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長崎県長崎市にある国立大学 ウィキペディアから
長崎大学(ながさきだいがく、英語: Nagasaki University)は、長崎県長崎市文教町1-14に本部を置く日本の国立大学。1857年創立、1949年大学設置。大学の略称は長大(ちょうだい)。
長崎大学 | |
---|---|
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1857年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人長崎大学 |
本部所在地 | 長崎県長崎市文教町1-14 |
学生数 | 9,090 |
キャンパス |
片淵キャンパス(長崎市片淵4丁目) 文教キャンパス(長崎市文教町) 坂本キャンパス1(長崎市坂本1丁目) 坂本キャンパス2(長崎市坂本1丁目) |
学部 |
経済学部 医学部 歯学部 教育学部 薬学部 工学部 水産学部 環境科学部 多文化社会学部 情報データ科学部[1] |
研究科 |
多文化社会学研究科 教育学研究科 経済学研究科 工学研究科 水産・環境科学総合研究科 医歯薬学総合研究科 熱帯医学・グローバルヘルス研究科 プラネタリーヘルス学環 |
ウェブサイト | https://www.nagasaki-u.ac.jp/ |
起源は、幕末の1857年にオランダ海軍の軍医ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト(ポンペ)が、長崎奉行所内に開いた日本最古の医学校「医学伝習所」である。直接の前身は1923年創立の長崎医科大学で、旧制六医科大学、旧官立9大学の一つである。(1945年当時、広島に医科大学が無かったため、長崎医科大学は原爆による被災を受けた世界で唯一の医科大学となった。)
第二次世界大戦後に同医科大学と長崎県内にあった他の学校が統合され、文理にまたがる総合大学[2]となった。(「概観」「前身校」「沿革」参照)。
2020年(令和2年)には、多文化社会学部の新設から6年ぶりに「情報データ科学部」が新しく設置された[1]。
2019年4月には「学生や教職員の健康を守るため」として喫煙者は不採用の方針を打ち出している。5月には学内に禁煙外来を新設予定。教職員が約4千人おり、2018年8月時点の喫煙率は約8%となっている[3][4]。
本学は、1949年(昭和24年)に、長崎医科大学および附属薬学専門部、長崎経済専門学校、長崎師範学校、長崎青年師範学校を包括して設置された国立大学である。各学校の前身まで遡ると明治・大正期以来それぞれが異なる歴史を歩んできた。1950年代・60年代にキャンパスの移転・統合が行われ、現在では全10学部のうち7学部(教育学部、水産学部、工学部、薬学部、環境科学部、多文化社会学部、情報データ科学部)が文教キャンパス(長崎市文教町)に、旧制長崎医科大学以来の医学部、歯学部、長崎大学病院が坂本キャンパス(長崎市坂本1丁目)に所在する。経済学部だけは片淵キャンパス(長崎市片淵4丁目)に所在している。
総合病院(長崎大学病院)を有し、熱帯医学研究所(共同利用・共同研究拠点)や大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科の附置、がんの研究などが行われている。また水産学部が設置されている。
学部数が多く、特に理系の学部が多い。1997年(平成9年)には全国初となる文理融合型の環境科学部[5][注 1]が設置され、また2014年(平成26年)4月には全国唯一の多文化社会学部が設置された[6]。
太平洋戦争末期、長崎市は原爆攻撃を受けた歴史を持つ。このため長崎大学は、「核兵器廃絶研究センター」(RECNA)[7]を設立するとともに、放射線被曝医療に力を入れてきた。こうした背景で、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故のほか、それに先立つチェルノブイリ原子力発電所事故の被災地への支援を行っている[8]。
国立大学法人長崎大学発足以後の2005年4月1日制定。商標登録されている。
オランダ船の舳先にNU (Nagasaki University) の頭文字を付け、右肩に大學の字を配したマークが以前から使用されてきた。このマークの正確な図柄が不明確であったため、精緻化するとともに従来のマークにやや動きを加え、新たに船出した国立大学法人長崎大学を表すものとして制定した。日本が鎖国下にあった江戸時代、長崎の出島がオランダを含む海外との数少ない窓口であった歴史に因む[12]。
長崎のNを模した略式ロゴマークである。左側(青色)が「地域・日本国土」を取り巻く「広大な海とその先にある国際社会」を、中央(黄色)の線は「学生・教職員」を、点は「創造」を、右側(緑色)は自然環境の豊かな「地域・日本国土」を、これらの図形の重なりはそれぞれの分野での「調和と貢献」を表している。
1962年(昭和37年)、学内公募により制定。入学式、卒業式で歌われている。
