鎌倉市立第一小学校
神奈川県鎌倉市にある小学校 ウィキペディアから
鎌倉市立第一小学校(かまくらしりつ だいいちしょうがっこう)は、神奈川県鎌倉市由比ガ浜にある公立小学校。鎌倉市内では最も歴史のある公立小学校である。
鎌倉市立第一小学校 | |
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北緯35度18分52.2秒 東経139度32分52.3秒 | |
過去の名称 |
尋常由比浜小学校 鎌倉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鎌倉市 |
設立年月日 | 1893年 |
開校記念日 | 1月11日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B114220420014 |
所在地 | 〒248-0014 |
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目9-55 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
学校正門は、往古の車大路(現在は誤って琵琶小路と呼ばれることもある)に、通用門(通常閉鎖)は若宮大路に面する。
ほとんどの卒業生は、鎌倉市立第一中学校に入学するが、一部の生徒は鎌倉市立御成中学校に進む。
概要
1893年(明治26年)に尋常由比浜小学校として創設された。
元からの鎌倉住民のほか、保養等のため鎌倉に一時的に滞在した文化人、財界人の子弟や、戦前には海軍高級士官の留守家族等も、すぐ近くのハリス記念鎌倉幼稚園を経て数多く入学している。このため、地方の小学校としては教育レベルは高かったが、卒業の前後になると東京に転校し、当時全国旧制中学の最高峰であった府立第一中学(現・都立日比谷高校)に入学するものも見受けられた。また、地元の旧制湘南中学や逗子開成中学等に進み、海軍兵学校や、旧制高校を経て東大等に進学した著名人も少なくない。
かつては旧鎌倉全域を校区としていたが、大正時代に二階堂に鎌倉第二小学校が設けられたほか、昭和になって、御成町に御成小学校、極楽寺に稲村ガ崎小学校が新設されたことに伴い、校区は狭まった。この間、昭和22年に鎌倉小学校から第一小学校に改称している。もっとも、現在も、大町、材木座、由比ガ浜、長谷等市内住宅街の中心部の多くを校区に含む。
校章(星月)は、鎌倉の枕詞「星月夜」に由来する。これは、極楽寺坂切通しにある「星月夜の井」(別名「星の井」、鎌倉十井の一つ)に因むもの。なお、校旗は、明治41年1月初め、鎌倉御用邸に避寒の為御滞在の明治天皇の皇女富美宮、泰宮内親王から贈られたもので、赤塩瀬二枚合せ地の両面に星[要曖昧さ回避](金糸)、月(銀糸)の縫い取りがされ、縁に金モール、金茶色絹蛇腹が施されている。なお、由緒ある校旗の傷みが激しくなったことから、現在の校旗は昭和57年に複製したもの。旧校旗は鎌倉国宝館に永久保存されている。
校歌は新旧二つ存在し、旧校歌は明治39年(1906年)に制定され、作詞は新保磐次。[1]現校歌は昭和30年(1955年)の「現在地開校50周年記念式典」において制定された。作詞吉野秀雄、作曲山田耕筰。[2]
歴史
- 出典[3]
- 1893年(明治26年)1月11日 - 尋常由比浜小学校開校。
- 1905年(明治38年)5月5日 - 現位置に新設、鎌倉小学校と改称。この日(5月5日)を開校記念日と定めた。
- 1906年(明治39年)2月11日 - 旧校歌制定。
- 1908年(明治41年) - 明治天皇第八皇女富美宮、第九皇女泰宮両家から校旗を拝受。
- 1925年(大正14年)5月 - 新校舎3棟16教室ができる。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 鎌倉第二小学校へ、児童約400名分出。
- 1933年(昭和8年)11月20日 - 鎌倉御成小学校へ、児童約700名分出。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、鎌倉市立第一小学校と改称。
- 1948年(昭和23年)7月31日 - 鎌倉市立稲村ケ崎小学校へ、児童約600名分出。
- 1954年(昭和29年)5月10日 - 特殊学級開設。
- 1955年(昭和30年)11月6日 - 現在地開校50周年記念式典挙行し、新校歌制定。
- 1965年(昭和40年)1月30日 - 第7校舎と第8校舎が焼失。
- 1966年(昭和41年)5月4日 - 新校舎第1期工事落成(1号棟)。
