羽幌炭礦鉄道(はぼろたんこうてつどう)は、かつて北海道苫前郡羽幌町で炭鉱と鉄道路線を経営していた炭鉱会社であり、鉄道会社である。札幌証券取引所に上場していた。
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停車場・施設・接続路線(廃止当時) |
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国鉄:羽幌線 1987年廃止 |
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0.0 |
築別 -1987年 |
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2.7 |
五線 |
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4.1 |
七線沢 |
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6.3 |
上築別 |
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9.0 |
曙光 |
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第一築別川橋梁 |
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第二築別川橋梁 |
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第三築別川橋梁 |
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曙 |
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国鉄:名羽線 |
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三毛別川 |
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国鉄からの借入:貨物側線扱い |
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三毛別川 |
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三毛別 羽幌坑積込ポケット |
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13.3 |
桜ケ丘 |
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第四築別川橋梁 |
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第五築別川橋梁 |
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15.7 |
古賀町 |
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築別坑積込ポケット |
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16.6 |
築別炭砿 |
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社名を見ると鉄道が本業であるかに見えるが、本業は炭鉱である。羽幌、上羽幌、三毛別に坑口と選炭設備を有し、羽幌運搬竪坑は、近代的な塔櫓捲(ワインディングタワー・タワーマシーン)形式の竪坑櫓を持ち、日本国内で2024年現在唯一現存するビルディングタワー式の竪坑櫓である。九州の福岡県志免町に現存し、重要文化財に指定された海軍炭鉱の志免竪坑櫓の近代形である。
鉄道路線は自社の羽幌炭鉱から産出される石炭を搬出するために国鉄名羽線(名寄 - 羽幌間)を先行して建設したもので、1941年に開通したが、1970年の炭砿の閉山とともに廃止された。一時期は、国鉄羽幌線に気動車が乗り入れ、国鉄車とほぼ同仕様の気動車を保有していた。
- 区間(営業キロ):築別 - 築別炭砿 16.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数:8(起終点駅を含む)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 交換可能駅:駅一覧を参照
