浅間山
群馬・長野県境にある火山 ウィキペディアから
群馬・長野県境にある火山 ウィキペディアから
浅間山(あさまやま)は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある、標高2,568メートルの成層火山。山体は安山岩質、円錐形でカルデラも形成されており、活発な活火山として知られる。
数十万年前から周辺では火山活動が活発であり、浅間山は烏帽子岳などの3つの火山体とあわせて、浅間連峰もしくは浅間烏帽子火山群と総称される。これまでに噴火と山体崩壊を繰り返し、現在の姿となった。大規模な山体崩壊と崩壊土砂が流出した痕跡は、遠く離れた群馬県前橋市の台地上などに厚い堆積物として残っている。現在噴火活動をしているのは、前掛火山である。山頂火口からは噴煙が上がり、その周りには複合のカルデラがあり、内側の外輪山の西側に前掛山がある。北側のカルデラは山頂部から「鬼押出岩」へと流れ出た溶岩流により崩壊している。外側の外輪山には、黒斑山、牙山、剣ヶ峰などがある。気象庁は「100年活動度または1万年活動度が特に高い活火山」として、ランクAの活火山に指定している[2]。
浅間山には日本初の火山観測所が1911年(明治44年)8月26日に設置され、これにちなんで8月26日は「火山防災の日」に制定されている[3]。
1949年(昭和24年)9月7日に山域は、上信越高原国立公園に指定された[4]。2007年、日本の地質百選に選定された。日本百名山[5]及び花の百名山[注釈 2]に選定されている。
噴火口の位置と溶岩の性質から、3つに分類されている[7]。
1911年(明治44年)8月26日、震災予防調査会が長野測候所と共同で、日本最初の火山観測所を浅間山の西側山腹に設置した[36]。1925年度(大正14年度)には、政府の緊縮方針のために観測所が廃止されたが、復活運動が起こり1926年(大正15年)から再開された。また、この頃には地元の小諸警察署が浅間山一帯を視察する「登山警察」を例年夏季に行っており、長野測候所の技手とともに登山を行っている[37]。
過去の噴火事例から避難経路などを取りまとめたハザードマップの作成が行われている[38]。また、長野県小諸市の千曲川河畔まで溶岩流が流れた痕跡や群馬県側の吾妻川では、山体崩壊に伴い大規模な土石流が流下し、前橋市付近までの広い地域に土砂が堆積した形跡があり、山体付近だけの問題ではない。
火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[39]。また、東京大学地震研究所等により365日24時間の観測が行われている。
2024年(令和6年)には浅間山に日本で最初の火山観測所が設置された日に因み8月26日が火山防災の日に制定された[40]。
浅間山の南麓、長野県側には軽井沢町が、北麓の群馬県側には吾妻郡嬬恋村と長野原町北軽井沢があり、風光明媚な避暑地として古くから開発が進んでいる。北麓一帯は後述する、火山活動により形成された特徴的な地形があり、2016年に「浅間山北麓ジオパーク」として日本ジオパークに認定された[41]。
浅間山はシラビソやオオシラビソを中心とした亜高山帯の自然植生を残し、その周辺にカラマツの天然林が広がり、野生の動物が多数生息している。その中でも、イヌワシやツキノワグマなどの生息地として重要であることから国指定浅間鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積32,218ha、うち特別保護地区947ha)。
「あさま」は火山を示す古語とされる。富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われる。浅間山も多くの山々と同じく、古くから山岳信仰の対象となっており、浅間神社(通常の浅間神社とは祭神が異なる)が鎮座している。
浅間山の火口付近は、火山噴火に伴い、1972年(昭和47年)より立ち入りが禁止されてきた。その後の沈静期には規制が解除されたこともあるが、その火山活動に応じて地元自治体より火口からの一定の直線距離以内が立入禁止区域として登山規制になることがある。
2022年(令和4年)時点では、長野県小諸市側から前掛山までの登山が認められている。群馬県側の長野原町と嬬恋村でつくる浅間山ジオパーク推進協議会は環境省と協議の上、2025年度(令和7年度)開通を目指して登山道を整備する計画で、噴火に備えたシェルターも設ける[41]。
以前は嬬恋村から黒斑山を経由する登山道もあったが、雨で登山道が崩壊してしまい、現在は不通となっている。
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