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静岡県清水市の清水駅と同市内の三保駅とを結んでいた鉄道路線 ウィキペディアから
清水港線(しみずこうせん)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の清水駅と三保駅を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。貨物輸送の衰退もあり、1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)4月1日に全線が廃止され、バスに転換された。
1916年(大正5年)に東海道本線の貨物支線として江尻駅(現在の清水駅)から清水港駅までの区間が開業したが、1944年(昭和19年)7月に三保駅まで延伸、同年12月に旅客営業を開始するのと同時に東海道本線から分離独立し、清水港線という路線名が与えられた。
旅客営業開始時から、旅客営業は貨物列車に客車を連結した混合列車によって行われた。最盛期には1日数往復の旅客列車が走り、昭和30年代には国鉄一の黒字路線(最も営業係数が小さい路線)になったこともあった[3]。しかしその後、モータリゼーションの影響によって衰退が始まり赤字路線に転落。1972年(昭和47年)以降は、旅客列車(混合列車)が1日1往復という、貨物専用路線を除いて日本一旅客列車の運行本数の少ない鉄道路線となった。
末期の清水港線のダイヤは、清水発が8時10分、三保発が16時14分のみという通学用に特化したダイヤ設定だった(利用者のほぼすべてが、折戸駅近くに立地する高校への通学客だった)。ただそれでも、競合するバスと比較して通学定期の運賃が数分の一程度で済むことから少なからぬ需要があった。また、バス会社側も当路線の特性を理解し、片道(主に下校時)だけでもバスが利用できるように特別な通学用回数券を販売していた。
上述のようなタンク車などとの貨客混合編成の運行は廃止時まで続いた。
廃止時にはDD13形ディーゼル機関車牽引のもと、静岡車両区清水派出所(静シミ)所属のスハフ42形、オハ47形計5両が使用されていた。このうち、スハフ42 2184・2286、オハ47 2081の3両は廃止後、大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡され、それぞれスハフ42 184・286、オハ47 81として2020年(令和2年)時点でも現役で使用されている。一方、スハフ42 2105は巴川口 - 折戸間のフェルケール博物館屋外展示場で、オハ47 2080は天竜二俣駅にて静態保存されていたが、いずれも解体され現存しない。
DD13形も4両が名古屋臨海鉄道へと譲渡され、このうち2両(224・226)は2012年(平成24年)までに廃車・解体されたが、306は2020年時点でも現役で使用され、225も車体が苫小牧港開発D5600形D5605のものに交換されているものの現役である。
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