- 最小曲線半径:200m
- 最急勾配:16‰
- 軌条:30kg
- 橋梁:11箇所
- 隧道:なし
- 機関庫・付属工場・車庫:築別炭礦駅構内
羽幌炭鉱(築別炭礦、羽幌坑、上羽幌坑)のあった苫前炭田では1895年(明治27年)頃に鉱区が設定されて採掘が始まったが、適切な運搬手段がなく、大規模な開発には至らなかった。1918年(大正7年)頃に財閥の鈴木商店(日商岩井の前身、現在の双日)が一帯の鉱区を買収した。鈴木商店が金融恐慌により1927年(昭和2年)に清算されてからも、同社傍系の太陽曹達(1939年(昭和14年)太陽産業に改称)が所有し、1931年(昭和6年)頃より開発に着手した。
当時、国鉄羽幌線が留萠より順次開業し、1932年(昭和7年)9月には羽幌まで到達しており、さらに北上を続ける予定であった。太陽曹達は羽幌鉄道を設立し、1938年(昭和13年)に国鉄駅予定地の築別一線(築別)と築別本流(築別炭鉱)を結ぶ17.2kmの本線、および途中の曙より三毛別を経由して上羽幌に至る10kmの支線を含む鉄道敷設免許を申請した。このうち、曙 - 上羽幌間は鉄道省予定線「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」と競合することから除外され、1940年(昭和15年)5月に築別 - 築別炭鉱間の免許を受けた。
1939年秋には運炭道路建設の名目で路盤工事に着手したようで、突貫工事が進められた。戦時体制下の資材確保は困難で、橋梁などは改修工事で不要となった各地の中古品を購入して使用し、北海道帝国大学工学部に標本として貸与されていた1898年製の古典機関車を鉄道省より譲り受けるなどした。また、客貨車の入手が間に合わず、開業より2か月間は鉄道省よりハフ4715とワフ2966を借り入れた(竣功監査報告より)。1941年(昭和16年)12月9日の羽幌線羽幌 - 築別間開通直後の12月14日に営業を開始したが、時に太平洋戦争開戦6日後のことであった。この間、1940年(昭和15年)7月に太陽産業(株)羽幌礦業所は羽幌炭鉱(株)と改称、さらに1941年3月、羽幌鉄道が羽幌炭鉱を吸収して羽幌炭礦鉄道となっている。
戦後は上羽幌坑と羽幌坑(三毛別)の開坑により出炭量が増加して沿線人口も増えた。1958年(昭和33年)から気動車の運行を開始して貨客分離に努め、国鉄定期列車に併結して羽幌駅まで乗り入れを行った。
1962年(昭和37年)12月には工事中の国鉄名羽線(羽幌 - 朱鞠内間51.2km)のうち、軌条工事が完了した曙 - 三毛別間3.8kmで国鉄非営業線運送という異例の取扱いにより運炭列車が走り始めた[1]。羽幌本坑にビルディングタワータイプの最も新しいタイプであるワインディングタワー式竪坑櫓を持つ運搬竪坑が竣工し、この羽幌坑の設備増強により年間40万トンの出炭が可能となったことを受けて、自社の動力車(乗務員含む)を使用して運行し、運送対価として曙 - 三毛別間運送原価に見合う相当額(1トン当たり57円)を国鉄が会社より収受するというものであった[1]。1964年(昭和39年)に名羽線が日本鉄道建設公団に引き継がれると、国鉄が公団と協定を結んで同区間の有償貸付(貸付料金年間545万1000円)を受ける形で運行が継続された[1]。この区間は前述のように曙 - 上羽幌間が鉄道省予定線との競合により除外された後も、羽幌坑開発に合わせて1949年(昭和24年)3月に曙 - 三毛別4.0kmの構外側線敷設認可を得ながらも建設中止となった経緯があり、会社としては悲願の運行であった。
当時は車掌は男性駅員が交代で務めていたが、1960年代に入ると後述するキハ22形の導入に合わせ、全国初となる女性の車掌専門職員を採用し乗客からも好評を得た[2]。貨物・旅客とも飛躍的に輸送量を伸ばし、1969年(昭和44年)にはディーゼル機関車を導入した。
会社更生手続
出炭量は電力用や暖房用を中心に年産100万トンを超え、国内有数の優良鉱として近代化も進んでいたが、1970年(昭和45年)9月1日、会社は札幌地方裁判所に会社更生手続開始申立書を提出した。申し立ての理由として会社は、石炭産業の前途に対する不安で離山者が相次いで人員不足となった上に採炭切羽が断層とぶつかったため出炭が計画通りに進んでいないこと、取引会社の経営破綻により売掛金が回収不能となって8500万円余りの打撃を蒙り、資金繰りが急速に悪化したことなどを挙げ、破産を避けるために更生手続きに入りたいとした。一方で、1970年3月末現在の貸借対照表では資産69億円に対して負債75億円であったが、借入金のうち35億円は石炭鉱業再建整備臨時措置法(1971年(昭和46年)3月までの時限立法)に基づいて元利補給金と再建交付金を受けて10-15年割賦での政府の肩代わりが決まっており、債権者による訴訟等は行われていなかった。
