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旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任に関する問題 ウィキペディアから
日本の慰安婦問題(にほんのいあんふもんだい)は、旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無等に関する問題。慰安婦問題には事実関係や評価などで様々な認識の差異や論点がある。
日本や、北朝鮮、大韓民国、国際連合などで1980年代頃から議論となっている。太平洋戦争まで慰安婦は合法とされた公娼であり、問題として取上げられる慰安婦については、しばしば、民間経営者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をしていたこと、内地の日本人女性もいたことなどから、国家責任はないたぐいのものとの主張がある。また、兵士による買春や性犯罪は日本軍だけの現象ではなく、この問題で日本を非難した韓国やアメリカ合衆国の軍隊によっても第二次世界大戦後に至っても行なわれていた(韓国での「第五種補給品」「ライダイハン」問題、敗戦直後の日本で占領軍が利用した特殊慰安施設(RAA)[1]など)。
一方、戦時下での、女性に対する重大な人権侵害として旧国際連合人権委員会や人種差別撤廃委員会が取り扱ってきており、慰安婦は一般女性が官憲や軍隊により強制連行された[2]性奴隷であるとの主張[3]や、強制連行の有無とは別に現代の価値観において女性への人権侵害であるとする見解もある。なお、軍や官憲による強制連行を示すような資料は発見されていない[4]。また、強制連行説を主張した媒体・論者のうち、日本の『朝日新聞』は吉田清治の証言等の自社記事をのちに取り消し、報道や事後対応の経緯について第三者委員会に調査を依頼した[5]。
初期ウーマン・リブの運動家田中美津は1970年の著作で「従軍慰安婦[注釈 1]」の「大部分は朝鮮人であった」、「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」と記述している[7][8]。
1973年に千田夏光の『従軍慰安婦』が刊行され、慰安婦を民族ごとに分けて記述した。千田は日本人の慰安婦は自主的な売春婦であり、韓国人の慰安婦を売春を強制された被害者とした[9]。千田の著書は、日本キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江会長の注目を受けた[9]。『産経新聞』によると、高橋は慰安婦の社会問題化に関して「私も火付け役をした」と自負したとされ、高橋は千田の著書を韓国に紹介するなどしている[10]。千田の著作に関して、いくつかの立場から疑問が呈されている。(千田夏光#著作『従軍慰安婦』参照)そもそも、戦前の公娼や抱え主に管理されて似たような境遇にある私娼らは、当時においても、法的には奴隷制が認められていないにもかかわらず、様々な圧力や暴力により、社会的には罷り通されていた、事実上あるいは文理上で言っても債務奴隷・借金奴隷に他ならないとの意識が実際にはあったとも言われる[11]。
1976年には金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』が出版され、その中で慰安婦の総数を20万人とした。
元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)は1984年、著書『日帝支配下の韓国現代史』で、挺身隊として動員された女性は20万人であり、そのうち5万人から7万人が朝鮮人であったとしている。この用語・見解については「女子挺身隊#朝鮮での「挺身隊」と「慰安婦」の混同」「千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説」参照。
1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した[12]ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部俊樹首相へ公開書簡をおくった[13]。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで[要出典]、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など)が多数行われた。
1990年には、梨花女子大元教授で韓国教会女性連合会メンバーの尹貞玉(ユン・ジョンオク)により調査が行われ、「挺身隊取材記」として『ハンギョレ新聞』に4回わたり掲載される[14][15]。
6月6日の本岡昭次参議院議員(日本社会党)による国会質問での日本政府が慰安婦問題について「調査はできかねる」と答弁したことに抗議する公開書簡を、韓国女性団体連合や韓国教会女性連合会など37の女性団体が10月7日に送付した[14]。翌年4月1日、同じく本岡昭次参院議員がこの公開書簡への回答を求めたことが韓国でも報道され、その中で「従軍慰安婦、約8万人」と共に、同議員の提示する沖縄朝鮮人捕虜リスト(米軍資料マイクロフィルム)が「挺身隊・従軍慰安婦名簿」として紹介された[16]。
同年11月、韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が集まり韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成され、尹貞玉が共同代表に就任した。この時のことについて尹は、「1990年、国会で『慰安婦』問題は業者がやったことであり、日本軍は無関係であると言明した。この嘘が、韓国で挺身隊問題対策協議会が設立されたきっかけとなった」と、説明している[17]:7。
1991年には、金学順が韓国で初めて元慰安婦として名乗り出て、自らの体験を語った[14]。同年、金ら元慰安婦3人を含む「太平洋戦争犠牲者遺族会」の35人は高木健一を主任弁護士とし、日本政府の謝罪と補償を求めて軍属らとともに東京地方裁判所に提訴、1993年にはマリア・ロサ・ヘンソンらフィリピン人元慰安婦が、1994年にはオランダ人元慰安婦・捕虜などがそれぞれ東京地裁に提訴した[14][18](日本軍は太平洋戦争劈頭の南方作戦で、フィリピンやオランダ領東インドなどを占領していた)。
1992年12月25日には日本で釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟が始まり、1993年4月3日には、元慰安婦の宋神道が提訴した在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件の裁判が日本で始まったが、双方とも2003年に最高裁判所で敗訴が確定している。
金らによる裁判について、当時『毎日新聞』ソウル支局の特派員だった下川正晴は、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」事務局長だった青柳敦子が1991年11月に永森支局長と下川を訪ね、日本政府に裁判を起こしたいとした上で「原告になってくれる韓国人の犠牲者を探している」と告げたとし、二人は「原告を探す」という発想に仰天したとしている[18][19]。歴史学者の秦郁彦は、この際には原告は見つからなかったとし、帰国後に「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力申し入れがあったものの、同遺族会が内紛を起こしたのち主流派が青柳グループと絶縁、高木弁護士らの「日本の戦後責任をハッキリさせる会」に乗り換えたとしている[18]。
『朝日新聞』は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」、1983年11月10日朝刊3面「ひと 吉田清治さん」で、吉田清治を取り上げて報道[15]。1984年11月2日には「私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道」と題し、「邦人巡査が強制連行 21歳故国引き離される」とのキャプション付きで、元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載した[5][20]。
1991年5月22日、『朝日新聞』(東京の社会部市川速水記者が取材チームを率いていた[21]。)大阪版が再び吉田証言を紹介し[22]、同年8月11日には「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と題した記事(植村隆韓国特派員・ソウル発)で元慰安婦の金学順について「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」たと報道する[15]。
1990年10月10日には『朝日新聞』大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載[15]。同年12月10日には「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」、1992年1月11日には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報道した[23]。
日本の宮澤喜一首相の訪韓を前にした1992年1月11日、『朝日新聞』が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる[24]。同日『朝日新聞』夕刊では「韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され」たとのソウル支局電を掲載した[24]。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮澤首相には「前向きの姿勢を望みたい」とした[24]。
『ジャパン・タイムズ』は、1991年1月11日夜のテレビ番組での渡辺美智雄外務大臣の「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を引用し、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」と伝える記事を同月13日に掲載した(秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている)[24][25]。
朝日新聞は1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」とする記事を掲載したが、このときは報道の取り消しは行わなかった[15]。
2014年、朝日新聞は慰安婦報道に関する検証を行い、吉田氏関連の16本の記事を取り消した[15]。
西岡力は、1991年5月22日からの朝日新聞の一連の報道について、誤報であると述べている[26]。
韓国の盧泰愚大統領は、慰安婦問題の発生について「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている[27]。
1990年8月9日、光復45周年特別企画『太平洋戦争の怨霊たち』にて元慰安婦のインタビューを含むドキュメンタリー番組が放送された(後述)。
同年8月15日、韓国の『ハンギョレ新聞』は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道した[28]。
同年8月23日、NHK BSが特集「世界が伝える日本」において、韓国放送公社(KBS)のドキュメンタリー番組『太平洋戦争の怨霊たち』を放送。韓国女性20万人を挺身隊として昼は働かせ、夜は慰安婦をさせた告発ドキュメンタリーと紹介し[29]。
1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国のMBC放送は制作費72億ウォンを投じたドラマ『黎明の瞳[30]』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した[31]。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待したりする場面が放映された[32]。原作は金聖鍾の同名の小説(全10巻)で、1975年10月から韓国の『日刊スポーツ新聞』で連載されていた[31][33]。
