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安部公房の小説 ウィキペディアから
『壁』(かべ)は、安部公房の中編・短編集。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」(「洪水」「魔法のチョーク」「事業」)の3部(6編)からなるオムニバス形式の作品集である。1951年(昭和26年)5月28日に石川淳の序文を添えて月曜書房より刊行された。
表題作でもある「壁―S・カルマ氏の犯罪」は安部の最初の前衛的代表作で、第25回芥川賞を受賞した[1]。ある朝突然、「名前」に逃げ去られた男が現実での存在権を失い、他者から犯罪者か狂人扱いされ、裁判までもが始まってしまい、ありとあらゆる罪を着せられてしまう。彼の眼に映る現実が奇怪な不条理に変貌し、やがて自身も無機物の壁に変身する物語で[2]、帰属する場所を失くした孤独な人間の実存的体験と、成長する固い壁に閉ざされる空虚な世界と自我の内部が、安部公房特有の寓意や叙事詩的な軽さで表現されている[2]。
「第一部 S・カルマ氏の犯罪」は、1951年(昭和26年)、雑誌『近代文学』2月号に「壁―S・カルマ氏の犯罪」の表題で掲載され、同年7月30日に第25回(昭和26年上半期)芥川賞を受賞した。「第二部 バベルの塔の狸」は同年、雑誌『人間』5月号に「バベルの塔の狸」の表題で掲載(挿絵は桂川寛)された。「第三部 赤い繭」は、前年1950年(昭和25年)、雑誌『人間』12月号に「三つの寓話」(「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」)の表題で掲載され、1話目「赤い繭」は第2回(1950年度)戦後文学賞を受賞した。なお、「第三部 赤い繭」の4話目「事業」は同年10月に、世紀の会刊行パンフレット「世紀群叢書5」に掲載された[3]。以上の6編をまとめて収録した単行本『壁』は、1951年(昭和26年)5月28日に月曜書房より刊行された。
安部公房は、3部作は一貫した意図によって書かれたもので、壁というのはその方法論にほかならないとし[4]、以下のように述べている。
安部は、この作品について、一般的にはカフカの影響があると見られがちだが、ルイス・キャロルの影響の方が強いと語っている[5]。また、主人公「S・カルマ氏」については、以下のように説明している。
なお、安部はこの作品を「小説に対する僕の姿勢を大きく変えてくれた作品」だと27年後に振り返り、「構想が熟したと思ったとたん、とつぜん自由になった感じがした。ペンが躍り出し、四十時間ほど一睡もせずに一気に書上げることができた。その後の僕の仕事の方向を決定づけることにもなった」と語っている[7]。
ある朝、目を覚ますとぼくは違和感を感じた。食堂でつけをしようとするが、自分の名前が書けない。身分証明書を見てみても名前の部分だけ消えていた。事務所の名札には、「S・カルマ」と書かれているが、しっくりとこない。驚いたことには、ぼくの席に、「S・カルマ」と書かれた名刺がすでに座っていた。名刺はぼくの元から逃げ出し、空虚感を覚えたぼくは病院へ行った。だが、院内の絵入雑誌の砂丘の風景を胸の中に吸い取ってしまったことがわかり、帰されてしまう。ぼくは動物園に向かったが、ラクダを吸い取りかけたところを、グリーンの背広の大男たちに捕らえられ、窃盗の罪で裁判にかけられることになった。法廷には今日会った人々が証人として集まっていた。
その場を同僚のタイピスト・Y子と逃げたぼくは、翌日に動物園でまた彼女と会う約束をして、アパートに帰った。翌朝、パパが訪ねてきた。その後、ぼくは靴やネクタイに反抗され時間に遅れて動物園についた。Y子はぼくの名刺と語らっていた。よく見るとY子はマネキン人形だった。ぼくは、街のショーウインドーに残されている男の人形から、「世界の果に関する講演と映画」の切符をもらった。行くと、せむしによる講演と映画が始まった。ぼくはスクリーンに映っているぼくの部屋を見た。やがてぼくは、グリーンの背広の大男たちにスクリーンの中へ突き飛ばされ画面の中に入った。画面の中のぼく(彼)が壁を見続けていると、あたりが暗くなり砂丘に「彼」はいた。そして地面から壁が生えてきて、そのドアを開けると酒場だった。そこにはタイピストとマネキン半々のY子がいた。