ところが、2か月後の11月1日の取締役会で更生を断念して閉山を決定、申し立てを取り下げて特別閉山交付金制度に基づく特別閉山を申請した。3000万トン以上の可採炭と7500人余りの炭礦関係住民を残しての終焉であった。鉄道事業も11月12日に運輸省に運輸営業廃止を申請して許可され、12月15日に廃止を実施して羽幌直通の沿岸バスに転換された。
年表
- 1938年(昭和13年)9月19日:羽幌鉄道が築別 - 築別炭礦間および曙 - 上羽幌間の鉄道敷設免許申請
- 1940年(昭和15年)
- 5月7日:羽幌鉄道に築別 - 築別炭礦間17.2km鉄道敷設免許[3]
- 7月19日:羽幌鉄道株式会社設立[4]
- 1941年(昭和16年)
- 3月17日:羽幌鉄道と羽幌炭礦が合併し、羽幌炭礦鉄道に改称
- 12月14日:羽幌炭礦鉄道築別 - 築別炭礦間16.6km運輸営業開始[5]
- 1945年(昭和20年)10月:上築別停留場設置
- 1948年(昭和23年)6月1日:五線停留場設置
- 1949年(昭和24年)3月14日:曙 - 三毛別間4.0km構外側線敷設認可(のちに工事中止)
- 1950年(昭和25年)10月:曙 - 三毛別の羽幌坑間に索道設置
- 1958年(昭和33年)
- 6月10日:古賀町停留場設置
- 8月1日:七線沢停車場設置
- 12月1日:築別 - 羽幌間国鉄乗り入れ開始
- :客貨分離
- 1959年(昭和34年)11月9日:名羽線羽幌 - 朱鞠内間51.2kmが国鉄工事線となる
- 1960年(昭和35年)1月1日:曙光停留場設置[6]
- 1962年(昭和37年)
- 12月:桜ケ丘停留場設置。
- 12月24日:名羽線曙 - 三毛別間3.8km軌道工事完成し、羽幌炭礦鉄道動力車による非営業線運送開始
- 1970年(昭和45年)
- 9月1日:札幌地裁に会社更生法手続開始申立
- 11月2日:札幌地裁に会社更生法手続開始申立取下申請(11月7日取下許可)
- 11月12日:運輸営業廃止許可申請
- 12月9日:運輸営業廃止許可[7]
- 12月15日:廃止実施[8]
1970年(昭和45年)10月10日ダイヤ改正での列車設定
- 旅客列車
- 築別炭礦 - 築別間 6往復
- 貨物列車
- 築別炭礦 - 築別間 1往復
- 羽幌砿(三毛別)- 曙 - 築別間 3往復(三毛別 - 曙間は国鉄非営業の名羽線3.8kmを有償で自社運行)
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| 築別炭砿駅 | 曙駅 |
| 乗車人員推移 | 貨物(車扱)トン数推移 | 乗車人員推移 | 貨物(車扱)トン数推移 |
年度 | 1日平均人数 | 発送 | 到着 | 1日平均人数 | 発送 | 到着 |
1947 | 142 | 28,876 | 11,453 | 50 | 9,540 | 366 |
1949 | 146 | 86,217 | 11,058 | 55 | 23,903 | 1,748 |
1951 | 120 | 151,552 | 12,856 | 79 | 78,240 | 7,979 |
1953 | 127 | 181,101 | 24,827 | 96 | 132,751 | 11,898 |
1955 | 142 | 269,372 | 22,226 | 87 | 168,528 | 6,190 |
1957 | 196 | 371,566 | 25,916 | 114 | 247,128 | 10,131 |
1959 | 766 | 425,983 | 32,415 | 181 | 305,672 | 11,099 |
1961 | 866 | 609,277 | 24,793 | 174 | 368,052 | 15,644 |
1963 | 904 | 548,478 | 23,309 | 260 | 386,527 | 17,322 |
1965 | 879 | 441,357 | 21,788 | 242 | 532,735 | 13,314 |
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- 羽幌町史 昭和43年発行 P659-661による。