「挺身隊」と「慰安婦」の混同、および「少女・処女」が「強制連行」されたとする認識は韓国(および日本での慰安婦問題活動家)の間では1990年代になっても存続し、1992年1月の宮澤首相の訪韓時に韓国の新聞は「小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた」と、あたかも女子小学生が慰安婦にされたかのような報道を繰り返した[34]。「小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした」というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられ現在にいたっていると、西岡力は述べている[35](詳細は「慰安婦の強制連行#韓国における議論」を参照)。
東亜日報は1992年1月14日に「挺身隊、小学生まで引っ張っていった」、朝鮮日報は同1月15日に「日本、小学生も挺身隊に徴発」との見だしで報道した[34]。東亜日報は1992年1月15日の社説「十二歳の挺身隊員」では次のように報道した[36]。
本当に天と人とが共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。(中略)
十二歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。(中略)
これまで十五歳の少女が挺身隊に動員されたことは知られていた。しかし、十二歳の幼い子供まで連行されたことは初めて明らかにされたことだ。(中略)
勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されている…(中略)
このように何もわからず父母のもとを離れ挺身隊に連行された少女らの数はわからない。泣き叫ぶ女性をなぐりつけ乳飲み子を腕から奪って赤ん坊の母親を連行したこともあった。このように動員された従軍慰安婦が八万〜二十万と推算される。
--東亜日報1992年1月15日社説「十二歳の挺身隊員」
現代朝鮮研究者の西岡力の調査によれば、1992年1月14日に報道された「小学生挺身隊」についての記事を初めて執筆したのは聯合通信の金溶洙(キム・ヨンス 김용수(朝鮮日報 人物検索))記者であった[37]。西岡が実際に12歳の少女が慰安婦になったことは事実ではないのに、なぜ報道したのかと質問したところ、金記者は、富山県に動員された6人の児童が慰安所でなく工場に動員されたことは事実であるとして
6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていましたが、まず勤労挺身隊として動員し、その後慰安婦にさせた例があるという話も韓国国内ではいわれていますので、この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかもしれないと考え、敢えて<勤労挺身隊であって慰安婦ではない>ということは強調しないで記事を書きました。
と弁解した[38]。この金溶洙記者による弁解で「小学生慰安婦」の存在が証明されたわけではないことが明らかになり[39]、またその後、当時挺身隊だった女性が名乗りでて、新聞報道が誤報であったことが判明する[34]。しかし、その後も「小学生慰安婦」について報道した新聞やテレビは報道を修正することはなく、「小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした」というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられて、現在にいたっている[40]。慰安婦活動家においてもそのような認識が変更されることはなく、2012年には米国などでの慰安婦(成人女性)像設置運動に続いて「少女」像の建設運動が進められている[41]。
1993年(平成5年)、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求した(歴史教科書問題参照[44])。同年6月30日には、日本の高校日本史検定済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明した[44][42]。
中学生用の歴史教科書では、1997年には同年度用の7つの教科書全てに慰安婦に関する記載がされていた[42]。
1996年、1997年度用中学校歴史教科書の検定を申請した7種の教科書が「慰安婦」に関する記載をしていることに反発し、藤岡信勝と西尾幹二などは1997年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)を発足させた[42]。「つくる会」は発足直後の1月に文部大臣と面会し、歴史教科書から「従軍慰安婦」の語を削除するよう求めている[45]。
「つくる会」に反対する「子どもと教科書全国ネット21」は、「つくる会」の活動によって他の教科書から「慰安婦」に関する記述がなくなり、「強制連行」に関する記述も後退したとしている[46]。
民主党の本岡昭次衆議院議員は、2000年11月1日、「旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ… そのような事実について謝罪の意を表し、…戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図」ることを目的とした戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を、議員立法として衆議院に提出した[47][48]。以降、2001年と、2003年から2006年にかけては毎年、そして2008年に同様の法案が民主党、社民党、共産党議員から提出されている[49][50][51][52][53][54]。2000年代から民主党などは、日本軍慰安婦(日本人女性のみ除外[55])を「戦時性的強制被害者」[56]としている。
2008年3月28日、兵庫県宝塚市議会は、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求める意見書を採択した[57]。
2010年6月までに同様の決議は25の地方議会で採択、うち16件については民主党政権発足後に採択している[58]。
同様の決議は、東京の清瀬市・三鷹市・小金井市・国分寺市・国立市、千葉船橋市、大阪箕面市・泉南市、京都京田辺市・長岡京市、奈良生駒市、ほか札幌市、福岡市・田川市が採択した[59][60]。
秦郁彦によると、日本弁護士連合会(日弁連)は慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[61]。
1992年2月、戸塚弁護士はNGO国際教育開発(IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と「従軍慰安婦」問題を国連人権委員会に提起し、日本政府に責任を取るよう求めるとともに国連に対応を要請した[62][63]。戸塚は、それまで「従軍慰安婦」に関する国際法上の検討がされていなかったために、「従軍慰安婦」を大日本帝国の「性奴隷」(sex slave)と規定したとしている[63]。
1993年6月、日弁連も参加した世界人権会議において「性的奴隷制」が初めて国連用語となった[64]。
日弁連は1995年2月、「従軍慰安婦」問題について個人に対する国家補償を行う立法による解決を提言し、これを日本政府や国連女性の地位委員会、第4回世界女性会議などに提出した[64]。
同連合会は1995年11月に日本政府に慰安婦に対する補償を求める声明を発表し、その中で、「日弁連を含むNGOは、一貫して慰安婦問題に関し、『性的奴隷』(Sex Slaves またはSexual Slavery) として日本政府に対し国家による被害者への補償を要求し続けてきた」としている[64]。
秦郁彦は、日本弁護士連合会(日弁連)が慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[61]ことについて、日弁連は戸塚を通じて海外のNGOと連携を深めることで日本政府に特別法を制定させる戦略をとっていたとしている[61]。
同1月14日、宮澤首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ[24]、韓国滞在中の1月16日には天皇の人形が焼かれる[24]などするなか、訪韓日程における首脳会談や国会演説などで謝罪し、「真相究明」を約束した[65]。
毎日新聞ソウル支局の下川正晴特派員は当時の韓国の大統領主席補佐官による会見の様子について「『一時間二十五分の首脳会談で、宮澤首相は八回も謝罪と反省を繰り返した』。韓国の大統領主席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」と1993年9月9日の毎日新聞『記者の目——日韓関係』で述べている[19]。
1992年7月6日、加藤紘一官房長官が従軍慰安婦問題について「お詫びと反省」を表明する談話を発表した[66]。これに合わせ、日本政府による関連資料の調査(第一次調査)の結果が公表され、慰安婦問題について「政府の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は見つからなかったとした[67][68]。
韓国政府から実態解明についての強い要請が寄せられたことを受け、日本政府は関連資料の調査に加えて関係者への聞き取りや現地調査、米国公文書の調査などを含む再調査を行い、1993年8月4日、その結果を公表した[69]。 その中で、慰安婦の募集について、「甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集めるケースが多く…官憲等が直接にこれに加担」したとしている[69]。
これに合わせ、河野洋平官房長官は談話を発表し、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」とし、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした[70]。
アメリカ合衆国下院121号決議では、「1993年の河野洋平官房長官による『慰安婦』に関する声明で、日本政府は彼女らの苦難について心からの謝罪と反省の意を述べた」とした上で、慰安婦の強制連行に関して日本政府の公式の謝罪を要求している[71]。
1992年・1993年の宮澤内閣当時の日本政府の調査報告や「河野談話」においては、「軍当局の要請を受けた慰安所の経営者が、斡旋業者に慰安婦の募集を依頼することが多かった、戦争の拡大とともに慰安婦の必要人数が高まり、業者らが甘言や脅迫等によって集めるケースが数多く、官憲等が直接これに荷担するケースもみられた」と報告されている。ただし、「軍ないし官憲などの公権力による強制連行」を示す資料はなかったが、総合的に判断した結果、一定の強制性があるとしたものであることが1997年の国会での政府答弁[72][73] や河野洋平元官房長官、や石原信雄元官房副長官などによって明らかにされている。
1997年3月9日、石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。…韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた」と応じた[74][72][73]。
第二次安倍内閣政権下の2014年6月20日、河野談話の作成過程について、内閣官房の検討チーム(但木敬一、秋月弘子、有馬真喜子、河野真理子、秦郁彦)の報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」が公表され、談話の記載内容について日韓間で折衝が行われていた事実が確認された[75]。この検証報告書について韓国の朴槿恵大統領は7月2日、中国中央テレビのインタビューで「談話を傷つけようとしている。被害者の心に大きな傷を与え、国家間の信頼に背く行為だ」と述べた[76]。
1995年8月15日、村山富市内閣総理大臣は談話を発表し(村山談話)、その中で、従軍慰安婦問題について「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と、政府としての反省の意を示した[77]。
1994年にとりまとめられた従軍慰安婦問題に関する第一次報告を受け、村山内閣は元慰安婦に対する「全国民的な償いの気持ち」をあらわす事業と、「女性をめぐる今日的な問題の解決」のための事業を推進することを目的に「基金」を設立することを決定した[78]。翌1995年には、同年度予算に「基金」経費への補助金として4億8千万円を計上[78]。
同年6月14日、五十嵐広三官房長官は「女性のためのアジア平和友好基金」の設立に際して、
ことを行うとした[79]。
