島)千試合出場」朝日新聞縮刷版1955年7月p368
朝日新聞1955年8月1日6面「トンボ、10失策を記録」朝日新聞縮刷版1955年8月p18
朝日新聞1955年8月17日夕刊3面「四日市高校、初の優勝」朝日新聞縮刷版1955年8月p209
朝日新聞1955年8月19日6面「中日15連勝 セ・リーグのタイ記録」朝日新聞縮刷版1955年8月p228
朝日新聞1955年8月21日6面「中日16連勝ならず 巨人、中尾・別所で完封」朝日新聞縮刷版1955年8月p252
朝日新聞1955年9月7日6面「中日国鉄延長18回戦で引分け 国鉄大脇72の最少投球記録」朝日新聞縮刷版1955年9月p78
朝日新聞1955年9月10日6面「同率首位なら決定戦 パのペナント・レース」朝日新聞縮刷版1955年9月p122
毎日新聞1955年10月7日6面「南海の優勝きまる パ・リーグ 四度目の栄冠」毎日新聞縮刷版1955年10月p86
毎日新聞1955年10月8日6面「巨人の優勝もきまる セ・リーグ 4度目 通算11度目」毎日新聞縮刷版1955年10月p98
毎日新聞1955年10月9日6面「荒巻(毎日)百勝あぐ プロ入り通算」毎日新聞縮刷版1955年10月p110
読売新聞1955年10月12日5面「プロ野球個人賞 川上と飯田 最高殊勲 沢村賞に別所(巨人)、パ(最優秀投手)は中村 新人王は西村一、榎本」
読売新聞1955年10月12日5面「藤本(巨人)二百勝あぐ 大友、今季両リーグ初の30勝」
毎日新聞1955年10月13日6面「金田『三振』に新記録 1シーズン三四〇個奪う」毎日新聞縮刷版1955年10月p162
毎日新聞1955年10月14日6面「パ・リーグ全日程を終了 首位打者は中西(西鉄)」毎日新聞縮刷版1955年10月p178
毎日新聞1955年10月20日6面「金田(国鉄)三振奪取の世界記録」毎日新聞縮刷版1955年10月p254
読売新聞1956年10月25日4面「巨人 4たび日本選手権を獲得 別所、南海を完封 決勝戦 9回止めの3点」
毎日新聞1955年11月24日6面「セリーグ 全日程終わる」毎日新聞縮刷版1955年11月p306