- 曙駅は1962年以降は名羽線の運用によって三毛別(羽幌坑)方面の貨物を直接取り扱うことがなくなったが、引き続き曙駅扱いとして計上している。
蒸気機関車
- 1150形 (1159)
- 鉄道省1150形1159の払下げを受けたもので、1908年(明治41年)米国アメリカン・ロコモティブ製の4-4-2 (2B1) 形タンク機関車。設計認可は1941年(昭和16年)11月26日。1952年(昭和27年)廃車[9]。
- 5860形 (5861)
- 鉄道省5860形5861の払下げを受けたもので、1898年(明治31年)米国ブルックス製の元・阪鶴鉄道9。1923年(大正12年)に用途廃止となって北海道帝国大学工学部に標本として貸与されていたものを一般修繕の上自動連結器の取付と真空制動機から空気制動機へ変更をし、18年振りに現役復帰させた4-4-0 (2B) 形テンダー機関車。1941年11月26日設計認可。入線後5年間は故障もなく主力機として使用された。その後他の機関車の入線により予備機となり1951年(昭和26年)廃車。
- 9040形 (9042)
- 鉄道省9040形9042の払下げを受けたもので、元北海道炭礦鉄道27。1892年(明治25年)米国ボールドウィン製の2-8-0 (1D) 形テンダー機関車。1944年(昭和19年)7月22日設計認可で入線。1958年(昭和33年)廃車。
- 8100形 (8114, 8110)
- 国鉄8100形8114、8110の払下を受けた2-6-0 (1C) 形テンダー機関車で、1897年(明治30年)米国ボールドウィン製。8114は1949年(昭和24年)4月14日、8110は1950年(昭和25年)12月26日設計認可。1959年(昭和34年)廃車。
- C11形 (C111)
- 三岐鉄道C11形C111を購入した2-6-4 (1C2) 形タンク機関車で、鉄道省C11形の同等品。1944年日立製作所製。前歴は宇部油化工業101→江若鉄道C112→三岐鉄道C111。1955年(昭和30年)4月25日設計認可で入線。
- 8620形 (8653, 58629)
- 国鉄8620形8653と58629の払下を受けた2-6-0 (1C) 形テンダー機関車で、8653は1914年(大正3年)汽車製造製で1958年(昭和33年)3月14日設計認可、58629は1922年(大正11年)日立製作所製で1959年(昭和34年)10月22日設計認可。入線以降、主力として使用された。58629は羽幌町勤労青少年ホーム前に保存されていたが、2009年6月15日に解体され、同機のナンバープレートのみ展示予定である。
ディーゼル機関車
- DD13形 (DD1301)
- 鉄道廃止直前に入線した1969年(昭和44年)日立製作所製の56t機。鉄道廃止に伴い、日本製鋼所室蘭製作所に売却された。
気動車
- キハ1000形(キハ1001)
- 1949年(昭和24年)に譲渡された元鉄道省の気動車キハ42000形キハ42015からエンジン等を外して客車としたホハフ5に、再びディーゼルエンジンを載せた当鉄道初の気動車。機関はDMH17Bで液体式変速機。定員120(座席80)。改造は釧路製作所で1958年(昭和33年)5月設計変更認可。客車時代に中央の客用扉が埋められて2扉車となっており、再気動車化に伴いワイパーの代わりに旋回窓が装備された。1962年(昭和37年)1月に五線停留場構外で火災を起こして損傷し、そのまま廃車された。
- キハ10形(キハ11)
- 1959年(昭和34年)富士重工業で新造されたレールバス。南部縦貫鉄道キハ10形の同系車であるが、南部縦貫のものは側扉が2箇所にあったのに対し、本形式は中央部に1箇所のみである。機関はDS22で機械式変速機。ロングシートで定員60(座席28)。1959年(昭和34年)3月25日設計認可。キハ22形の増備に伴って使用機会は減少した。
- キハ22形(キハ221-223)
- 国鉄キハ22形と同一仕様の本格的な極寒冷地向け大形気動車で、旋回窓を装備。富士重工業製で1960年(昭和35年)より1966年(昭和41年)にかけて順次増備され、旅客輸送の主力となった。機関はDMH17C。最後に入線したキハ223は国鉄キハ22形200番台と同様の改良がなされている。なお、国鉄線乗り入れのためにATS-S形が搭載されていた。