1996年、橋本龍太郎内閣総理大臣は元慰安婦(アジア女性基金が対象としていない日本人女性を除く)に対して「心からおわびと反省の気持ち」をあらわす手紙を発出した[80]。首相官邸ウェブサイトのページでは、前述の手紙と合わせて、「いわゆる従軍慰安婦の問題を含め、先の大戦に係る賠償、財産・請求権の問題については…サン・フランシスコ平和条約、二国間の平和条約およびその他の関連する条約に従って…当事国との間では法的に解決済み」とした上で、「道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業に最大限協力してきているところであり…資金拠出などを行うこととした」とする文章が掲載されている[80]。
1996年6月に募金額が4億円を超えたことにより、1996年7月、政府は募金から元慰安婦に対して一人当たり200万円の「償い金」を渡すとともに、前述の手紙を届けること、また政府資金により行われる医療福祉支援事業については、総額7億円規模とすることを決定した[80]。
アジア女性基金は1996年8月13日からフィリピンで、1997年1月11日から韓国で、同年5月2日から台湾で、それぞれ「償い事業」を開始した[81]。同基金は2002年5月までに「償い事業」を終え、国民から寄せられた総額5億6500万円の募金全額と不足分を基本財産の一部から500万円、計5億7000万円を、フィリピン、韓国、台湾の元慰安婦285人に支出したとしている[81]。
1997年1月に 第140回通常国会において、第2次橋本内閣の平林博内閣外政審議室長は、「軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との答弁をおこなった[83]。河野談話前の調査の信ぴょう性を問うた高市早苗の質問主意書を受けて、内閣は1997年12月に「軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった」とする答弁書を閣議決定した。直接証拠は存在しないものの「証言聴取なども参考に総合的に判断した結果」であるとした[84][85]。
2006年10月3日、安倍晋三内閣総理大臣は「いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、…河野官房長官談話を受け継いでおります」と答弁した[86]。
同年10月25日、下村博文官房副長官は「河野談話はもう少し事実関係をよく研究し…客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか」と発言[87]。
安倍首相は、2007年3月16日の答弁書[88]で、軍や官憲による強制連行を示す資料がないことが確認されたと述べた。
同年4月27日、安倍首相はブッシュ大統領との日米首脳会談後の記者発表で、「元慰安婦の方々に…申し訳ないという気持ちでいっぱいである」と述べた[89]。
2015年12月28日の日韓外相会談では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、…責任を痛感している」とする旨が述べられ、また総理大臣として「おわびと反省の気持ち」を表明するとした[90]。
日本政府は河野談話以来、村山富市、橋本龍太郎、小泉純一郎の各内閣が謝罪と反省を表明し[80][82][91]、またアジア女性基金が償い事業を通じて元慰安婦に「償い金」を支給するなどしてきた[81]。
しかし、2013年2月に発足した朴槿恵政権は、慰安婦問題について、日本から誠意ある措置を導き出すという方針のもと、日本政府に対し慰安婦問題を議論する実務協議を開催することなどを要求[92]。
こうした中、2014年3月35日、ハーグで開催された日米韓首脳会談では、日韓間で慰安婦問題を巡る局長級会合を開始することで合意[92]。2014年4月16日から合意の発表直前である2015年12月28日にかけ、12回の局長級会合が開催された[92]。
しかし、局長級会合では捗々しい進展がみられなかったため、2015年2月からはハイレベル協議を開始[92]。同年4月11日の第4次ハイレベル協議では、大部分で妥結し、暫定合意した[92]。
2015年11月2日の日韓首脳会談では、できるだけ早い時期に慰安婦問題を妥結することを確認[92]。
合意では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,…日本政府は責任を痛感している」と述べ、安倍晋三首相が「改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした[90]。
尹外相は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ[93]、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した[90]。また、在韓国日本大使館前の少女像については、「関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。」とした[90]。この合意の内容については、日韓で公式な文書を交わすことは行わず、日韓の両外務大臣が共同記者会見を開いて発表するという形式で行った[94]。
1992年2月25日、NGO 国際教育開発(IED)代表で弁護士の戸塚悦朗が国連人権委員会で日本軍慰安婦問題を取り扱うように要請したが、これが国連での初めての慰安婦問題提起であった[95]。戸塚自身も、当時慰安婦問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、「日本帝国主義の性奴隷(sex slaves)と規定した」と自分が「性奴隷」という言葉を発案したとしている[96][97]。当初、国連では「性奴隷」という呼称は受入れられなかったが、戸塚は人権委員会の下位にある差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)や、人権小委員会で活動する現代奴隷制作業部会に働きかけた[98]。日本弁護士連合会(日弁連)会長(当時)で「慰安婦問題の立法解決を求める会」(1996年12月設立)[99][100]の土屋公献も、1992年から日弁連が国連において慰安婦補償を要求するなかで「性的奴隷(Sex SlavesまたはSexual Slavery)」 として扱うように働きかけ[101]、その結果、1993年6月のウィーンの世界人権会議「ウィーン宣言及び行動計画」において「性的奴隷制」が初めて「国連の用語」として採用されたとしている[101]。日弁連会長鬼追明夫は「軍事的性的奴隷」とも表現している[102]。
1992年、NGOに日本に招待されたテオ・ファン・ボーベン(オランダ)は、元慰安婦の証言を聞き、その実態に衝撃を受けた[要出典]。1992年に、当時日本軍に暴行されたと名乗り出た[103]オランダ人女性ジャン・ラフ・オハーンは「慰安婦」という言葉は侮蔑であり、自身を「戦時強姦の被害者であり、日本帝国軍の奴隷として強制徴集(conscripted)された」と訴えた[104]。
1993年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会「武力紛争下の強姦、性奴隷制および類似慣行に関する特別報告者」の報告者であったリンダ・チャベスは準備文書で「性奴隷制度である」と明記した[105]、これが1998年のマクドゥーガル報告書につながったとされる[105]。ただし、リンダ・チャベスは報告書をまとめることなく1997年に辞任した[106]。
1996年に国連人権委に報告されたクマラスワミ報告には日本軍慰安婦制度(公娼制度[107][108])を「軍用性奴隷制(Military Sexual Slavery)[109])」また「性奴隷制」と明記された[110][111]。
西岡は、1993年の世界人権会議がきっかけとなり、1996年のクマラスワミ報告書では「軍隊性奴隷制 (military sexual slavery)」と明記されることとなったと主張している[63]。
慰安婦問題を国連で扱うように活動してきた日弁連海外調査特別委員[112]の戸塚悦朗弁護士は、国連小委員会による日本政府への勧告にはいたらなかったことを失望し、ロビー活動の不足を訴えた[113][114]。のちに戸塚らの政治的活動は日弁連内部から目的外・職務外行為であるとして批判され、戸塚は1998年に解嘱された[100]。
2004年8月10日、東京造形大学教授で国際人権活動日本委員会の前田朗は、ジュネーブで開かれた国連人権促進保護小委員会において20万人もののコリア、中国などの女性が日本軍の慰安婦としての性労働を強いられたうえに拷問や栄養不良などで殺害されたり、なかには爆撃下のたこつぼ(蛸壺壕)でレイプされた女性もいたとして大量虐殺的強姦という概念を提唱し、日本政府は何も聞こうともせず、いまだ何も行っていないと非難し、犯罪者である日本を処罰する権利と被害者の救済を要請した[115]。
韓国の運動団体や日本カトリック教団[116]や日本弁護士連合会[117]などの組織が、国連人権委員会に対して慰安婦問題の積極的なロビー活動を行った。1996年、国連人権委員会は「女性に対する暴力」の審議でラディカ・クマラスワミを特別報告者に任命し、その報告書が国連人権委員会に提出された(クマラスワミ報告書)。この報告書の附属文書では慰安婦制度を国際法違反とし、日本政府に対して慰安婦に対する賠償を勧告している。しかし、この報告書が典拠としている吉田清治の証言について後に虚偽であったことが判明しており、同じく典拠としているジョージ・ヒックスの著作『性奴隷』について二次文献をまとめたもので研究書としての価値は低く事実誤認と歪曲が多数あるとの指摘がある[118]。他にも多数問題点があるとして、日本の運動団体「日本の戦争責任資料センター」の荒井信一[119]や吉見義明、秦郁彦らの歴史学者による批判がある[120]。麗澤大学教授の西岡力はクマラスワミ報告は吉田清治やジョージ・ヒックスの著作(ヒックスは吉田証言や当時のうわさ話を歴史的な真実として記載している)に依拠しており、慰安婦を「貧困を原因とする人身売買の被害者」としてでなく「国家権力による強制連行の犠牲者だと決めつけている」と批判している[121]。
1998年にマクドゥーガル報告書が提出された[122]が、その序論において「1932年から第二次世界大戦が終わるまで、日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした。」「連日の虐待を生き延びた女性はわずか25%にすぎないと言われる。」(アジア女性基金 訳)としている。この「20万」や「25%」という数字について、日本のアジア女性基金の調査では出典の信憑性がないとした(マクドゥーガル報告書を参照)が、マクドゥーガル報告書が提出されると、報告書を検証することなしに日本のカトリック教会枢機卿白柳誠一は日本政府に謝罪と補償を求める[123]とともに「応じよ!国連勧告」100万人署名運動を呼びかけた[116]。
歴史家の秦郁彦はこのマグドゥーガル報告書の「レイプ・センター」について、撫順の日本兵戦犯が認罪の過程で「慰安所」を「強姦所」と書き直すように戦犯収容所から強要された表現の英訳ではないかとしている[124]。
日本政府は、マクドゥーガル報告書はゲイ・マクドゥーガルの個人報告書にすぎず、受け入れられないと回答した[114]。
韓国人、中国人などを中心に元日本軍慰安婦であると名乗り出た人々が強制的に慰安婦にされたとして日本国に対し謝罪と賠償を求める訴訟、及びそれに関する訴訟が日本、アメリカ合衆国、韓国、フィリピンなどで多数起こされて来た。しかし、時効・除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。
日本政策研究センターの岡田邦宏は、機関紙『明日への選択』で、1989年の吉田の著書の韓国出版と「ほぼ同時期」に「日本人女性がソウルで日本政府相手に朝鮮人への公式謝罪と補償要求の訴訟を起こしてほしいと韓国人原告の募集を始め」たとしている[125]。
一方、日本においては慰安婦を強制的に連行したと報道を行ってきた朝日新聞(2014年に記事取消を行っている)に対して「ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。」として訴訟が行われている。
その後、2009年8月14日、ソウル行政裁判所は「1965年に締結された日韓請求権並びに経済協力協定により日本政府から無償で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、大韓民国外交通商部としては「すでに補償は解決済み」とした[128][129]。
しかし、大韓民国外交通商部は2010年3月15日に、慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と発表[130]。同年3月17日、日本政府は改めて「日韓請求権並びに経済協力協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている」とする見解を発表した[131]。
