Remove ads
長崎県長崎市にある九州旅客鉄道の駅、長崎電気軌道の停留場 ウィキペディアから
浦上駅(うらかみえき)は、長崎県長崎市川口町にある九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。
本項では駅前にある長崎電気軌道(長崎電鉄)本線の停留場、浦上駅前停留場(うらかみえきまえていりゅうじょう、浦上駅前電停)についても扱う。
長崎本線の新・旧線の分岐駅であり、快速「シーサイドライナー」を含む全定期旅客列車が停車する。2008年3月14日までは寝台特急「あかつき」1往復のみが当駅を通過していたが、廃止に伴って当駅を通過する定期旅客列車はなくなった。2005年2月28日までは「あかつき」の他に寝台特急「さくら」も当駅を通過していた。特急「ふたつ星4047」などの観光列車は当駅を通過する。
諫早・佐世保・鳥栖・佐賀・福岡方面から長崎市北部・時津町・長与町などへ向かう玄関口となっているほか、終点の長崎駅まで行かなくても長与方面と市布方面との乗り換えができるため、快速と長与方面の列車の乗り換え利用者もいる。この場合、運賃は喜々津乗り換え(東園経由)とは異なるが、喜々津以遠(西諫早方面)の駅と長与 - 西浦上間の駅との間を乗車する場合に限り、東園経由と浦上経由との間に選択乗車制度があるため、結果的に最短距離で運賃を計算できる。ただしこの場合、券面表示区間外の長与 - 西浦上間は途中下車できない。
2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴い、当駅を経由し、停車する定期特急列車はなくなった。西九州新幹線の諫早 - 長崎間は長崎本線新線の線増として扱われており、またその開業時に、当駅 - 長崎駅には運賃計算の特例として分岐駅通過の特例が新設されたため、西浦上以遠から長崎乗り換えで西九州新幹線を利用する場合、別途特急券を購入することで浦上・現川経由の乗車券で長崎を経由できる。ただし長崎では途中下車できず、また当駅あるいは新線の現川方面から乗車して長崎で乗り換える場合にはこの特例は適用されない。
1897年(明治30年)7月22日に九州鉄道長崎線の長与駅と当駅間が開通したのに伴い開業。当時は長崎駅(ながさきえき)という名であった[2]。当時、現在の長崎駅と当駅間の一帯は海で、市中に乗り入れができなかったため、当地に駅が建設されたものである。開通初日の乗客数は494名、その料金収入は58円30銭5厘であった。現在の長崎駅が開業するまでの8年間は終着駅であり、長崎市の表玄関の駅でもあった。現在でも駅前広場の一角に「長崎駅址」の石碑が建てられている。
1945年(昭和20年)8月9日の長崎市への原子爆弾投下では、当駅は爆心地より約1 kmの至近距離に位置していたことから、駅舎は全壊し構内には多数の遺体が転がっていた[3]。国鉄職員の人的被害も甚大で、勤務中の職員ら約70名のうち即死者20名を含む65名が亡くなった[3]が、当駅は諫早駅などとの間で被災者をピストン輸送する拠点として機能し続けた。被爆後の駅舎は原爆により焼失しバラック建てによる仮復旧の後、1953年(昭和28年)に建てられたものである。
1973年(昭和48年)8月9日、当駅を含む国鉄職員の原爆犠牲者を慰霊する目的で「国鉄原爆死没者慰霊之碑」が国鉄労働組合により建立され、同時に慰霊祭が執り行われた[3]。
JR 浦上駅* | |
---|---|
改札口ときっぷ売り場(2023年1月) | |
うらかみ Urakami | |
所在地 | 長崎県長崎市川口町1-50 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
電報略号 | ウラ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,363人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)7月22日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■長崎本線 |
キロ程 | 123.7 km(鳥栖起点) |
所属路線 | ■長崎本線(長与支線) |
キロ程 | 23.5 km(喜々津起点) |
(- km) (長崎)► | |
備考 |
業務委託駅[15] みどりの窓口あり[16] |
* 1905年に長崎駅から改称 ** この間に肥前三川信号場あり(当駅から5.2 km) |
島式ホーム1面2線の高架駅。業務委託駅で[15]、みどりの窓口が設置されている[16]。
地上駅時代は相対式ホーム2面2線、2015年12月23日より高架化工事のため島式1面2線の仮ホームとなった。
この節の加筆が望まれています。 |
JR長崎本線連続立体交差事業に伴い高架化工事が行われた。平屋建ての旧駅舎は取り壊され、仮駅舎が2013年11月末に完成し同年12月14日より供用開始した。旧駅舎内に入居し、2013年5月6日から一時閉店していたファミリーマート(旧:生活列車→am/pm)とトランドールも12月14日より仮駅舎で営業再開した[18][19]。2020年3月28日に高架駅舎が供用開始した[12][13][14]。西九州新幹線の暫定開業後は、通常2 - 4両の普通・快速列車しか停車しなくなるため、不要になるホーム部分は撤去された[20]。
停留場は浦上駅前を走る併用軌道上にあり、ホームは道路上に置かれる[21][22]。ホームは2面あり、浦上駅に並行して伸びる2本の線路を挟んで向かい合う(相対式ホーム)[21][22]。駅側にあるのが赤迫方面行きのホーム、反対側が長崎駅前方面行きのホーム[22]。ホームには横断歩道橋と横断歩道が接続する。もとは歩道橋のみだったが、利便性を向上させるため2004年に横断歩道が追加で設置された[23]。駅番号は22。
1915年の開業当初は南寄りにあり[1]、当時の路線は浦上駅前から長崎大学病院(旧長崎県立病院)の門前まで大きくカーブを描いて迂回するようなルートをとっていた[5][24]。この区間は専用軌道で[25]、途中には長崎電気軌道で唯一、赤色灯付きの踏切があった[26]。ルートが変更されたのは1947年5月、原爆投下から浦上駅前 - 大橋間が復旧した時のことで[6][7]、都市計画に基づいて浦上駅前から浜口町までが一直線に結ばれるようになった[27]。
長崎県内の駅では長崎駅、諫早駅、佐世保駅に次いで4番目に利用客が多い。各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
2000年 | 2,095 |
2001年 | 2,033 |
2002年 | 1,955 |
2003年 | 1,888 |
2004年 | 1,887 |
2005年 | 1,903 |
2006年 | 1,908 |
2007年 | 2,061 |
2008年 | 2,213 |
2009年 | 2,330 |
2010年 | 2,379 |
2011年 | 2,412 |
2012年 | 2,551 |
2013年 | 2,562 |
2014年 | 2,569 |
2015年 | 2,597 |
2016年 | 2,609 |
2017年 | 2,568 |
2018年 | 2,629 |
2019年 | 2,590 |
2020年 | 2,146 |
2021年 | 2,270 |
駅前広場を挟み国道に面する。駅の裏には長崎原爆病院、茂里町側にはみらい長崎ココウォーク(商業施設)、ココウォークバスセンター(バスターミナル、ココウォーク1階)、長崎ブリックホール(コンサートホール・国際会議場)、長崎文化放送(放送局)、長崎新聞社、長崎西高校、活水中学・高校など公共・文教施設が多い。また、バス・路面電車(北部方面)への乗り換え利用者も多い。この駅の利用者は通勤通学者が多数を占める。
最寄りのバス停は国道206号沿いにある長崎自動車・長崎県交通局の「浦上駅前」バス停。他にも「ココウォーク茂里町」バス停やココウォークバスセンターが徒歩圏内にある。浦上駅前を起終点とする便は少ない。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.