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岩下正明
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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岩下 正明(いわした まさあき、1955年1月14日[1] - )は、鹿児島県揖宿郡頴娃町(現:南九州市)出身の元プロ野球選手(外野手)[2]。左投左打。現役時代は代打の切り札として活躍した[1]。
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来歴・人物
鹿児島商工高では、1972年夏の甲子園県予選決勝に進むが、エース堂園喜義を擁する鹿児島商業高に延長17回の末に敗退し、甲子園出場を逸する。
高校卒業後は、社会人野球の三菱重工横浜に入社[2]。1978年の都市対抗野球に東芝の補強選手として出場し、決勝では日本鋼管の木田勇からチームの初優勝を決める適時打を打つ。
1979年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから4位指名を受け入団[1]。
1980年から一軍に上がり、外野手として75試合に出場。
1984年には杉浦享、小川淳司らと併用され48試合に先発出場、三番打者としても15試合に起用された。
1985年には主に一番打者として67試合に先発、同年は.316の高打率を残した。
1986年はマーク・ブロハードの入団、栗山英樹の台頭もあって出場機会が減る。
1987年オフに平田薫との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍した[2]。
守備に難があり、幼少期の事故で左手人差し指が短いこともあり肩も弱かったが[2]、勝負強い代打の切り札的存在として、1982年には4月6日の対広島戦で代打サヨナラ満塁本塁打を打つなど[2]、1シーズン3度の代打サヨナラ打を記録した。
現役引退後は、日本料理店やステーキハウスでの修行を経て、1991年2月に神奈川県横浜市青葉区に「ステーキハウス岩下正明」オープンし営んでいる[2]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
背番号
- 37(1980年 - 1987年)
- 41(1988年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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