2011年8月10日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反」と判決[132][133][134][135]。9月15日、韓国外交通商省の趙世暎東北アジア局長は「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出、9月24日のニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう[135]。しかし10月19日のソウルでの日韓首脳会談では、慰安婦問題は議題にならなかった[135]。2013年5月22日、この件に関して岸田外務大臣が国会で「具体的な協議等が行われたということは承知しておりません。」と答弁した[136]。
2010年4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する謝罪要求について裁判所がフィリピン政府に意見することは出来ないとして請求棄却[137]。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した[138]。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また1951年の日本国との平和条約は無効とし、アジア女性基金から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した[138]。
「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったと語っている[139]。
国史教科書研究所所長である金柄憲(キム・ビョンホン)は、「慰安婦問題それ自体が日本人から出発したもの」で、韓国の歴史教科書は「子供たちに嘘を教え続け」ていると述べている[140]。
日本政府が主導したアジア女性基金が償い金を給付すると発表し、1997年1月から韓国人、フィリピン人など計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を受給を開始した[141]。韓国政府は当初は日本政府・アジア女性基金による償い金給付を歓迎した。しかし、韓国挺身隊問題対策協議会の反対を受けて、韓国政府もアジア女性基金からの給付を拒否する一方、日本からの償い金を受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給し、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に死去したものを除く142人に生活支援金の支給を実施した[141][142][143]。
償い金給付に先立つ1996年10月、アジア女性基金に反対する「強制連行された日本軍『慰安婦』問題解決のための市民連帯」が韓国で結成され、独自の募金活動を行う[144]。
1997年5月28日、同市民連帯は目標の約30億ウォン(約4億円)には及ばなかったが、日本の市民運動から9731万ウォン(約1500万円)、全体で5億5000万ウォンの募金が集まったとして、必要経費を除き、一人当たり約350万ウォン(約46万6000円)を元慰安婦151人に配布すると発表した[144]。しかし、「日本からの一時金200万円と医療福祉事業としての300万円の計500万円を受け取った7人の元「慰安婦」に対しては配布しない」とした[144]。さらに、他の運動関係者らが償い金を受け取った7人の慰安婦に対して「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」と脅迫したり、「日本からの汚れた金を受け取れば、本当の娼婦になる。7人は娼婦だ!」と中傷したり、韓国政府の生活援助金を7人に対し打ち切るように働きかけた[144][145]。
挺対協の尹貞玉は「一部の人たちは、ハルモニたちが日本の募金を受け取ろうとするのをなぜ挺対協は邪魔するのかと言っているが、糖尿病にかかった夫が甘いものを食べようとすれば、涙をのんでもこれを止めさせるのが愛する妻のつとめである。ハルモニたちが、民族の自尊心と尊厳を日本に売り渡すことのないよう我々はハルモニたちを支えねばならない。」と弁明した[144]。
こうした日本からの償い金を受け取った慰安婦に対する差別や嫌がらせなどの行動について、日本の支援団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子は、「あらゆる活動、行事から7人を疎外する韓国運動体の制裁は、被害当事者の人権を無視した行動で慰安婦被害者をさらなる被害者とするもの」として批判し、75歳前後の高齢の被害者に対し、深い人権的な配慮を持つべきで、当事者が選択する意思が尊重されるべきだと主張した[144]。臼杵敬子は、アジア女性基金への考え方が違うとの理由から、挺対協が韓国政府に働き掛けて1997年に入国拒否指定させている[146]。
またアジア女性基金の大沼保昭も、もともと多様であった被害者のなかにも「お金がほしい」という者も多数いたのであり、「そうした被害者の声が、過剰に倫理主義的な支援団体、NGO、メディアによってつくられた世論によって抑圧されていた」として、日本の歴代首相の謝罪手紙やアジア女性基金の償い事業に感謝した元慰安婦もおり、そのような被害者を「ありえない」と主張するのであれば「それは自分の被害者像を唯一の被害者像とする傲慢というもの」ではないかと批判した[147]。
太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任会長は、1991年8月11日に「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と朝日新聞紙面で誤報記事を執筆した記者植村隆の義母でもある[148]。
2020年4月、慰安婦支援団体の日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯代表尹美香が韓国の第21代総選挙に与党の共に民主党から比例で出馬し当選、政界に進出した。しかし、2020年5月7日に30年間に彼女らの活動に元慰安婦の一人として参加し続けていた李容洙は慰安婦支援団体やその関連組織に利用だけされていたことを告発。更に「募金集め目的の水曜集会なくすべき」「寄付金・基金などが集まれば慰安婦らに使うべきだが、使われたことがない」「もう二度と慰安婦団体と関わらない」と批判した[149]。李容洙の告発以降、支援団体の過去の不正会計疑惑や、前代表に対する各種疑惑が次々と報じられ、韓国内で波紋を広げている。
フリージャーナリストの舘雅子は、1992年にソウルで開かれた『アジア連帯会議』は、松井やよりと福島瑞穂が仕切っていたと述べている。舘によると、元慰安婦の女性たちは会議の席上、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに、自身の悲劇的な体験と語り、日本政府を非難した。台湾人の元慰安婦やタイの女性が異論を述べると、松井や福島が抑え込んだという[150]。 なお、産経新聞の記事では、台湾女性やタイ人女性の発言を封じ込めた人物を、舘雅子は松井ではなく、高橋喜久江としている[要出典]。
これに対し、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」は、訂正と取消の要求書を産経新聞社に送付した[151]。産経新聞は写真と写真説明を取り消し、団体名を直す訂正記事を掲載したが、その他の点については、訂正を拒否した[152]。(詳細は「日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議#批判」を参照)
2000年には、朝日新聞元編集委員の松井やよりが主催する「戦争と女性への暴力」日本ネットワークや韓国挺身隊問題対策協議会などの団体によって「女性国際戦犯法廷」という民衆法廷が開かれた。「法廷」では「昭和天皇および日本国は有罪」との「判決」が下され、取材をおこなった海外のメディアが「日本国が女性を強制連行して性奴隷にした」と報じたことで慰安婦問題は世界各国でも認識されるようになった。[要出典]
1999年、マイク・ホンダ下院議員[153]が、第二次世界大戦時の戦争犯罪について日本政府が公式謝罪と賠償を求める決議を提案、カリフォルニア州議会は採択した[154][155]。ホンダ議員が提案した「日本の戦争犯罪」とは、強制労働と多数の捕虜抑留者の死、多数の中国人の死傷者を出したとされる南京事件、慰安婦の強要を指す[153]。
2000年9月18日、第二次世界大戦中に日本軍に慰安婦にさせられたとする在米中国人や韓国、フィリピン、台湾人女性ら計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした[156][157]。
原告のなかにはアメリカ市民でないものも多かったが外国人不法行為請求権法に依拠した[157][158]。アメリカに限らず国際民事訴訟においては外国主権国家に対して主権免除の原則があり、外国の国家を裁くことはできない[156][158]が、アメリカ法の外国主権者免責法 (Foreign Sovereign Immunities Act; FSIA)[159]では国家の商業行為は例外とされており、元慰安婦ら原告側は「日本軍慰安婦制度には商業的要素もあった」として訴えをおこした[156]。日本政府は「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)での国家間の合意で解決ずみ」としてワシントン地裁に訴えの却下を求めた[156]。
2003年1月15日にカリフォルニア州高裁は、1999年に施行された戦時中の強制労働への賠償請求を認めたカリフォルニア州法は合憲とした[160]。
としてカリフォルニア州法のヘイデン法を憲法違反と司法判断し、日本企業への集団訴訟28件をすべて却下した[160][161]。
慰安婦訴訟についてワシントンD.C.巡回区控訴裁判所(高裁)が主権免除の商業活動例外は法の不遡及によって適用されないとして2003年6月27日に一審判決を支持し棄却[162]。2003年10月6日、米国連邦最高裁判所は上告棄却[163]。2004年6月14日、米国連邦最高裁判所はワシントン高裁へ差し戻す[164]、2005年6月28日、ワシントン高裁は平和条約と請求権については司法府に審査権が付与されない政治的問題として一審判決を再び支持した[165]。原告側は最高裁へ再審請求し、2006年2月21日にアメリカ合衆国最高裁判所は、却下の最終司法判断を下した[156][166][167]。このアメリカ最高裁の判決によって米国の司法当局および裁判所が日本軍慰安婦案件については米国で裁くことはできなくなり、また米国で訴訟を起こすこともできなくなった[156]。これらの集団訴訟に際してアメリカ合衆国政府・国務省・司法省は一貫して「サンフランシスコ平和条約で解決済み」との日本政府と同じ立場を明言している[156]。ただし、立法府(議会)はこの限りではない[156]ため、その後も下院などで非難決議が出されていく。
2007年1月末にアメリカ民主党のマイク・ホンダ 下院議員らが慰安婦問題に関する日本への謝罪要求決議案を提出した。過去にも同種の決議案は提出されていたが、いずれも廃案になっていた[168]。2月15日の下院公聴会で、李容洙、金君子、ジャン・ラフ・オハーンの3人の元慰安婦が証言。2007年2月25日フジテレビ放送の『報道2001』でホンダ議員は「反日決議案ではなく和解を意識したもの」と述べた[168]。
安倍晋三首相は2006年の組閣後、2007年3月1日に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と発言[169][170]、3月5日には対日決議案は「客観的事実に基づいていない」と述べた。安倍首相は他方で当時の慰安婦の経済状況について考慮すべきこと、斡旋業者が「事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」とも発言した[170]。この安倍発言は国内外で大きな波紋を呼び、ワシントンポストは「二枚舌」と批判した[171]。対日非難決議案の動きについて麻生太郎外務大臣は3月11日のフジテレビ番組で北朝鮮、韓国、中国などによる日米離間(分断)の反日工作と指摘した[172]。3月31日には元慰安婦へ補償を行なってきたアジア女性基金が解散。またアルジャジーラは「アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を作り出そうとしている」と報じた[173]。