別のドアから「成長する壁調査団」となったドクトル(病院の医者)とパパの姿をしたユルバン教授が現われ、「彼」を解剖しようとするが、「彼」は機転をきかし、難を逃れた。その後、ユルバン教授は、ラクダを国立動物園から呼びよせ、それに乗り、縮小して「彼」の中を探索するが蒼ざめて戻ってきた。ドクトルとユルバン教授は、調査を中止し逃げていった。ただ一人残された「彼」は、壁そのものに変形していく。
貧しい詩人のぼくは、自分の空想やプランをつけている手帳を「とらぬ狸の皮」と呼んでいた。ぼくはP公園で奇妙な獣を見つけた。その獣は突如、ぼくの影をくわえ逃げ去り、影を失ったぼくは目だけ残して透明人間になってしまった。その夜、獣は夜空から霊柩車に乗ってやってきて、自分は君に養ってもらった「とらぬ狸」であると言い、ぼくをバベルの塔へ連れて行った。そこには狸がたくさんいた。とらぬ狸は、「みなぼくの仲間だ。人間は誰でも各々のとらぬ狸を持っている」と言った。
とらぬ狸はぼくを入塔式に案内した後、目玉銀行に連れてゆき、目玉を預けろと言った。狸たちにとって、人間の目玉は有害なのだと目玉銀行の管理人・エホバが説明した。それを拒否したぼくは、次に行った時間彫刻器の研究室で、とらぬ狸におどりかかった。ぼくは時間彫刻器の箱を開け、タイムマシンで影をとられる前の時間のP公園に戻った。そして近づいて来たとらぬ狸に向かって、手帳や小石を投げつけ追っ払った。
「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」の4話からなる。
安部はこの作品の執筆当時、ようやく手に入れた6畳ほどの物置小屋を自分で床を張り改造した住居に住んでいて、布団の上に粉雪が降る境遇だったという[3][8]。安部はその頃を振り返り、以下のように語っている。
帰る家のない「おれ」は、日の暮れた住宅街をさまよううちに、足から絹糸がずるずるとのびてゆき、どんどんほころんでいった。その糸は「おれ」の身を袋のように包みこんでいって、ついに「おれ」は消滅し、一個の空っぽの大きな、夕陽に赤々と染まった繭となった。だが家が出来ても、今度は帰ってゆく「おれ」がいない。踏切とレールの間にころがっていた赤い繭は、「彼」の眼にとまり、ポケットに入れられた。その後、繭は「彼」の息子の玩具箱に移された。
世界のいたるところで、労働者たちが液化しはじめた。刑務所の囚人も液化したため、治安も悪化し大混乱となった。警察も物理学者もお手上げ状態となり、富める者たちは恐水病に陥った。様々な対処も無駄となり、人類は洪水で絶滅した。しかし、静まった水底で、何やらきらめく物質が結晶しはじめる。それは、過飽和な液体人間たちの中の目に見えない心臓を中心にしていた。
安部は、この作品の主人公「アルゴン君」の名前の由来について、以下のように説明している。
貧しい画家のアルゴン君は、画材道具や家具も売り払い、その日に食べる物にも困っていた。一つ残っていた赤いチョークで壁にパンやバターや林檎を描くと、実物になって落ちてきた。アルゴン君は、夢中でそれを食べた。ベッドも書くとそれが現われた。しかし、翌日になると、ベッドは絵に戻り、林檎の芯など食べられなかったものだけ壁の絵に戻っていた。日光が部屋に入ると効力がなくなると気づいたアルゴン君は、壁から出した財布の金で毛布などを買い、部屋に暗幕をめぐらした。
窓がほしくなったアルゴン君は試しに描いてみたが、窓が「外」を持たないと駄目だった。ドアだけ描いて恐々開けると、黒ずんだ空の熱風砂漠だった。やはり「外の絵」を作り出さなければならなかった。アルゴン君は途方に暮れ、ふと目についた新聞記事のミス・ニッポンを壁に描いてイヴを作った。アルゴン君は一緒に世界を設計しようと彼女に言うが、高慢なイヴは半分もらったチョークでピストルとハンマーを描き、アルゴン君を撃ち殺してドアを打ち壊してしまった。
