阿部 祐二(あべ ゆうじ、1958年8月14日[2][3] - )は、日本のテレビリポーター、俳優、京都美術工芸大学客員教授。テンダープロ所属。
概要 あべ ゆうじ 阿部 祐二, 別名義 ...
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東京都板橋区出身[4]。板橋区立弥生小学校、板橋区立上板橋第一中学校、東京都立小石川高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業[2]。2019年11月より京都美術工芸大学客員教授に就任。身長は186cm[1]。妻はプロゴルファーの阿部まさ子(旧姓:礒村)。長女の阿部桃子[注釈 1]はファッションモデル・タレントとして活動しつつ、2017年度ミス・ユニバース・ジャパンに選出された[5]。現在は東京都江東区豊洲在住。英語が堪能であるため、外国人へも直接インタビューを行える。
『ビッグモーニング』(TBS)でリポーターとしての活動を開始するまでは、雑誌『POPEYE』でモデルを務めたり、俳優としてテレビドラマに出演していた(俳優業はリポーター業と並行する形で継続)。俳優時代初期の芸名は伊達 祐二(だて ゆうじ)[4]。伊達祐二の芸名でテレビドラマ『婦警さんは魔女』(TBS)で俳優デビュー[4]。
- 特技は剣道(1984年当時の段位は三段[4])。デビューのきっかけは、東京・高田馬場のトレーニングセンターで、藤岡弘にスカウトされた[4]となっているが、異説もある[6]。
- 小学生の時にわんぱく相撲大会で優勝したことがある。これがきっかけで相撲部屋に誘われたことがある[4]。
- 大学在学中から36歳までは、芸能・取材活動のかたわら、プロの家庭教師として教え子を数々の有名校へ進学させていた。29歳の時には、家庭教師を派遣する有限会社を自ら設立している[7][8]。
- モデル・俳優業からテレビリポーターに転身した背景として、大学を卒業する頃に記者を志望していたことを挙げている。[8]。
- 2005年9月6日、『ザ!情報ツウ』に台風の現場を伝えるリポーターとして出演していた。激しい強風に飛ばされそうになりながらもしゃがみこんで耐えながらリポートした直後に、普通に歩きだした様子が放送され、やらせだという風聞が発生した。この映像はYouTubeに投稿され150万回近く再生され、テレビ関係者からも批判を受けた。阿部は風が止んだので歩いたと説明し、やらせを否定している[9]。
- 恐妻家で、2012年2月25日には、自身初の著書として、『「恐妻家」が成功する22の法則』を講談社から発売。同年6月5日には、「“恐妻家”としても話題の人気リポーター」という触れ込みで、『徹子の部屋』(テレビ朝日)へ初めて出演した[10]。
- 恐妻家になった理由として、自分が不遇の時期に結婚したことを告白。「(プロゴルファーとして有名な)妻との収入に大きな格差があった状況で結婚したことから、今でも(家庭内における妻との関係を)絶対に挽回できない」と述べている[11]
- 2011年1月10日に西宮神社で行われた福男選びの抽選で赤のくじを当て、最前列の108人枠からスタートを切った。結果は63位[12]。
- 2011年3月11日未明、浦安市内の交差点で帰宅のために乗車していたタクシーに乗用車が衝突して首第二頸椎骨折など全治3ヶ月の重傷を負い入院した。この日の午後、東日本大震災が発生したが、取材活動には加わることができなかった[13][14]。同年6月2日の『スッキリ!!』で復帰[15]。
- 『スッキリ!!』2014年8月18日放映分取材のため、前日となる8月17日に東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットへと取材に赴いた。その最中に通りすがりの一般人から「大門巌さん」と呼びかけられ、最初は「人違いをされた」と思っていたが、その名前が自身がかつて出演していた特撮テレビドラマ『特捜エクシードラフト』での役名だったことを知らされて、「思いだして嬉しくなっちゃった」と語り、困惑が感動に変わったことを番組内でコメントした[16]。
Vシネマ
- パチンコ放浪記(1994年)
- コスプレ探偵(2013年)
- 裏切りの仁義(2017年) - テレビ中継リポーター
注釈
阿部がレポーターを務める『スッキリ』の元レポーターの阿部桃子(2015年3月~2017年3月)は同姓同名の別人であるがレポーターの方が阿部の娘と誤解されたことがあった。なお、娘も1度だけではあるが『スッキリ』のレポーターを務めたことがあった。
出典
週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年3月9日号 p.26
“阿部祐二”. ]speakers.jp (08). 2018年7月13日閲覧。
“阿部祐二”. ]aera (08). 2018年7月13日閲覧。
「恐妻家」が成功する22の法則 第1章「社会」で成功する恐妻家の法則 17.「アスリートの妻を持つ夫は、自分もアスリートの志を持つべし」より