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藤川 貴央(ふじかわ たかお、1987年8月25日[2] - )は、ラジオ大阪のアナウンサー、防災士。一時はプロデューサーを兼務していた。
関西テレビのアナウンサーだった山本浩之への憧れが高じて、アナウンサーを「職業」として意識[5]。大学生時代には、藤本義一が支部長を務めていた日本放送作家協会関西支部主催の朗読劇[2][5]で、平山助次郎や大石主税などを演じた。その一方で、大学3年生の時にアナウンサーになると決めたが、アナウンサーが 務まるかどうか、占い師の「三条の母」の所へ行った時に「本当は教師が向いているけど、アナウンサーにはなれると思う」と言われ、その三条の母に教えられたままに(本人の談)[5]、中央放送研究会(CHK)の京都アナウンススクールに通い始める[6][5]。2009年に開かれた第7回京都学生祭典では、FM802のDJ・鬼頭由芽と共に学生司会者を務めた。
大学卒業後の2010年4月1日に、福島テレビへ入社。アナウンサーとして、本社の報道部に配属された。東日本大震災発生直後の2011年5月1日付で、報道記者兼アナウンサーとして郡山支社へ異動[7]。『FNNスピーク』や『FNNスーパーニュース』(いずれもフジテレビ制作・FNN全国ネット)で東日本大震災関連の特集を放送する場合には、福島県内の被災地から、全国向けの中継リポートをたびたび担当していた。
2012年7月1日付で、福島テレビ福島本社報道部アナウンサーに復帰。復帰後は、東日本女子駅伝テレビ中継での中継所実況[8]や、情報番組のリポーター、定時ニュース、ナレーションなど幅広く活動した。
2013年3月15日付で福島テレビを退職[9]。翌4月1日付で、ラジオ大阪に移籍した。同局が(新卒・経験者を問わず)男性アナウンサーを採用するのは、1993年の田中友英(2002年4月1日付でRKB毎日放送へ移籍)以来、19年振りであった。
ラジオ大阪への移籍後は、2014年9月24日から2017年3月31日まで、平日早朝の生ワイド番組『モーニングライダー! 藤川貴央です』のメインパーソナリティを担当。ラジオ大阪・朝日放送(現在の朝日放送ラジオ)・毎日放送(現在のMBSラジオ)といった在阪民放ラジオ3局がFM補完放送(ワイドFM)の本放送を開始した2016年には、ラジオ大阪代表の「ワイドFM大使」へ任命された[10]。これを機に、朝日放送ラジオ・毎日放送のレギュラー番組、両局との共同制作による特別番組、および関連イベントにも随時出演している。
2019年には、ラジオ大阪での先輩アナウンサーに当たる原田年晴が、9月30日で同局を定年退職。原田の定年時点で他の正社員アナウンサーは藤川と和田麻実子しかおらず、原田も翌10月1日から嘱託契約へ移行したため、ラジオ大阪の男性正社員としては唯一のアナウンサーになった。さらに、和田は12月1日から、第2子の出産を伴う産前産後休暇を取得(翌2020年11月から復帰)。定年後もアナウンサーとして在籍している原田も2020年1月下旬から3月中旬まで悪性リンパ腫の入院加療に専念していたため、原田が同年6月に収録番組で復帰するまでは、ラジオ大阪アナウンサーとしての職務を事実上一手に担っていた。
2022年4月4日からは、『モーニングライダー!』の終了以来5年振りに、平日早朝の冠生ワイド番組を『藤川貴央のニュースでござる』で担当中。同年7月8日(金曜日)に奈良市で発生した安倍晋三(元・衆議院議員および内閣総理大臣)への銃撃事件では、『ニュースでござる』の本番後に事件現場(近畿日本鉄道の大和西大寺駅前)で取材を重ねた末に、当日夕方の『ニュースパレード』(文化放送制作・ラジオ大阪を含むNRN33局同時ネットの全国ニュース)向けに生中継でリポートを送った。ラジオ大阪(大阪放送)はこのリポートによって、文化放送から「ニュースパレード賞」(同局やネット局の取材リポートを年に1回審査したうえで表彰する制度)の最優秀賞を受賞している[11]。
以下の番組には、いずれも「ワイドFM大使」として出演。
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