- 鉄道廃止後、茨城県の茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に3両とも譲渡され湊線で使用された。移籍に際してはスノープラウや便所、ATSが撤去されたが旋回窓は存置され、塗色もそのままで使用された。茨城交通はマルーンに白帯という羽幌の塗色が気に入ったらしく、留萠鉄道から来た5両の気動車も羽幌色に塗り替えて使用された。1983年以降は羽幌車も含め原則として茨交オリジナルの塗装になっているが、キハ221は1997年(平成9年)に羽幌色に復元されて営業運転に用いられた後、同年中に廃車となった。廃車後は阿字ヶ浦駅構内に海水浴客用の臨時更衣室として留置されていたが、2009年3月に撤去の上解体された。キハ222は2012年2月時点で、国鉄一般型気動車用旧標準色(軽快色)に近い色調となっていたが、窓周りのクリームが明るく、若干色合いが異なっている。2015年に廃車となり、阿字ヶ浦駅に留置された後、2021年6月19日からひたちなか市にある「ひたちなか開運鉄道神社」の「ご神体」として祀られた。鉄道車両がご神体となるのは世界初である。またキハ223は2009年7月26日付の「さよなら運転」を最後に運用を離脱して廃車となり、羽幌炭礦色に変更の上、埼玉県さいたま市緑区にある「ほしあい眼科」にて静態保存のため、12月17日に搬出された。
客車
- ハフ1形(ハフ1・2)
- 国鉄2788形ハフ2835、2339[10]の払下げを受けたもので、1897年(明治30年)および1898年(明治31年)英国メトロポリタン工場製の元・日本鉄道はに91、95。1942年(昭和17年)9月1日設計認可。側面に扉が並ぶコンパートメント式の明治らしいマッチ箱客車だったが、入線に際して両端にデッキを設けてロングシート化された。1957年(昭和32年)に車体更新を受けた際にハフ1は出入口を中央部に移し、ハフ2はハ3414の車体と振り替えたという。
- フハニ100形(フハニ101)
- 国鉄から払下げを受けた3等荷物合造車(番号不詳)を苗穂工場で整備したものだが、設計認可申請の際に客車として使用するのは不適切との指摘を受け、有蓋緩急車として昭和18年10月5日に認可された。1953年(昭和28年)にニ1形ニ1に改造。
- 3394形(ハ3414)
- 国鉄3394形ハ3414[11]の払下げを受けたもので、1907年(明治40年)新橋工場製の元・北海道庁鉄道部ヨサ31。1943年(昭和18年)12月2日設計認可。1957年更新の際にハフ2と車体を振り替えたとみられ、1959年に廃車。
- ホハフ5形(ホハフ5)
- 国鉄キハ42000形キハ42015の払下げを受けて運輸工業(株)で客車化したもので、1952年6月24日設計認可。1958年(昭和33年)再度気動車に改造され、キハ1001となった。
- ニ1形(ニ1)
- 1953年(昭和28年)にフハニ101を改造したもので、貨物列車の緩急車として使用され、1962年(昭和37年)にワフ2に改造。
- オハフ19100形(オハフ19108)
- 国鉄スハニ19108の払下げを受けたもので、1919年(大正8年)大井工場製。1956年10月23日設計認可で、入線に際して荷物室を撤去して全客室とした。1959年廃車。
貨車
- ワム200形(ワム201)
- 開業に際して鉄道省苗穂工場で製造された15t積二軸有蓋車で、鉄道省ワム1形の同形車。1943年(昭和18年)10月13日設計認可。1964年、ワブ2(2代)に改造。
- ワフ1形(ワフ1, ワフ2(初代), ワフ2(2代))
- ワフ1は渡島海岸鉄道ワブ1形ワブ1を1942年に購入したもので、1927年(昭和2年)12月岩崎レール商会製の14t積有蓋緩急車。設計認可は1946年(昭和21年)11月19日。1969年廃車。ワフ2(初代)は1962年にニ1を改造したもの。1963年廃車。ワフ2(2代)は1964年にワム201を鋼体化改造したもの。廃止時まで在籍。
- ト500形(ト501 - ト515)
- ト501は開業に際して鉄道省苗穂工場で製造された10t積二軸無蓋車(3枚側)で1943年(昭和18年)10月13日設計認可。1963年廃車。ト502 - ト515は1944年(昭和19年)から1949年(昭和24年)にかけて国有鉄道より払下げられたト1形などの9t - 14t積無蓋車である。
- ト502 ← 元ト1741(ト1形)。10t積3枚側。1904年、鉄道作業局神戸工場製。1944年譲受。1954年廃車。
- ト503 ← 旧番不明(ト1形)。10t積3枚側。1944年譲受。1958年廃車。
- ト504 ← 元ト1600(ト1形)。10t積3枚側。1903年、鉄道作業局神戸工場製。1944年譲受。1954年廃車。
- ト505 ← 元ト3600(ト3600形)。旧北海道鉄道(2代)フト110。1896年、福岡鉄工所製。9t積3枚側。1945年譲受。1954年廃車。
