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阪神電気鉄道のダイヤ改正(はんしんでんきてつどうのダイヤかいせい)は、阪神電気鉄道(阪神)が実施したダイヤ改正。
参考文献や出典によって判明できるもののみ記載し、実施時期が不明なものは記述を割愛する。駅名・路線名・車両名については時系列で記載し、本線系のみならず、当時存在していた国道線系のダイヤ改正についても判明分のみ記述している。[注 1]
1958年から運転を開始したジェットカー(青胴車)が32両にまで増備され、阪神本線の普通列車をジェットカーでの運用に切り替えたため、普通列車を含む全列車でスピードアップを行うなどの白紙ダイヤ改正となった。
この後、1962年12月1日に尼崎海岸線が廃止されたが、これによる阪神本線系のダイヤが改正されたかまでは不明であるため、詳細の記述は割愛する。
1975年5月6日付で国道線系の路線が全面的に廃止となったため、本改正以降の記述については、すべて阪神本線系のダイヤ改正について記述することとし、相互直通運転事業者については、高速神戸駅 - 新開地駅間で線路を共用している阪急神戸高速線を含み、本項で記述の必要性のあるダイヤ改正についてのみ記述する。
普通列車の運転両数を変更するなどの改正を実施した。
この翌年の1985年4月13日には、延長区間とは反対に位置していた、休止していた武庫川線の武庫大橋 - 武庫川間を廃止した。
この時は実質的には修正程度の改正であったが、1995年1月17日5時46分に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により壊滅的な被害を受け、復旧工事中は臨時ダイヤでの運用を余儀なくされた。曲線通過速度の向上によって特急列車の梅田 - 三宮間の所要時分を1分程度短縮するダイヤ改正を1995年3月頃に実施すると神戸新聞で発表していたが、震災の影響で計画は全面的に中止となった。
線路や施設が全面的に復旧。震災前のダイヤをほぼ踏襲した新ダイヤで運転を再開。特急列車が26分運転に戻った。
前年に発生した阪神・淡路大震災では地上設備や駅施設を優先して復旧させたが、震災により廃車された41両分の補充も早急に行えたことから、震災発生からわずか約1年2か月で本格的なダイヤ改正を実施した。
西大阪線西九条駅から大阪難波駅までの延伸工事が完成し、近鉄との相互直通運転を開始したことにより、11年ぶりの白紙ダイヤ改正となった。近鉄側では、この時はダイヤ変更ではなくダイヤ改正との呼称を使用していた。
近鉄側が白紙ダイヤ変更を実施したことにより、その変更と連動する形での改正となった。同日は山陽電気鉄道もダイヤ改正を小幅ながらも実施している。阪神本線では主に早朝・夜間において、阪神なんば線では平日日中において、それぞれ大きな変更があった[10]。
このダイヤ改正は阪神および山陽のみならず、乗り入れる近鉄側も同時にダイヤ変更を実施した。朝・夜間において列車の増発、または一部列車の運転区間延長、などが主な柱[11]。
この改正では、快速急行の運用に大きな変化が見られた[12]。
阪神なんば線延伸開業以降、ダイヤ改正は3〜4年ごとに行われてきたが、今回は前回から1年後の改正(阪神としては「一部変更」としている[13])となった。
平日夕方ラッシュ時間帯における快速急行の尼崎駅での連結・解放作業の解消による所要時間短縮、平日日中時間帯の快速急行の減便、さらに深夜時間帯の減便と終電繰り上げが大きな変更点である[15]。
平日日中時間帯の快速急行の増便、日中から夕方にかけて阪神なんば線での運行間隔の均一化、深夜時間帯の増便が主な変更点である[16]。
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