安倍内閣は、2007年3月16日付で、「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定した[174][175]。また第二次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えていたが[176]、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている[177][178]。
2007年4月3日、米議会調査局報告書で日本軍は朝鮮半島での直接の徴集を行っていないこと、これまでに日本は謝罪や賠償努力を行なってきたことを指摘して、これ以上の賠償要求を行うことに疑問を呈した[179]。安倍首相は4月27日に初訪米し「私の真意が正しく伝わっていない」と、また慰安婦が当時苦しい状況にあったことに「心から同情する」と述べた。前日の4月26日にはワシントン・ポストに在米韓国人団体が「日本は全面的な責任をとったことは一度もない」と意見広告を掲載していた。
2007年6月26日アメリカ合衆国下院外交委員会で、旧日本軍の慰安婦制度を人身売買による性奴隷であるとしたアメリカ合衆国下院121号決議が可決(賛成39票、反対2票)。続く7月30日、米下院本会議でナンシー・ペロシ下院議長のもと可決した。下院121号決議では日本軍慰安婦制度を「かつてないほどの残酷さと規模であった20世紀最大の人身売買の1つ」とし、「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求する」と明記された。これに対し、日本では読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、毎日新聞が米下院決議を批判し、朝日新聞は社説で安倍首相は河野談話と同様の談話を出すべきと報じた[180]。日本政府は反論も抗議もせずに、安倍首相も「残念だ」とコメントするにとどまったが[181]、この米国下院での決議以降、カナダ、ヨーロッパ、アジアでも対日謝罪決議が続いた。
対日謝罪要求決議の採択は、在米韓国人によって全米各地に慰安婦謝罪決議案採択のための汎対策委員会が設立され、対日謝罪要求決議が可決されるよう韓国系アメリカ人によるアメリカ下院議員へのロビー活動の結果だった[183]。日本政府も採択阻止のため4200万円かけてロビー活動を展開したが、失敗した[184]。在米韓国人による米国議員への政治後援金は2007年から2011年までで総額300万ドルにおよび、政党別では民主党へ179万7155ドル、共和党へ114万8597ドルで、年度別では2007年に70万4669ドル、2008年に101万2195ドル、2009年に86万4099ドル、2010年に36万4789ドルであった[185]。議員別ではマイク・ホンダが米国議員のなかで最も多額である13万9,154ドルの政治資金を集めた[185]。
マイク・ホンダ議員は在米中国人の反日団体の世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会、Global Alliance for Preserving the History of WW II in Asia[186])からも政治資金の提供を受けている[187][188][189]。抗日連合会の本部は米国カリフォルニア州クパナティノで、ホンダ議員の選挙区内である[181]。その対日戦略の基本方針はアジアでの中国の覇権を確保するために日本の力を何があっても阻止するというもの[187]で、公式サイトでも「過去を忘却する民族がその過ちを今後繰り返すたびに、そのつど非難されねばならない」等と明記されている[190]。同団体は1997年にアイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』の宣伝と販売促進[188]、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対するために全世界で数千万人の署名を集めたり[188]、日本国内でも憲法9条改正の阻止[187]、慰安婦問題・南京事件・靖国神社問題などで戦争責任を繰り返し日本に叩きつけ、また米国をはじめとする世界各国での反日プロパガンダによって日米分断させ、日本の孤立化と弱体化をめざす[187]。2002年2月には上海で中国政府が開催した「第2次世界大戦の補償問題に関する国際法律会議」にも参加しており、中国政府との連携も指摘されている[187]。カナダでも抗日連合会支部が活動し、対日謝罪決議が採択された[181](後述)。
下院決議採択直後の2007年8月末にはマイク・ホンダ議員が中国系アメリカ人ノーマン・シューから資金提供を受けていたことが発覚し、謝罪した[191]。
米国での採択を受けて挺対協は対日謝罪要求決議が各国でもなされるよう運動し[183]、民団機関誌「民団新聞」も8月29日記事で日本への謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかけた[183]。2007年9月20日にオーストラリア上院、11月20日にオランダ下院、11月28日にカナダ下院で対日謝罪決議が採択された。
2007年10月4日から6日まで米国ロスアンジェルスで開催された抗日連合会主催の日本糾弾国際会議[181]でエニ・ファレオマバエンガ米国下院議員が「今後は女性の弾圧や人権の抑圧に関して、日本の慰安婦問題から次元を高めて、国際的な条約や協定の違反行為へと監視の視線を向けていくべきだ。日本ばかりを糾弾しても意味がない。日本にいまさら慰安婦問題などで賠償を払わせることはできない」と主張したが、カナダALPHA議長セルカ・リットは「日本国民の意識を高めるために日本政府を非難し続けることの方が必要」と反論、同会議の声明では日本のみを対象とした謝罪賠償が要求された[181]。
2007年12月13日にEUの欧州議会本会議でも対日謝罪決議が採択された[192]。翌2008年3月11日にフィリピン下院外交委[193]、10月27日に韓国国会は謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択[194]、11月11日に台湾の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択する[195]など、サンフランシスコ講和条約締結国[196]を多く含む国から日本のみを対象とする決議が次々に出された。
これらの対日決議を採択した国には朝鮮戦争に国連軍として参加した国も含まれ[197]、それらの国は戦時中に韓国の慰安所を利用していた[198]。古森義久や渡部昇一は東京裁判やサンフランシスコ講和条約で日本軍の戦争責任や賠償は終わっており、講和条約以前のことを持ち出すことは国際法違反と批判している[199][200]。
2009年8月には韓国江原道知事の招待でマイク・ホンダ米下院議員が訪韓し、江原大学名誉博士号を受けたり韓国のナヌムの家を訪れた[201][202]。また韓国外務省はホンダ議員の対日行動に感謝の意を表明するとともにFTA批准の協力を求めた[203]。
日本国内では2010年頃より、在日特権を許さない市民の会や主権回復を目指す会などの「保守系住民団体[204]」は、「日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償」を要求している団体と激しく対立している[204]。
カナダの決議案では「日本政府は日本軍のための『慰安婦』の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと」と明記された[181]。カナダで対日謝罪決議を推進したのは野党の新民主党の中国系女性議員オリビア・チョウ(鄒至蕙)で[181]、またカナダには世界抗日戦争史実維護連合会の支部カナダALPHA(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)がロビー活動を持続的に行なっており2005年にはカナダの教科書に南京事件がユダヤのホロコーストに並んで記載され、この対日決議案も推進した[181]。カナダでの決議採択は2007年3月27日に国際人権小委員会で賛成4票、反対3票で可決、次にカナダ下院外交委員会で5月10日に審議されたがカナダ保守党議員らが「日本への内政干渉だ」「日本はすでに謝罪している」と反対、再調査として差し戻された[181]。以降、カナダALPHAの活動は過激化し、カナダ全土の中国系住民をはじめ韓国系・日系住民を動員し、トロントALPHA、ブリティッシュコロンビアALPHAなどの組織を編成、セミナーやロビー活動を展開した[181]。
自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国(韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった)[205]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであるとの主張もある[誰によって?][205][206]。また日本に対する道徳的優位を誇示することで得られるナショナリズム的な「民族的快感」のために韓国は慰安婦問題を国際社会において利用しているとする見方もある[誰によって?][207]。
アジア女性基金の大久保昭も「1990年代の韓国では、慰安婦問題は建国以来一貫して世論の底流をなす反日ナショナリズムの象徴となり、聖化された」「挺体協は90年代韓国のヒロインだった」と述べている[208]。
韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さないまま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している[209]。ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義[210]であり、韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだとした[209]。テンプル大学のジェフリー・キングストン教授はこの本について、勇気あるこの著書は慰安婦問題への理解を深めるものであり、また日本と韓国の和解を期待させると評した[209]。
2017年11月、8月14日を「日本軍慰安婦被害者追悼の日」として国家記念日に定め、翌年に忠清南道天安市で政府主催の式典を開催し、文在寅大統領、鄭鉉栢女性家族部長官らが参加した[216]。
2011年 12月14日、韓国の民間団体韓国挺身隊問題対策協議会が慰安婦問題の抗議のためソウルの日本大使館前の歩道に慰安婦像を違法に設置した。その後、韓国内に次々と計50箇所以上設置している。
2015年12月28日の慰安婦問題日韓合意後も、ソウルの日本大使館前の慰安婦像は撤去されることはなく、翌年2016年12月28日から29日にかけて今度は釜山の日本総領事館前に合意に反対する市民団体や大学生などが慰安婦像を設置した。釜山市により一時撤去されたが[217]、2日後の30日には再び設置された[218]。2017年1月6日、日本政府は少女像の設置は日韓合意に違反しているとして、長嶺安政駐韓大使などを一時帰国させる措置をとった[219]。
旧日本軍慰慰安婦に関する石碑や像が、韓国、中国、台湾、日本、フィリピンに設置されている他、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツでは、韓国韓国系や中国系住民が多い地域を中心に、それらの団体や勢力により設置されている。特に韓国では、慰安婦問題を追及する民間団体である韓国挺身隊問題対策協議会が中心となり50体以上の慰安婦像を設置しており、ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前の慰安婦像は、日韓の外交問題に発展している。 日本では、「性奴隷」や「20万人以上の慰安婦」など事実にそぐわない碑文や像の設置に抗議している。
2012年8月14日には李明博大統領によって天皇に謝罪を求める発言が行われた(李明博による天皇謝罪要求)。
2013年1月16日、ニューヨーク州議会でトニー・アベラ上院議員らが「日本軍慰安婦は人道に対する罪で20世紀最大の人身売買」と断定し、日本に謝罪を求める決議案を提出[220]、2013年1月29日に上院で採択された[221]。
2013年5月13日に橋下徹大阪市長が「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」などと慰安婦問題について発言し、日本、韓国、アメリカなどで話題になった(橋下徹#慰安婦問題について参照)
