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安部公房の小説 ウィキペディアから
『水中都市』(すいちゅうとし)は、安部公房の短編小説。帰り道が同方向だった男が突然、主人公のアパートに入り込み、父親と名乗り住みつくと奇怪な魚に生れ変って窓から飛び出し、街全体が水中の世界に変ってしまう物語。登場人物の変身する様が、安部公房独特の寓意とユーモアあふれる文体で表現されている[1]。
1952年(昭和27年)、雑誌『文學界』6月号に掲載され、同年12月10日に未来社より刊行の『闖入者』に収録された。のち1964年(昭和39年)12月10日に桃源社より単行本『水中都市』が刊行された。文庫版は新潮文庫で刊行されている。
1977年(昭和52年)には、戯曲版『水中都市』が創作され、同年11月5日に山口果林主演により西武劇場で上演された。小説と同じシーンもあるが、違うストーリーの別作品となっている[2]。
「おれ」は同僚の間木と飲んだ帰りに、駅で共産党の新聞売りにからむ変な男を見かけた。男は「おれ」の帰路と同じ方向に向い、「おれ」のアパートを訪ねた。男は「おれの父親」と名乗り、部屋へ入って来た。「おれ」は父親を無視し、翌日は間木の家へ彼の描いた絵を見せてもらいに行った。その3枚の絵は堤防から見た「おれ」や間木の働く工場の風景で、水の中に沈んだ街の絵だった。アパートに戻ると、父親はむくんでころがっていた。そして加速度的に膨張しジュゴンに似た蛹のようになり、腹が破裂し魚に変身して宙に浮んだ。窓ガラスが急に割れ、魚はどこかへ消えていった。その時、間木が来た。いつの間にかあたりは間木の絵のように水の中に沈んでいて、「おれ」と間木も宙に浮んで出ていった。
街には魚に噛み切られて首のなくなった人間があふれ、手さぐりで歩いていた。魚に食われないための念珠を売る男もいたが、その男は、魚になった「おれ」の親父に食われた。野良魚の親父は、警察魚を引き連れた一団に逮捕され、間木は、野良魚を養った嫌疑で「おれ」も指名手配になっていると言った。間木と「おれ」は堤防の方へ逃げた。その場所から、次第に変化してゆく工場の風景を黙って眺めた。「おれ」はその風景を理解することに熱中しはじめ、「この悲しみは、おれだけにしか分らない……」と考えた。
『水中都市』は安部公房が日本共産党員だった頃の作品であるが、発表から25年後に安部公房は『水中都市』について、以下のように述懐している。
田中裕之は、『水中都市』の魚への「変形」の意味について、同時期の短編『洪水』の液体人間の変身の意味とはやや異なる面はあるものの、共産党の新聞売りの言う、〈魚をなくすためにはこの水をなくする必要があります。この氾濫がすべての根本的な原因です〉という言葉や、『水中都市』の魚への変形の前提には街全体が水中世界に変わっているという変化があり、この作品でも「水」と「変革」が関係性を持っていると解説し[4]、刑事でもある〈念珠屋〉の言う、〈それに、この水加減はどうです。舶来ですぜ。ジャズの粉で味つけしてあるから魚の育ちがいい〉という言葉や、当時の安部の共産主義的立場の文学運動を考え合わせ、共産党の新聞売りの言う〈この氾濫〉は、「アメリカに植民地化されている日本の悪しき経済状況――いわゆる水浸しの経済状況――を表しているもの」と受け取れると考察している[4]。
ドナルド・キーンは、『水中都市』を気に入っているユーモアの多い作品として挙げ、冒頭の文章から興味をそそられると述べている[1]。そして、「安部氏の短編を説明したら、詩の説明や歌舞伎のあらすじみたいなものになってしまう恐れがある。説明できないところにこそ安部文学の魅力が籠っているのである」とし[1]、「安部文学の中に存在する哲学的な要素や現代絵画や写真との関係」など学問的な研究はひとまず置き、初期の短編はすなおに楽しく読んでもらいたいと解説している[1]。
『水中都市』(ガイドブック III)として戯曲化され、1977年(昭和52年)、雑誌「新潮」12月号に掲載された。構成は15景となっている。父親が妊娠して突然魚に変身したり、町全体が水中に没するといった小説のシーンは劇中にも登場するが、登場人物や筋は小説とは違っている。
戯曲版『水中都市』について安部は、「空中浮遊ができる父と娘をめぐるファンタスティックで、しかもリアルなブラック・コメディー」で、同時に、「推理小説のパロディー」でもあるとし、「存在しないものが存在するようになる基準の入れかえのドラマ」だと説明している[2]。
ありえないはずの空中浮遊術を使って万引き強盗の荒稼ぎを続ける飛び親子(父と娘)を訴えた商店主たちが、逆に狂言詐欺や狂人あつかいにされて次々と精神病院にいれられていく。被害者が多数におよび、やっと飛び親子の棲家に行った取調官は、そこで魚に変身してゆく飛父を見る。完全に魚に変身した飛父は、娘を食べてしまう。
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