2009年度までは各学科が独立していたが、2010年(平成22年)度に4系統7学科になり、2011年(平成23年)度から1学科6コース制となった。
2005年度-2010年度の構成
各コースは1年次学期末に選択して「選択願」を提出し、2年進級時に決定する(ただし、コース別に必修と履修指定される科目の履修は1年次3学期より始まる)
3キャンパスの中で最大のキャンパスである。とは言え、平地が僅少である長崎という土地柄、国立総合大学としてはキャンパスは狭く、18万m2余り[14]しかない。
大学本部、教養教育の講義を行う教養教育棟(旧教養部)、および7学部(教育学部、水産学部、工学部、薬学部、環境科学部、多文化社会学部、情報データ科学部)の教育棟がある。一ヶ所に7学部が集まっているため、学生の学部間の交流は盛んで、部活動やサークル活動での学部を越えた結束は強い。
文教キャンパスの場所は太平洋戦争中、三菱兵器大橋工場があり、長崎市への原子爆弾投下により大きな被害を受けた地域の一つである。周辺に教育学部の前身である長崎師範学校男子部があったが、校舎倒壊により、大村への移転を余儀なくされた。長崎大学発足当時に大村市や佐世保市、諫早市に分散していた学部も、戦後の復興とともに徐々に長崎に戻り、現在の文教キャンパスが形づくられた。
キャンパスには4つの門がある。正門(国道206号沿い、路面電車が走る通り)を入ってすぐの中部講堂は、東京海洋大学や水産大学校と同様に中部謙吉の寄付によって建てられた。現在は講義や集会といった用途に留まらず、講演会や部活動にも活用されている。講堂前面の広場は外部からも目立つため、待ち合わせ場所や休息場として長崎大生や近隣住民の憩いの場ともなっている。大学敷地の北側には、体育館やグラウンド・テニスコートがある。北門周辺は住宅地となっており、学生対象のアパートも多い。また通りを挟んで教育学部附属の幼稚園、小学校、中学校が設置されている。東門(旧・裏門)[注 5]は長崎県道113号長与大橋町線、長崎バイパスにつながる。通りをはさんで純心中学校・純心女子高等学校があるため、文教キャンパスの正門から東門の間は事実上、純心生徒の通学路となっている。南門を入ると、駐輪場、情報メディア基盤センター、保健・医療推進センター、教育学部棟がある。
また、文教キャンパス内には放送大学長崎学習センター[注 6]がある。放送大学学園と単位互換協定を結んでおり、放送大学で取得した単位を卒業に要する単位として認定することができる[15]。
医学部、歯学部の教育棟、熱帯医学研究所があり、長崎大学病院が隣接している。
医学部は旧制長崎医科大学を前身としている。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾により、爆心地(松山町)に近い坂本町の医科大学では教育棟および病院の中にいた教職員・生徒・患者の多くの命が失われた。また、大学に保管されていた文献や研究資料も失われ、建物の損壊も激しかった。永井隆は、長崎医科大学の卒業生であり、原爆が投下された当時は長崎医科大学で助教授を務めていた。原爆投下直後、校舎や病院は長崎市興善町のほか大村市や諫早市に分散したが、戦後の復興とともに、以前の校地に復帰した。
片淵キャンパスは長崎高等商業学校が1905年(明治38年)に開設されて以来、長崎大学の3キャンパスの中では歴史のある校地であり、現在は経済学部がある。経済学部倉庫(元銃器庫)、瓊林会館、拱橋(こまねきばし)といった長崎高商以来の土木・建築物が国の登録有形文化財に登録されている。キャンパス内の桜は花見の名所として知られており、校地脇を流れる中島川にはホタルが飛び交う。
原爆被災の際、片淵校地は山に遮られる形となったため被害は比較的軽く、長崎医大臨時本部が置かれた。長崎医大が前述の通り、多くの文献や研究資料を失った一方で、経済学部内には明治以来の遺構、戦前の中国・朝鮮半島との経済交流に関する多くの研究資料が残されている。幕末の出島の風景を描いた絵図も所有している。
以下の交通機関は全て長崎駅前を基準としている。
長崎ブリックホールの大ホールで行われている。長崎ブリックホールの開館前は長崎市公会堂で行っていた。2005年の卒業式および入学式より、オープニングに長崎大学ロマンツアー合唱団と長崎大学管弦楽団によって学歌が演奏されている。
International Cultural Dayは文教キャンパスの中部講堂およびその周辺で7月頃に行われる、留学生主催のイベントである。学長挨拶によれば2003年(平成15年)に初めて行われた。カタカナでは「インターナショナルカルチャーデー」や「インターナショナルカルチュラルデー」と書かれる。
狭隘な土地柄であり、大学近辺の平地と言える場所に位置するアパートの家賃は、町の規模に比して高い。長崎大学生の平均家賃は、およそ4万3千円(長崎大学生協調べ)。
長崎大学を含む九州・沖縄地区の11国立大学法人(九州大学、九州工業大学、福岡教育大学、佐賀大学、長崎大学、熊本大学、大分大学、宮崎大学、鹿児島大学、鹿屋体育大学、琉球大学)が2023年3月21日に覚書を締結した大学間連携[17]。
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