同年5月14日、読売新聞は、朝日新聞が1992年1月に報じた、女子挺身隊制度を「慰安婦狩り」とする誤報を含む、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」との記事を発端とし、さらにその後、河野談話(謝罪)が曲解されたことで、日韓間の外交問題に発展したとする見解を示した[222]。
2015年12月28日の日本と韓国の合意について、12月29日に台湾の外交部長が記者会見し、台湾とも協議に応じるよう日本に要求した[223]。
2017年1月31日に韓国教育省が発表した国定歴史教科書最終版では、慰安婦が「集団虐殺」されたとする記述が新たに加わることになった[224]。
韓国では複数の元セックスワーカーが、韓国政府とアメリカ政府が1960年代から1980年代にかけ、アメリカ軍基地周辺における違法な売春や性的な目的での人身売買に関与していたと主張しており、謝罪と賠償を求めている[142][225]。ニューヨークタイムズの取材では、「彼女らはまた、自国の歴史に厳しい目を向けることなく日本から賠償を求めてきた歴代の韓国政府の偽善を非難している」としている[225][226]。
2000年代以降も、挺対協や韓国政府主催の世界韓民族女性ネットワークは日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各地でおこなっており[227][228][229][230][231]、日本からは民主党の岡崎トミ子議員が韓国でのデモに合流している[232]。
2005年1月17日、韓国で日韓国交正常化交渉の関連資料が公開され、その中で、1964年5月2日に経済企画院長官が「民間人保有対日財産に対する補償措置」に関して「財産請求権の補償を前提に…個別的な補償を行わない」か否かを韓国外務部長官に問い合わせ、これに対し外務部長官は「日本と請求権問題を解決することになれば…個人請求権も含まれ解決される」と答えたことが明らかになった[233]。これについて韓国政府は2005年8月、1965年に日韓で結ばれた協定で反人道的違法行為は解決されていないとの見解を示した[129]。
日本政府の調査では、慰安婦の強制連行説を裏付ける資料は見つかっていない[234]。
事実上の「強制性」があったという議論もあるが、これに対しては、論点のすり替えという批判がある(「慰安婦の強制連行」参照)。
吉見義明は、1992年以降、詐欺などを含む「“広義”の強制連行」というものも問題であると主張している[235](「広義の強制連行」については、「慰安婦の強制連行#広義の強制連行」を参照)。
インドネシアで起きたスマラン事件が、「慰安婦の強制連行」のケースに当たるかどうかで、見解が分かれている。日本政府は否定的である。詳しくは、「スマラン慰安所事件」を参照のこと。
元労務報国会徴用隊長を自称する吉田清治は1977年に出版された自著『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)で、慰安婦について「慰安婦徴用」などの表現を用い、済州島で軍や面職員などの協力を得て、「狩り出し」を行ったと記述した[236]。1982年には樺太裁判において、済州島で慰安婦の強制連行を行なったと証言[237]、続く1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版した[238]。『済州島新報』は吉田証言を否定しているとされる。
朝日新聞社は同証言に基づく報道について、後に撤回・謝罪している。
「従軍慰安婦」という言葉は戦時には存在しておらず、1963年に出版された『現代中国文学選集 第8巻』中の茅盾「香港陥落」(小野忍・丸山昇訳)に現れたのが確認できる最も古い例である。茅盾の原文では「隨軍娼妓」となっているため、小野か丸山による造語と考えられる。大衆雑誌では1971年8月23日号『週刊実話』の記事「"性戦"で"聖戦"のイケニエ、従軍慰安婦」で使用されている[239] が、書名に用いたのは千田夏光の『従軍慰安婦』(1973年)が最初である。その後、慰安婦問題が政治問題となってこの呼称は広く知られた。
“従軍”という言葉は「軍隊につき従ってともに戦地へ行くこと」を意味するが[240]、教育学者の藤岡信勝は「『従軍』という言葉は、軍属という正式な身分を示す言葉であり、軍から給与を支給されていた」から、従軍看護婦、従軍記者、従軍僧などと異なる慰安婦に使う用語ではないと主張した[241]。また、国学院大学名誉教授の大原康男も、「従軍」は「従軍看護婦」などのように軍と公的な関係を持つ人々に関わる冠辞である。慰安婦ような実体を有しない人々を指す「従軍慰安婦」なる呼称は、戦後のある時期から使われ始めた通俗的な用語であるから、公文書で用いたり学術用語として使用したりすることなど極力避けるべきであると主張している[242]。一方、千田夏光は「従軍とは軍隊に従って戦地に行くことであり、それ以上の意味もそれ以下の意味もない」と主張[243] した。その理由について従軍看護婦の主力は「日本赤十字社救護看護婦」で、給与は日本赤十字社から出されていたことや、戦後の軍人恩給の支給において一部の婦長を除き軍属ではないとして恩給対象から外されたことなどを挙げている。
他方、慰安婦問題を追及する女性団体のなかにも「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」という批判があり[244]、韓国挺身隊問題対策協議会のように「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし「日本軍慰安婦」と呼んでいるケースもある[245]。
2021年4月、日本政府は、朝日新聞が2014年に「『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤り」であって、「吉田清治氏の証言は虚偽だと判断した」こと等を発表したことを、当該報道に係る事実関係の誤りを認めたものと承知したとして、「『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招く恐れがある、単に『慰安婦』という用語を用いることが適切である」とする答弁書を決定した[246]。 しかし、2021年9月21日の産経新聞は朝刊一面で、検定修正後の中学歴史教科書において従軍慰安婦の呼称が、政府が河野談話を破棄していないことを根拠に「いわゆる従軍慰安婦」として使用を続けるものが存在することを報道した。
2021年4月27日の答弁書[6]において菅内閣は、「従軍慰安婦」という用語について「平成四年七月六日及び平成五年八月四日の二度にわたり公表された政府による慰安婦問題に関する調査において、調査対象としたその当時の公文書等の資料の中には、「慰安婦」又は「特殊慰安婦」との用語は用いられているものの、「従軍慰安婦」という用語は用いられていないことが確認されている」とした上で、河野談話において「いわゆる従軍慰安婦」という用語が用いられたことについては、「談話発表当時は、「従軍慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、談話においては、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識している」とした。
さらに、慰安婦が「軍より「強制連行」された」という見方が広く流布された原因については、吉田清治が「日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをした」という虚偽の事実を発表し、これらの虚偽の事実が大手新聞社によって「従軍慰安婦問題」として大きく報道されたところにあると考えているところ、これらの証言が虚偽であり、このような事実は存在しなかったことが後に明らかになったと承知しているとした。「このような経緯を踏まえ、政府としては、「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切であると考えており、近年、これを用いているところである。また、御指摘のように「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用していないところである」とした。
その上で「政府としては、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである」とした。
中央大学教授吉見義明は、日本軍の慰安所に日本軍が関与したとしている(詳細は「吉見義明#慰安婦問題に関する主張」参照)秦郁彦は、軍の関与については当初から研究者の間でも異論はなく、軍が関与していないと思う人の方が珍しかったろうとしている[247]。
慰安婦の総数が把握できる正確な資料が発見されていないため、軍人の総数・公娼の人数などから複数の研究者により推論されている。その数は2万~40万人と幅広く、中でも20万人説が広く流布されているが、この20万人説については根拠がないとの反論も多い。(千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説も参照)
千田夏光が1973年に発表した著書『従軍慰安婦』の中で、「挺身隊」という名のもとに慰安婦が集められたとし、総計20万人の挺身隊のうち5~7万人が慰安婦にされたとしている。これは1970年8月14日付けソウル新聞の「挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と書かれた記事の誤読ではないかとされている。
研究者名 | 発表年 | 兵総数 | パラメーター | 交代率 | 慰安婦数 |
---|---|---|---|---|---|
秦郁彦 | 1993 | 300万人 | 兵50人に1人 | 1.5 | 9万人 |
吉見義明 | 1995 | 300万人 | 兵100人に1人 | 1.5 | 4万5000人 |
兵30人に1人 | 2 | 20万人 | |||
蘇智良 | 1999 | 300万人 | 兵30人に1人 | 3.5 | 36万人 |
4 | 41万人 | ||||
秦郁彦 | 1999 | 250万人 | 兵150人に1人 | 1.5 | 2万人 |
慰安婦の民族別内訳は、日本政府の調査においては、慰安婦には日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人がいた。
日本大学教授秦郁彦は、その正確な内訳を把握することは困難であるとしており[257]、例えば『慰安婦と戦場の性』においては日本国内の遊廓などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%、朝鮮人が20%、中国人が10%程度として、慰安婦の出身者は日本人が最も多かったろうと推定したが[258]、『昭和史の謎を追う』においては日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦では3対7ないし2対8の比率で朝鮮人慰安婦が多く、慰安婦の主力は若い朝鮮人女性であったとした[259]。日本政府のアジア女性基金調査では、朝鮮人慰安婦は多かったが日本人慰安婦も多く、朝鮮人慰安婦が絶対的多数を占めるにはいたっていないとしている[255]。
韓国国定教科書では朝鮮女性数十万人を慰安婦にし、650万人を強制連行したと記載している[267][268][269]が、学術的な根拠は不明。李榮薫 ソウル大学教授は、1937年に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている[270]。
2004年までに韓国政府 女性家族部認定の元日本軍慰安婦は、既に死去した人を合わせて計207人[143]、2005年には計215人で内88人が死亡した[271]とし、2009年[272]と2011年には合計234人としている[273]。
北朝鮮は2005年4月に国連代表部金永好書記官がジュネーヴ 国連人権委員会で、朝鮮人慰安婦の総数は20万人、強制連行された人数は840万人だと主張している[267][268][269][275]。
上海師範大学「中国慰安婦問題研究中心」所長の蘇智良は1999年、荒舩清十郎発言(14万2000人説)に依拠し、慰安婦総数は36万から41万で、このうち中国人慰安婦は20万と推算[255][276]。日本政府・アジア女性基金はこの推算について、根拠が荒船発言という個人の見解に基づくものであり、誤導された推論として批判している[255]。
なお、蘇智良は1996年の計算では中国天津慰安所研究により、慰安婦総数を40万人、朝鮮人慰安婦20万人、中国人と日本人の慰安婦が各10万ずつとしていた。
国連人権委員会に採択されたマクドゥーガル報告書では慰安婦の総数を20万人以上としている。