日光が入り、絵から出たものは絵に戻っていた。アルゴン君の胸の疵も消滅し癒えていたが、壁の絵ばかり食べていた肉体は、ほとんど壁の成分になっていた。アルゴン君はよろめき壁に吸い込まれてイヴの上に重なり、壁の絵になった。騒ぎに集まった人々や怒る管理人が帰った後、絵のアルゴン君は、「世界をつくりかえるのは、チョークではない」と呟き、その目から一滴のしずくが落ちた。
司祭で事業家の私は、鼠を原料とした食肉加工で成功した。しかし飼育した肥大鼠に従業員と妻子が襲われて死亡する事件が起きた。それをきっかけに私は六人の死体を食肉に加工してみた。各界代表者を招いた試食会(原料を伏せた)も成功し、大商社各社から特約を受け、人肉加工の事業を展開した。事業は目ざましい拡張発展をとげ、原料(堕胎児や屍体)が不足した。私は、食べることを目的として生物を殺すのは罪ではないというキリスト教の教えによって、新事業の拡張新分野(殺人合法化)を計画する。
『壁―S・カルマ氏の犯罪』は発表当時、画期的な作品として反響を呼び、それまでの日本近代文学において主流だった「私小説の伝統とそこに密集する近代的自我という人間中心主義の幻想」を打破したという点で、その2年前に発表された三島由紀夫の『仮面の告白』と双璧をなす作品だと高野斗志美は解説している[1]。
芥川賞の選考審査員の川端康成は、『壁―S・カルマ氏の犯罪』を、部分によっては鋭敏でなく、冗漫と思えたところもあるとしながらも、最も高く評価し強く推した理由について、「『壁』のやうな作品の現はれることに、私は今日の必然を感じ、その意味での興味を持つからである。(中略)作者の目的も作品の傾向も明白であつて、このやうな道に出るのは新作家のそれぞれの方向であらう」と述べて[13]、新味があり好奇心を誘った作品だとしている[13]。同じく、芥川賞に推薦した瀧井孝作は、「寓話諷刺の作品にふさわしい文体がちゃんと出来ている。(中略)文体文章がちゃんと確かりしているから、どんな事が書いてあっても、読ませるので、筆に力があるのです。自分のスタイルを持っている。これはよい作家だと思いました」と評している[14]。
『壁―S・カルマ氏の犯罪』の文体について市川孝は、小説の文脈は説明的で饒舌な、蔓衍体的な一面を持つと同時に、簡潔な手法とテンポの速さ、きびきびした会話の展開を含むとし、また、具象的、印象的な図形類を配している点が特色だと述べ[15]、その特色が、「切れることなく続く全体の構成と、印象的なクライマックス」と共に、超現実的な世界を描く観念的な作風と一つの調和をなしていると解説している[15]。
この市川孝の解説評を受け、安部は『壁―S・カルマ氏の犯罪』で「意識的に工夫」した説明的な文章について、「形式的には説明だが、内容的には、単なる前文の繰返しにすぎないのである。分かりきったことを、もっともらしく、あるいは驚きをもって反復しているにすぎない」とし[6]、それは市川の感じた「理屈っぽい傾向」というより、「むしろぎこちない思考」であり、〈ので〉〈から〉等の接続助詞の多出も、「関節の単純さのために、すべての行動をたやすく予見でき、予見できすぎることによってかえって謎めいてくる、あのマリオネットのとぼけたおかしさに近いもの」や、「即物性から飛躍できない、子供の〈理由さがし〉のこっけいさに似たもの」を意図した文体だと説明している[6]。
『赤い繭』について森川達也は、「この作品の生命は、何よりもまず、『赤い繭』そのものが持っているイメージの美しさ、にある」と評し[16]、『赤い繭』が一般的に言われるように、「ユーモアとアイロニーをこめた寓話的な手法によって、現代の人間の置かれた状況を描き出した短篇」には違いないが、単にその寓意を探って合理的に解釈することよりも、作品全体の詩的イメージの美しさを重視したいと解説をしている[16]。
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