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日本の女性モデル (1984-) ウィキペディアから
道端 ジェシカ(みちばた ジェシカ、Jessica Michibata、1984年10月21日 - )は、日本の女性ファッションモデルである。本名はジェシカ・セレステ・ゴンサレス・アルマダ (Jessica Celeste González Almada)[1] で、福井県の出身である。2014年まで田辺エージェンシーに所属した。(Poco'ce [ポコチェ]にて「最近独立したこともあって」と発言している[2])。2006年までフライディに、のちにREVIVEに所属した。元F1ドライバーのジェンソン・バトンは元配偶者、道端カレンは姉、道端アンジェリカは妹。
スペインやイタリアにルーツがあるアルゼンチン人の父と日本人の母に生まれた道端3人姉妹の次女で、姉のカレンと妹のアンジェリカもファッションモデルとして活動している。3姉妹のほかに「ジェシカそっくり」の兄アニバル・タロウ(カメラマン)がいる[3]。物心がつくころから母親に「(姉妹)3人とも将来モデルになりなさい」と躾られた[4]。
5歳の時に、福井県の子供服店のパンフレットで妹のアンジェリカと共にモデルを務める[5]。姉のカレンが所属するモデルエージェンシーに誘われ、1997年に13歳でモデルデビュー[6]し、家族で上京する[5]。中学2年生まで福井県内の学校に通った[7]。デビュー以来多くのファッション雑誌に出演し、専属モデルを務める雑誌『ピーチジョン』で「道端ジェシカが出演したことのない女性ファッション雑誌はないのでは?」とコメントされる[8]。
2007年に「サマンサタバサ」でプロモーションモデル兼デザイナーを務め、バッグ「サマンサベガ by ジェシカ」やジュエリー「サマンサシルヴァ by ジェシカ」をデザインして販売する。
2010年春夏パリ・オートクチュール・コレクションで桂由美のウエディングドレスのモデルに起用され、パリコレにデビューする[9]。
2011年8月に、タグホイヤーでワールド・ワイドブランドミューズ[10]に指名される。
2011年秋季に、ナイキグローバルキャンペーンに参加[11]する。
2013年1月にハワイ州観光局ビューティー大使[12]として、ハワイでファッションショー[13]やトークショーなどに出演する。
2014年9月に、ウェディングドレスをデザインして「Grace by Jessica」を発表[14]する。
2014年に『シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸』で映画に初出演して主演する[15]。
2015年1月にナチュラル・オーガニックコスメブランドMiMC(エムアイエムシー)の2015年春夏コレクションで、新ミューズとして起用される[16]。
2023年3月20日、夫宛ての荷物に合成麻薬MDMAが入っており、MDMAを所持した現行犯で逮捕されたが[17][18]、調べに対し容疑を否認[17]。尿検査で二人とも陰性が確認され、4月5日に処分保留で釈放された[19]。夫は同日、MDMAを密輸した疑いで再逮捕された[19]。道端は21日付で不起訴処分となった[20]。夫は所持については不起訴となったが、MDMAを密輸した麻薬及び向精神薬取締法違反罪で起訴された[21]。6月20日、夫が東京地方裁判所から懲役1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡された[22]。
趣味と特技は映画鑑賞、ヨガ、写真撮影、語学[23]、読書はインタビューで集中すると1週間に10冊読破することもあり[24]、作家は桐野夏生、東野圭吾、花村萬月、ジャンルはハードボイルド、自伝、スピリチュアル系をそれぞれ好む、と自著「幸せのある場所」で記す。
猫を愛好してペルシャ猫の「ビアンカ(ビアンちゃん)」を飼育した。現在は母親が猫の「kiki」猫を飼育しており、道端のブログに度々登場する。犬のmochiも道端のインスタグラムに度々登場し、犬専用のインスタグラムアカウントがある。
右首に生命体を表す五角形のシンプルな星のタトゥーを小さく入れている。
2017年7月13日に妊娠[25]を、10月25日に出産[26]をそれぞれインスタグラムで公表した。
イギリス人F1ワールドチャンピオンのジェンソン・バトンと交際し[27]、2009年10月24日発売の『GQ JAPAN』の表紙に2人揃って登場して同時インタビューを受けた。2008年2月に共通の友人を介して日本で出会い、その後、バトンが招待した2008年の日本GPで再会する。2008年の年末を一緒にハワイで過ごし、付き合うようになったとバトンは語る[28]。2010年5月28日にイギリスの大衆紙『ザ・サン』などが2人の破局を報じた[29]。その後、7月11日にロンドンの日本食レストラン「Roka」で2人の会食が目撃された。当日はバトンの母国イギリスGPが終了後で、レース終了後のインタビューなどから2人が復縁しているとも推測される[30]2010年7月29日のハンガリーGPで、バトンはジェシカとパドックに手をつないで現れて「彼女は笑顔にさせてくれる」などと語った[31]。
バトンと交際を始めてから、ジェシカがパドックから観戦する光景が度々F1の国際映像に映された。ジェシカが観戦するレースのほとんどでバトンは優勝して2009年のワールドチャンピオンを獲得し、スポーツ紙やファッション誌も道端を「勝利の女神」と評した[32]。2010年5月28日の破局報道以来バトンは優勝から遠ざかっていたが、2011年6月12日のカナダGPは、最終ラップで大逆転して勝利した。2011年10月9日の日本GPは、妹のアンジェリカと共にサーキットを訪れ、バトンは日本GPで初優勝した。バトンの父ジョン・バトンとも親しい。2014年2月のF1バーレーンテストに同行し、バトンが所属するマクラーレンは、Twitterで二人の婚約を公表した[33]。2014年12月29日に結婚[34] するも一年で離婚する。
2010年6月頃からトライアスロン競技に挑戦すると公言し、その後もトレーニングを重ねる姿をブログ内で度々公開している。バトンもトライアスロンを続けるアスリートとして過去に何度も国外のトライアスロン大会で応援し[35]、バトンの影響でトライアスロンを始めたと公言している[36]。
2010年12月19日、オーストラリア西オーストラリア州ロッキングハムで開催されたトライアスロン大会に、バトンと共に初出場する。ジェシカはスイム750m、バイク20km、ラン5kmのスプリント・ディスタンスクラスの種目に挑戦し、自身が目標としていた1時間40分よりも早い1時間26分で完走した[37]。体質は筋肉質となり「バレリーナのように細く、引き締まった筋肉にしたい」と発言した[36]。
2012年3月11日に名古屋で開催された名古屋ウィメンズマラソンに、オフィシャルサポートランナーとして出場してフルマラソン初挑戦を4時間36分で完走した[38]。
2015年4月26日にロンドンで開催されたロンドンマラソンに夫のジェンソンと出場し、2回目のフルマラソンを4時間15分で完走した[39]。
ボランティアは、母の勧めとその想いに感銘を抱いて始めた[40]。2011年9月に国連UNHCR協会を通じてネパールのブータン難民キャンプを訪問している[41]。トライアスロン初出場となったロッキングハムの大会は国連主催の難民チャリティで、恋人と趣味を共感するとともに寄付金を集める目的もあった。2011年に東日本大震災直後の15日に、震災復興の救済義援金活動として「TEAM JESSICA」を立ち上げた[42]。
2015年1月28日に、ボランティア活動を評価されて「第6回若者力大賞」を受賞した[43]。
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DVD(2015年3月18日)
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(2015年6月20日、フォレスト出版)ISBN 978-4894516687
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