数値の根拠には、1965年11月20日に自民党議員荒舩清十郎が選挙区の集会(秩父郡市軍恩連盟招待会)で発言した「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる」を引用しているが(マグドゥーガル報告書では「14万5000人の朝鮮人性奴隷が死んだという日本の自民党国会議員荒舩清十郎の1975年の声明」として誤った数字を記載している)[255]、アジア女性基金はこの慰安婦の数値は荒船議員が勝手にならべたものであり、これが根拠とされることは遺憾だとしている[255]。(詳しくはマクドゥーガル報告書を参照)
日本軍慰安所における慰安婦を「性奴隷」と表現する潮流がある。これについては日本弁護士連合会および日弁連海外調査特別委員の戸塚悦朗弁護士を中心に1992年頃から「慰安婦」という言葉でなく「Sex Slaves(性奴隷)」という表記の方が正しいとして国連でロビー活動を続けた結果、1993年以降、国連で浸透していったことが明らかになっており、日弁連も公式サイトでその旨を明記している[280](#国連などでの慰安婦の扱いおよび#宮澤首相による謝罪を参照)。以降、1996年のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書でも「性奴隷」と明記された。
インドネシア等で外国人収容者らから表立って問題にされ発覚し、日本軍自ら(なあなあで軽く済ましたとはいえ)処罰が行われた例もあり、秦郁彦のように、性奴隷に等しい例もあったこと自体については認める研究者は少なからず日本にも存在する。
しかし、朝鮮人女性については、奴隷狩りのように強制的に狩り集めたと証言してきた吉田清治が1996年5月に自らの証言について、関係者に迷惑をかけないため、事実を変えた部分もあることを『週刊新潮』で告白して以降[281][282]、慰安婦強制連行問題を追及してきた吉見義明も1997年には、朝鮮で官憲ないし軍による奴隷狩りを行ったとする証拠は確認されていないと発言した[283](慰安婦の強制連行参照)。もっとも、その後の今田真人らによる国会図書館等での記録調査により、従来は歴史家にもあまり知られていなかった日本軍の要請や内務省の指示による慰安婦集めが、吉田清治が証言したように、行われていたことも可能性としてはあり得ることが確認されている[284]。
中国帰還者連絡会会員の湯浅謙も1998年に季刊『中帰連』に発表した文章において、戦時中、湯浅が中国の山西省南部の陸軍病院の軍医として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なったとして、「当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし愛想もよかったので「公娼」に見えたが、植民地支配下にあって、彼女たちは抵抗することも「強制され連れて来られた」と異議を唱えることもできない状況下にあったので、「性的奴隷」であった旨を語っている[285]。
日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO「日本の戦争責任資料センター」は2007年2月の声明において「『日本軍慰安婦』制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった」「故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった」などの理由から、「公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、『日本軍慰安婦』制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった」旨を主張している[286]。2007年7月に採択されたアメリカ合衆国下院121号決議では「強制軍売春という『慰安婦制度』は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である」と主張した。
日本軍慰安婦については「慰安婦」よりも「性奴隷」と表現する方が適切であると民間人・民間団体が1990年代より主唱しはじめ[要出典]、しばしば海外政府・国連関係者[誰?]により言及されることがある。
1997年には日本で証言集『私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』が出版された。この中で元慰安婦の万愛花や金順徳、プリシラ・バルトニコ、ピラール・フリアス等がその戦時性暴力被害を訴えた[104][287]。上杉聡によれば、支援運動の中では「従軍慰安婦」の代わりに「軍隊慰安婦」「強制軍隊慰安婦」などの名称が提案されており、クマラスワミ報告の「性奴隷」の概念については継続的な強姦のケースに当てはまり、到達点としてよいが、被害者ご本人の気持ちを確かめなければいけないと述べている[288]。
このほか、民主党、社民党らは日本人慰安婦を除外したうえで「戦時性的強制被害者[289]」という名称を法案名でも使用している[55]。
慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題とするジャパンタイムズやニューヨーク・タイムズは慰安婦を「性奴隷」(sex slave)としているが[277]、ニューヨーク・タイムズはアメリカ軍相手の女性達については日本軍の慰安婦とは異なるとして「売春婦」(prostitute)と呼称している[290]。一方、アメリカ軍や韓国軍慰安婦の当時の韓国政府による公式呼称は「慰安婦」である[291][292]。
2000年の民衆法廷(模擬法廷)女性国際戦犯法廷では「日本軍性奴隷」と表現された。
インドネシアのスリ (Sri Soekanti) は、わずか9歳で「性奴隷にされた」と証言している[293]。
吉見義明の著書の英訳は「Comfort Women:Sexual Slavery in the Japanese Military During the World War II」である[294]。
アジア女性基金で東京大学教授の大久保昭は「元慰安婦が性的奴隷にさせられたのはすべて日本の軍や警察権力による強制にもとづくという、一部の学者、NGO、メディアによって1990年代初期に唱えられた主張も、歴史的事実とは懸け離れた思い込みにすぎない」と批判している[208]。
李栄薫は、韓国の運動団体などが日本の国家的責任を追及する武器にしている「性奴隷説」は、元々は日本の歴史学者が提起し、韓国の研究者や運動団体を鼓舞したと述べた。李は、これを歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説だと批判している[295]。
『産経新聞』は、アメリカ政府が2007年4月にまとめた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班 (IWG)米国議会あて最終報告」の内容について、「日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかった、としている[296]。マイケル・ヨンは「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と述べた[297]。
2015年3月、安倍晋三がワシントン・ポストのインタビューで慰安婦問題を「人身売買 (human trafficking) の犠牲」と表現したことに対し、韓国聯合ニュースは「20世紀最悪の人権蹂躙で、国際社会が『性奴隷』事件と規定する日本軍慰安婦問題の本質をぼかすための、計算された発言との指摘もある」と報じた[298][299]。
こうした性奴隷説について、韓国の評論家金完燮は2004年に「軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ」と批判した[300]。『産経新聞』は2007年5月18日記事で、米国戦争情報局心理作戦班報告には「慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる」と指摘している[301]。
李容洙は、慰安婦を「性奴隷」と表現することについて「とても汚くて嫌で仕方ない」と批判した[302]。
李容洙は、尹美香に対し「性奴隷」表現を批判した際、尹が「こう表現してこそ米国が怖がる」と答えたと述べている[302]。
世宗大学校教授の朴裕河は、2013年8月、著書『帝国の慰安婦』の中で日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけたが、ソウル東部地検により内容が「虚偽」だとされ、元慰安婦に対する名誉毀損罪で在宅起訴された[303]。
元ソウル大学教授で落星台経済研究所の李栄薫・李宇衍は、2019年7月、著書『反日種族主義』の中で、日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけている。李栄薫はYouTubeの李承晩学堂でもその内容について詳しく説明している。また、李宇衍はソウルの日本大使館前で行われている慰安婦問題の水曜デモへ直接抗議も行っている。
2012年5月に慰安婦の碑を建てたパリセイズ・パーク市に対して日本側が抗議を開始した直後に訪韓したヒラリー・クリントン国務長官は「(日本軍慰安婦制度の問題)は性奴隷の話であり、女性の権利と人道に対する罪の文脈で考えられなければならない」と内輪の席で述べたうえで、日本軍慰安婦制度は「唾棄すべきもの」で「巨大な規模の重大な人権侵犯」と語った[304]。
他方、日本軍慰安婦制度を「公娼」制度として認識する歴史学者もいる。1997年に発表した研究において歴史学者の藤目ゆきは、日本では前近代より公娼制度があったが、近代日本の公娼制度はヨーロッパの近代公娼制度をモデルとして再編成されたものと指摘したうえで[305]、
日本における従来の公娼制度と廃娼運動の研究は、一般に、近代日本の公娼制度を前近代の公娼制度からの延長線上に把握し、これを特殊日本的で前近代的な制度として認識してきた。「欧米の文明国」には公娼制度は存在しないと信じ込み、近代日本の公娼制度の存在をもっぱら日本の後進性・前近代性の表出と錯覚するのである[305]。
と指摘し、「日本にのみ公娼・慰安所があった」とする見方について批判し、各国における近代公娼制度の比較研究を展開した[306]。また、秦郁彦は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべき」と主張している[307]。このほか、山下英愛[308]、川田文子[309]、宋連玉[310]、藤永壮[311]、眞杉侑里[312]らも公娼制という概念によって研究をしている。ただし、公娼制の意味については論者によって異なるところもあり、統一見解がだされているわけではない[312]。
1994年4月28日、永野茂門法務大臣は共同通信のインタビューに応じ「慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない。」などと述べ、この発言は5月4日と5日の新聞朝刊で報道された[313]。なお、永野法務大臣は前述の発言の際、南京虐殺を否定する発言もしていたことについて責任を取り、同年5月7日に辞任している[314]。
商社員として約三年半の間、中国漢口の慰安所について見聞きして来た小野田寛郎は2005年の文章で、慰安婦制度の背景について「兵士も、やはり(女性を求める)若い人間であり、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在した」とし、「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」と述べている[315]。
その他、歴史学者の倉橋正直は2010年の著書[316]で日本軍慰安婦には「性的奴隷型」と「売春婦型」の2つのタイプがあったとして、画一的な「従軍慰安婦」解釈を批判している。また倉橋は「近代日本における公娼制は検黴制などの近代的要素と前借制、楼主への人身の隷属などの封建的要素が複合している」と書いている[317][318]。
朴裕河世宗大学』教授は自著『帝国の慰安婦』において慰安婦を「精神的な慰安者」「軍人の戦争遂行を助けた愛国女性」「自発的な売春婦」とする自身の研究結果を発表した、として元慰安婦9名からこの著書の出版停止を求めて提訴され、ソウル東部地裁は当該記述を削除しなければ、出版することを禁じる判決を下した[319][320]。しかし朴裕河本人は「自発的売春婦とは書いていない」とこれを否定し、争う姿勢を見せている[321]。
証言している慰安婦には、金学順、李容洙、姜徳景、金君子、金順徳、李玉善、鄭書云、文玉珠、黄錦周、宋神道、ジャン・ラフ・オハーン、ビクトリア・ロペス、プリシラ・バルトニコ、レメディオス・バレンシアなどおよそ80人がいる[要出典]。
