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江陵市
韓国・江原道の市 ウィキペディアから
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地理
江原特別自治道の太白山脈東側の嶺東地区中部に位置する港町。東側は日本海、西側は江原特別自治道平昌郡と旌善郡、南側は東海市、北側は襄陽郡に隣接する。
鏡浦台を始め海水浴の適地が多く、夏には海水浴客で溢れる観光都市でもある。2018年開催の平昌冬季オリンピック・パラリンピックでは、各種屋内競技の会場となった。2024年江原道ユースオリンピックの開催地の一つともなっている。
歴史
- 前108年 東暆県が置かれ、臨屯郡に属する。
- 313年 - 高句麗に占領され、何瑟羅(河西良・河西とも)となる。
- 397年 - 新羅領となる。
- 512年 - 何瑟羅軍主異斯夫、于山国(鬱陵島)征伐。
- 757年 - 河西州を溟州とし、9郡25県を置く。
- 1263年 - 江陵道に改称。
- 1395年 - 江原道になる。
- 朝鮮中期江陵大都護府。連谷県、羽渓県の2県を属させた
- 1895年 - 江陵府になる。
- 1896年 - 江原道に戻す。江陵郡発足。
江陵市
溟州郡(江陵郡)
- 1906年 - 臨渓面・道岩面が旌善郡に移管。珍富面・蓬坪面・大和面が平昌郡に移管。内面が麟蹄郡に移管。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、江陵郡に以下の面が成立。北1里面・北2里面・南1里面が合併して郡内面になり、南2里面を城南面に改編。[4](13面)
- 郡内面・徳方面・城南面・資可谷面・丁洞面・沙川面・上邱井面・下邱井面・城山面・連谷面・新里面・玉渓面・望祥面
- 1916年10月1日(13面)
- 郡内面が江陵面に改称。
- 資可谷面が江東面に改称。
- 1917年11月1日(13面)
- 上邱井面が旺山面に改称。
- 下邱井面が邱井面に改称。
- 1920年11月1日(12面)
- 徳方面および城南面の大部分をもって城徳面を設置。
- 城南面の一部が丁洞面に編入。
- 1931年4月1日 - 江陵面が江陵邑に昇格。[5](1邑11面)
- 1937年4月1日 - 新里面が注文津面に改称。(1邑11面)
- 1938年9月1日 - 丁洞面が鏡浦面に改称。(1邑11面)
- 1940年11月1日 - 注文津面が注文津邑に昇格。[6](2邑10面)
- 1942年10月1日 - 望祥面が墨湖邑に昇格。[7](3邑9面)
- 1945年9月16日 - 襄陽郡の38度線以南の区域(県南面・県北面および西面の一部)を編入。(3邑12面)
- 西面を新西面に改称。
- 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、県北面・新西面を襄陽郡に返還。(3邑10面)
- 1955年9月1日(2邑8面)[2]
- 江陵邑・城徳面・鏡浦面をもって江陵市に昇格。
- 江陵郡の残り地域は溟州郡に改称。
- 1963年1月1日 - 県南面が襄陽郡に編入。(2邑7面)
- 1973年7月1日 - 旺山面南谷里・九切里が旌善郡北面に編入。[8](2邑7面)
- 1980年4月1日 - 墨湖邑が三陟郡北坪邑と合併して東海市に昇格・分離。(1邑7面)
- 1983年2月15日 - 邱井面のうち彦別里が江東面に、山北里が城山面にそれぞれ編入。[9](1邑7面)
- 1995年1月1日 - 溟州郡が江陵市と合併し、改めて江陵市が発足。溟州郡消滅。[10]
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行政区域


気候
要約
視点
日本海に面し、緯度の割には冬は比較的暖かく、夏は涼しい海洋性の気候である。また、年間を通して降水量が多い。最高気温極値は39.4℃(1942年7月25日)、最低気温極値は-20.2℃(1915年1月13日)である。日本海に面するために雪雲の影響を受けることがあり、過去最深積雪は韓国の平野部では最も多い138.1cm(1990年2月1日)を記録している[11]。
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観光
スポーツ
種目 | チーム名 | 創立年度 | ホーム競技場 |
Kリーグ | 江原FC | 2009年 | 江陵総合運動場 |
- 2016年11月、江陵カーリングセンターが完成[15]。1998年竣工の江陵室内氷上場を改修して作られた。観客収容人数3500人。2018平昌オリンピック・カーリング競技の会場となった。
- 2016年12月、江陵ホッケーセンターが完成[16]。観客収容人数10000人。2018平昌オリンピック・アイスホッケー競技の会場となった。
- 2016年12月、江陵アイスアリーナが完成。観客収容人数12000人。2018平昌オリンピックではフィギュアスケートとショートトラックスピードスケート会場となった。
交通
教育
メディア
テレビ・ラジオ局
姉妹都市
ギャラリー
- 鏡浦台
- 李珥(栗谷)の生家、烏竹軒(オジュッコン)。
- 19世紀に建てられた両班の屋敷である船橋荘(ソンギョジャン)
- 船橋荘の一部
関連項目
脚注
外部リンク
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