- 1968年(昭和43年)9月1日 - 新校舎第2期工事落成(2号棟・給食室)。
- 1971年(昭和46年)9月1日 - 新校舎第3期工事落成(1号棟増築)。
- 1973年(昭和48年) - 開校記念日を「5月5日」から、「1月11日」に変更。
- 1975年(昭和50年)3月15日 - 屋内体育館落成。
- 1979年(昭和54年)4月30日 - 第4期工事落成(3号棟)により、校舎完成。
- 1981年(昭和56年)9月14日 - 1号棟管理諸室改築。
- 1982年(昭和57年)12月8日 - 校旗新調。旧校旗は鎌倉国宝館に永久保存となった。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)9月30日 - 体育倉庫新設。
- 1986年(昭和61年)9月30日 - 散水施設新設。
- 1988年(昭和63年)3月10日 - 陶芸庫新設。
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)4月1日 - 弱視学級開設。
- 1995年(平成7年)11月30日 - 1号棟トイレ改修工事完了。
- 1996年(平成8年)10月31日 - 2号棟トイレ改修工事完了。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 2号棟教室改修工事完了(多目的室)。
- 1998年(平成10年)3月31日 - 弱視学級閉鎖(児童卒業のため)。
- 1999年(平成11年)
- 1月31日 - 1号棟耐震工事完了。
- 3月31日 - 障害児学級閉鎖(児童転校のため)。同日、2号棟外階段取り付け工事完了。
- 2000年(平成12年)
- 4月1日 - 知的障害児学級開級。
- 時期不明 - 第2理科室改修工事完了。
- 9月11日 - ベランダ手摺改修工事完了。
- 2001年(平成13年)
- 4月1日 - 情緒障害児学級開級。
- 12月3日 - 1号棟管理諸室耐震工事完了。
- 2003年(平成15年)12月19日 - 音楽室冷房設備設置完了。
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)
- 11月17日 - 鎌倉市と上田市小学校交流事業による交流会実施(6学年児童)。
- 時期不明 - 第1音楽室及び隣普通教室改修工事完了。
- 2012年(平成24年) - 弱視学級「月組」を新設(事実上の「弱視学級」再設)。
- 2014年(平成26年) - 体育館及び校舎屋上工事完了。
- 2017年(平成29年) - 普通教室(24教室)にエアコン設置。
通学区域
- 出典[4]
- 大町2丁目(全域)
- 大町3丁目(全域)
- 大町4丁目(全域)
- 大町5丁目(全域)
- 大町6丁目(全域)
- 大町7丁目(全域)
- 材木座1丁目(全域)
- 材木座2丁目(全域)
- 材木座3丁目(全域)
- 材木座4丁目(全域)
- 材木座5丁目(全域)
- 材木座6丁目(全域)
- 由比ガ浜2丁目(全域)
- 由比ガ浜3丁目(全域)
- 由比ガ浜4丁目(全域)
- 長谷1丁目(全域)
- 長谷2丁目(1番~14番、19番(1号~3号、27号~29号))
- 長谷3丁目(1番~11番)
進学先中学校
- 出典[5]
- 鎌倉市立第一中学校 - 大町・材木座・由比ガ浜から通う児童の進学先
- 鎌倉市立御成中学校 - 長谷から通う児童の進学先
著名な出身者
周辺
- 放課後子どもひろばだいいち - 敷地が隣接。
- 鎌倉市鎌倉体育館 - 敷地が隣接。
- 江ノ島電鉄江ノ島線 - 線路は校地のすぐそばを通るが、和田塚駅は少し離れている。
- 神奈川県道21号横浜鎌倉線
- 神奈川県警鎌倉警察署
- 鎌倉女学院中学校・高等学校 - 鎌倉警察署に隣接。
- 石造宝竹匡印塔
- 日本基督教団鎌倉教会
- 学校法人日本基督教団鎌倉教会学園ハリス記念鎌倉幼稚園 - 進学前幼稚園のひとつ。
- 京浜急行バス鎌倉営業所
アクセス
- 京浜急行バス「(系統番号無し)九品寺循環線」・「鎌11」・「鎌12」・「鎌40」・「鎌41」の各系統で、「小学校前」停留所下車後、
- 江ノ島電鉄江ノ島線和田塚駅から、
- 駐日ロシア大使館鎌倉別荘脇の歩道経由で、校地東側の裏門まで、徒歩約260m・約4分。
- 校地西側の学校正門まで、徒歩約350m・約5分。
その他
脚注
関連項目
外部リンク
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