- ト506 ← 元ト1168(ト1形)。10t積3枚側。1905年、日本車輌製造製。1949年譲受。1956年廃車。
- ト507 ← 元ト2376(ト1形)。10t積3枚側。1905年、日本車輌製造製。1949年譲受。1956年廃車。
- ト508 ← 元ト8167(ト6000形)。10t積4枚側。1906年、日本鉄道大宮工場製。1949年譲受。1962年廃車。
- ト509 ← 元ト16497(ト1形)。9t積3枚側。1907年、英国メトロポリタン製。1949年譲受。1954年廃車。
- ト510 ← 元ト16430(ト1形)。9t積3枚側。1907年、英国メトロポリタン製。1949年譲受。1958年廃車。
- ト511 ← 元ト4310(ト1形)。10t積3枚側。1904年、天野工場製1949年譲受。1958年廃車。
- ト512 ← 元ト5291(ト1形)。10t積3枚側。1891年、鉄道作業局新橋工場製。1949年譲受。1958年廃車。
- ト513 ← 元ト7759(ト6000形)。10t積4枚側。1904年、日本鉄道大宮工場製。1949年譲受。1962年廃車。
- ト514 ← 元ト9503(ト9500形)旧青梅電気鉄道。1907年、天野工場製。14t積5枚側観音開戸式。1949年譲受。1958年廃車。
- ト515 ← 元ト9526(ト9500形)旧青梅電気鉄道。1907年、天野工場製。14t積5枚側観音開戸式。1949年譲受。1963年廃車。
- トム10形(トム11 - トム15)
- 1957年(昭和32年)から翌年にかけて国鉄より払下げられたトム16000形15t積無蓋車。旧番号は、トム16678, トム16722, トム16888, トム17220, トム17642。全車1969年廃車。
- トラ50形(トラ51 - トラ53)
- 天塩炭礦鉄道トラ51 - トラ53を1969年に譲り受けた17t積無蓋車。鉄道省トラ6000形の同形車で、1941年汽車製造東京支店製。廃止まで在籍。
- キ1形(キ11)
- 国鉄キ1形キ11の払下を受けたラッセル式雪かき車で、1917年(大正6年)鉄道院苗穂工場製。1942年(昭和17年)11月27日設計認可。1966年廃車。
- キ100形(キ111)
- 三井芦別鉄道キ100を1965年に譲り受けたラッセル式雪かき車。元は1918年鉄道院苗穂工場製の鉄道省キ12で、1954年に三井芦別鉄道で鋼体化改造。廃止まで在籍。
『鉄道新線建設工事誌』日本鉄道建設公団、1969年。
“14日限りで廃止 羽幌炭砿鉄道 運輸相が許可”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1970年12月9日)
“『サヨナラ羽幌炭砿』”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1970年12月15日)
国土地理院 1969年測量2万5千分の一地形図「曙」 NL-54-18-2-4。
国土地理院 1969年測量2万5千分の一地形図「築別炭砿」 NL-54-18-2-2。
- (無名) (1964). “羽幌炭礦鉄道(私鉄車両めぐり第4分冊補遺)”. 鉄道ピクトリアル No. 160 (1964年7月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4): p. 88.(再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
- 青木栄一 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺7頁頁。
- 小熊米雄 (1963). “羽幌炭礦鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 145 (1963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4): pp. 2, 9-15.(再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
- 澤内一晃・星良助『北海道の私鉄車両』 1巻、北海道新聞社、北海道、2016年、pp.137 - 143頁。ISBN 978-4-89453-814-6。
- 産業考古学会長崎大会論文集。山田大隆、長渡隆一「羽幌炭鉱の竪坑櫓と中興鉱業福島炭鉱の竪坑櫓の技術史的研究。志免炭鉱竪坑櫓との比較において」