栗原あゆみ
日本の元女子プロレスラー ウィキペディアから
日本の元女子プロレスラー ウィキペディアから
栗原 あゆみ(くりはら あゆみ、1984年7月13日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:吉橋 亜弓(よしはし あゆみ)。夫はプロレスラーのYOSHI-HASHI。
父は元プロボクサーで、実家は女子プロレスラーが通っている牛込神楽坂 焼肉ハウス三宝を経営していた[1]。幼少の頃よりプロレスラーが周囲にいる環境で育つ。三宝の常連にはプロレスラー以外にウエイトリフティングオリンピックメダリストの三宅義行・宏実父娘がおり、宏実がゲスト出演したテレビ番組で行きつけの店として紹介されたこともある。店では渋谷シュウがプロレスリングWAVE時代に働いていた。また元プロレスリング・ノアの佐野巧真は当店で修業したのちに独立開業した。
学生時代はバスケットボール部所属。高校卒業後、しばらく無職の後にメジャー女子プロレスAtoZの練習生となるも退団して後にM's Styleの練習生となり2005年4月24日に20歳でGAMIを相手にデビューして金星を挙げた。
2007年4月19日、若手お笑い芸人(月刊ドイツ・パンダ西口 feat chip青木)のトークライブ(ハロー貸会議室渋谷カネマツ)にゲスト出演。
2007年7月16日のNEO女子プロレスの興行で右鎖骨を骨折し長期欠場していたが、2008年12月14日の自主興行で復帰。
2008年8月には大阪でKAORU、植松寿絵と共に「RING〜Starting Over〜」で女優デビュー。
2009年2月22日のOZアカデミー後楽園大会においてOZ正規軍入りを表明。
2010年4月にJoshi4Hopeツアーにて、アメリカ(SHIMMER・JAPW)遠征。シカゴの地元紙で記事にされた。メキシコCMLLにも参戦している。
国内団体ではOZアカデミーの他、プロレスリングWAVEなどに参戦。
2012年12月よりU-FILE CAMP調布でプロレスインストラクターを務める。
2013年8月4日、後楽園ホールで引退[2]。
引退後は保育士を目指すことを発表し、現在までイベントなど含め表舞台には一切表していない。
なお、引退後に新日本プロレス所属のYOSHI-HASHIと結婚したと別冊宝島は報じている[3]。
リングネームは、本名の「亜弓」を漢字から仮名に変え「あゆみ」とした。
2006年7月16日、闘牛・空、闘獣牙Leonと合同で自主興行「アニマルマロン興行」を開催。
2008年12月14日、「栗原あゆみ復帰興行」と題した初の自主興行を新宿FACEで開催。
2010年4月24日、「栗原あゆみデビュー5周年記念試合」を千葉マリンスタジアム正面入口前イベントスペースで開催。
12月12日、「デビュー5周年記念興行」を新宿FACEで開催。
2011年4月24日、「栗原あゆみデビュー6周年記念試合」フクダ電子アリーナウエルカムステージで開催。
第1試合 | ||
〇栗原あゆみ | 9分4秒 変形裏投げ→体固め |
飯田美花● |
第2試合 | ||
○渋谷シュウ 紫雷美央 |
12分59秒 タイムマシンに乗って |
旧姓・広田さくら● 華名 |
第3試合 | ||
ダイナマイト・関西 ○加藤園子 カルロス天野 |
12分46秒 ダイビング・ギロチンドロップ→片エビ固め |
水波綾● 勇気彩 下野佐和子 |
第4試合 時間差バトルロイヤル | ||
○大畠美咲 | 18分13秒 ミサイルキック→エビ固め |
乱丸● |
退場順:志田光、木村響子、春日萌花、桜花由美、朱里、藤本つかさ、チェリー、山縣優、松本浩代、ハイビスカスみぃ | ||
第5試合 | ||
○浜田文子 | 9分10秒 ピラミッドドライバー→エビ固め |
Sareee● |
栗原あゆみ引退試合 | ||
AKINO ○栗原あゆみ 飯田美花 |
24分5秒 裏投げ→体固め |
GAMI アジャ・コング● 中川ともか |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.