1955年のトンボユニオンズ

ウィキペディアから

1955年のトンボユニオンズ

1955年のトンボユニオンズは、浜崎真二監督の2年目のシーズンである。

概要 成績, 本拠地 ...
1955年のトンボユニオンズ
成績
パシフィック・リーグ8位
42勝98敗1分 勝率.300[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
Thumb
球団組織
オーナー 高橋龍太郎
経営母体 高橋龍太郎(個人出資)
監督 浜崎真二(9月まで)
笠原和夫(9月から)
« 1954
1956 »

テンプレートを表示
閉じる

概要

トンボ鉛筆製作所との業務提携により、高橋からトンボに球団名が改称されたこの年はAクラス入りが期待されたが、開幕12連敗で始まる最悪のスタート[注 1]。連敗脱出後もチームの成績不振はなおも続き6月に8連敗を喫するなど月間で7勝18敗と負け越すと、7月下旬からの8連敗で近鉄大映などBクラスに突き放された。9月にも6連敗するなど大きく負け越し、浜崎監督がノイローゼに陥った。結局シーズン終盤で浜崎監督が休養し、残りのシーズンを笠原和夫選手兼任監督で戦ったものの低迷に歯止めをかけられず、2年ぶり優勝の南海に57ゲーム、7位東映に9ゲームもつけられて初の最下位。トンボ鉛筆製作所との業務提携はこのシーズン限りで、翌年には高橋ユニオンズの名称に戻った。また、このシーズン限りで300勝投手のヴィクトル・スタルヒンが引退した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 栗木孝幸
2 前川忠男
3 東谷夏樹
4 レッカ
5 笠原和夫
6 山田利昭
7 河内卓司
8 萩原昭
9 野村武史
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1955年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海-- 西鉄-- 南海-- 西鉄-- 南海-- 南海-- 南海--
2位 西鉄0.5 南海1.5 西鉄2.0 南海0.0 西鉄2.5 西鉄4.5 西鉄9.0
3位 毎日1.5 毎日4.5 毎日4.5 毎日9.0 毎日10.0 毎日11.5 毎日14.0
4位 阪急7.5 阪急10.0 近鉄14.0 阪急11.0 阪急13.5 阪急18.0 阪急19.0
5位 近鉄9.5 近鉄10.5 阪急14.5 近鉄19.0 近鉄26.5 近鉄28.0 近鉄39.0
6位 東映10.5 大映16.5 東映23.0 大映29.0 大映34.0 大映41.5 大映46.0
7位 トンボ12.0 トンボ17.5 大映23.5 東映29.5 東映37.0 東映44.0 東映48.0
8位 大映14.5 東映18.0 トンボ26.5 トンボ34.5 トンボ44.5 トンボ51.5 トンボ57.0
閉じる
1955年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位南海ホークス99413 .707優勝
2位西鉄ライオンズ90504 .6439.0
3位毎日オリオンズ85552 .60714.0
4位阪急ブレーブス80602 .57119.0
5位近鉄パールス60802 .42939.0
6位大映スターズ53871 .37946.0
7位東映フライヤーズ51893 .36448.0
8位トンボユニオンズ42981 .30057.0

オールスターゲーム1955

さらに見る ファン投票, 監督推薦 ...
ファン投票 選出なし
監督推薦 山田利昭
閉じる

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー ...
リーグ・リーダー
受賞者なし
閉じる
さらに見る ベストナイン ...
ベストナイン
選出なし
閉じる

脚注

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.