韓国で初めて慰安婦であったことを名乗り出た金学順をはじめ、元慰安婦の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである[322]。慰安婦問題について日本政府を糾弾し続けてきた千田夏光も金学順の証言について、親族が業者に売却したということからすると、日本軍による強制連行であったかどうかは不明確と述べている[323]。
秦郁彦は慰安婦たちの身の上話(証言)について「検証ぬきで採用するわけにいかない」としている[324]。秦はさらに「だまして連行した朝鮮人周旋人や数年間起居を共にした慰安所の経営者についてもフルネームを陳述したケースがまったくないのは不自然きわまる」と指摘している[325][326]。
元駐日韓国大使の呉在煕は1993年1月7日に「政府の調査は徹底した証拠主義だから『一方的な証言』は認定できない」として、日本政府調査で証拠が出てこなかったことに関しても「当事者の言葉だけを信じてどうして認定するのですか。それは公的な調査をする我が政府でも同じです。日本政府が故意的に強制動員についての資料を隠しているとは思いません」と記者会見で述べた[327][328]。また、呉は「真相にはきりがなく、一定の線を引かなければならない」とも述べた[328][329]。しかし、この発言が報じられると関係団体から抗議をうけたため金泳三時期大統領から謝罪を命じられ、大使職も交代となった[330]。なお呉在煕は1992年1月の宮澤訪韓の際の韓国政府内会議でも「トップ会談では慰安婦問題を出すべきではない」と進言したが、大統領府は慰安婦問題を積極的に持ち出すことで対日貿易赤字について日本側の譲歩を引き出せると反論した[331][332]。
ほかにフェミニズム研究者の上野千鶴子は「<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという権力を、その聞き取りの現場において行使している」として聞き取り調査のあり方を批判している[333]。
小室直樹は、慰安婦問題の核心は挙証責任(証明責任)にあると指摘している[334]。刑事裁判および民事裁判において証明責任は原告(検察)側にあり、検事は合法的に被告が有罪であることを完全に証明しなくてはならない[334]。証明責任のない被告はアリバイを証明する必要もない[334]と指摘したうえで、慰安婦問題について被告は日本政府であり、原告を日本や韓国の運動団体とすれば、証明責任は運動側にあると主張した[334]。また無罪推定の原則によって、合理的な疑いを入れないまでに立証されない場合は被告人は無罪となる(「証明責任」参照)。さらに小室は国際法上、国家が「謝罪」するということは国家責任を負うことを意味し、賠償に応ずることを意味すると指摘し、首相や外相が「可哀想なひとたちだから」という理由だけでひとたび謝罪すれば挙証責任を日本が負わされることになるとして「謝罪外交」を強く批判している[334]。
中国海南島戦時性暴力被害裁判の支援団体ハイナンNET(は大学生やフリーターなど、10代から20代の若者が中国海南島戦時性暴力被害裁判の支援を行なっているネットワーク)による台湾元慰安婦の調査報告や石田米子・内田知行ら[335]によれば、最近(2004年時点)の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。ただし、石田・内田らは1990年代の元慰安婦証言の批判的検証を行なっているわけではない。
他方、「被害者の証言を疑い、歴史学者や政府がその真偽を検討して判定しようとすること自体が被害者に対する抑圧であり、認められない」という主張がある[336]。東京大学教授で国際法学者の大久保昭はそのような主張を「被害者の聖化にほかならず、実際的意義を欠く」として、「『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに偽ってそう称する人が含まれることは、人間性の現実を受け入れるかぎり否定できない」と指摘している[336]。また、「真偽の判定にあたって被害者(と主張する人)に最大の配慮をすべきことは当然だが、個人への償いは、被害者を認定するという作業を経なければならない。その際、『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに虚偽の主張者が含まれる可能性がある以上、すべての人を元慰安婦と認定することはできない。主張の真実性を認定する基準と手続きをつくらなければならない」と提言した[336]。
ソウル大学名誉教授安秉直を代表とする「挺身隊研究会」は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で1992年7月から12月にかけて慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった[337]。一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談を経てまとめられた。調査の結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった[338]。この調査報告書では強制連行は詐欺(主)を含めて大部分だとしている[339]p26p27)。調査は1993年2月に韓国で挺対協・挺身隊研究会編『証言集1 強制で連れて行かれた朝鮮人慰安婦たち』として刊行された[340]。しかし安秉直は「歴史学的に検証に堪える緻密な調査をすべきという私の考えに運動の論理が対立した」と挺対協との対立について回想し、証言集を発表してからは研究会を離れたとしている[341]。2006年、安は「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、慰安婦は「自発的」であったことを述べ、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、また共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している[342]。
評論家の池田信夫は、金らによる訴訟の目的は敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償だったとし[343]、「このときの訴状は『親に売られてキーセン(娼婦)になった』という話だったのだが、これを朝日新聞が『軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した』と誤って報じたため、1992年に宮澤首相(当時)が韓国で謝罪するはめになった」と延べている[343][344]。 池田はまた、福島瑞穂や高木健一らは原告になる元慰安婦を韓国で募集した際に金学順を見つけたとしており、福島はNHKにこの話を売り込んだ上で、NHKのスタジオに立ち会い、金学順に「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言するようせりふを教えたとしている[343]。
岡田は、同じく機関紙『明日への選択』で、宮澤首相は盧泰愚大統領との首脳会談で事実関係の調査を経ることなく慰安婦問題について謝罪したとしている[125]。
作家千田夏光は自著『従軍慰安婦』(1973年、双葉社)で、朝鮮人慰安婦に関する資料は朝鮮で「焼却されたと伝えられる」として、しかし残った資料は朝鮮総督府東京事務所にあり、敗戦後には朝鮮銀行(のちの日本債券信用銀行)の大金庫に保管されているとしている[345]。
元外交官の東郷和彦は日本での「強制連行」に関する議論に対して「必ずしも誤りでない」と理解を示しながらも[346]、2007年の安倍発言直後のカリフォルニア大学でのシンポジウムにおいて米国人女性の、米国における慰安婦問題の視点は「強制」であるかどうかなどは誰も関心がなく、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という嫌悪感にもとづくものであり、「これは非歴史的(ahistoric)な議論である。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ」という発言を紹介している[347]。東郷は日本国内の慰安婦についての議論は国内でしか通用せずガラパゴス化しており[348]、今後の日本政府の対応次第では、日韓のみならず日本と欧米間に「深刻な対立を引き起こす可能性がある」と警告した[346]。他方で慰安婦問題とホロコースト問題とを同列に扱いえないことはユダヤ・ロビー自身が最も理解できるに違いないとしたうえで日本の外交戦略としてユダヤ・ロビーとの連携を訴えた[349]。また東郷は韓国政府がアジア女性基金による補償を受けようとした元慰安婦を非国民扱いしたことを強く批判し、戦後日本の法的秩序を全壊させかねないような過剰な「法的責任の追及」は遠慮してもらいたいと述べている[349]。
歴史学者の秦郁彦は、1992年1月11日の朝日新聞では陸支密大日記を吉見義明が「発見」したとしているが、研究者の間ではこの資料は周知のものであったと指摘している[24]。
朝鮮半島の慰安婦業者は就業詐欺行為を行っていたが、警察と軍はそれを黙認し、「軍と共謀して慰安婦集めも組織した」。また警察文書に「内密に」「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運」ように指示している事から[350]、「軍と警察が共謀して慰安婦を集めているが、それがばれると困るので、業者が勝手にやっているような振りをした」のだと解釈している[351]。ゆえに慰安婦制度は、「国家による大規模な犯罪」であり、それは現在の人権の水準に照らしてそうであるだけではなく、「当時の国際法に照らしても国内法に照らしても犯罪だ」と述べている[352]。
コリア国際研究所所長 朴斗鎮は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている[211]。
韓国では慰安婦団体や韓国政府により日本の慰安婦制度に対する非難が長期間続き肯定的意見はタブー視されてきたが、最近では学者の間でも日本の慰安婦制度など反日問題に対しても日本政府の考え方を肯定的に捕らえる主張が相次いでいる。
尹明淑は、大日本帝国は朝鮮植民支配によって、朝鮮の絶対貧困化を加速させ、農民の70%が食事さえとれない状況になり、農民は極貧層に追い込まれ、慢性的な失業と低賃金、飢餓にさらされ、朝鮮人の多数が国外で彷徨い、数多くの10代の少女が家政婦、保母、接客、妓生、女工、慰安婦などに転落をせざるをえなくなったのであり、慰安婦徴募・移送に関与した朝鮮人の道知事や班長、区長、警察などの親日勢力の責任も忘れてはならないと述べた[353]。
延世大学教授の柳錫春は、2019年9月に「(慰安婦関連の)直接的な加害者は日本(政府)ではない」「(慰安婦は)売春の一種」と発言し、一部学生から非難された。大学側は同教授を講義から外し、停職1カ月の懲戒処分を下したが、柳錫春は2020年6月からYouTubeで、自身の見解の配信を始めた[354]。
宮澤内閣は1993年の「河野談話」発表以前に韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いたが、この時の元慰安婦の人選は韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が行い、証言には福島瑞穂弁護士などの立会い人が付き添った[355]。日本政府はこの証言に対する質問も、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされた[355]。
この時内閣官房副長官であった石原信雄は、当時どれだけ歴史資料を探しても「日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが」、元慰安婦は強制性があると証言するので、「総合的に判断して強制性を認めた」と語っている[356]。そのような判断に至った理由を「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」と語っている[356]。石原は、当時韓国政府は国家賠償を求めていなかったため、元慰安婦の名誉回復と日韓関係のために日本軍による強制性を認めたが、もし当時韓国側が日本政府による個人補償・国家賠償を求めていたら「通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていた」と語っており、この非公開の「聞き取り調査」における元慰安婦の証言に裏付けはなく一方的な被害証言であったことを認めている[355][356]。なお慰安婦を被告として裁判したケースはないため、偽証罪(刑法第169条)や事実認定(刑事訴訟法第317条)が法的に適用されたことはない。
平林博内閣外政審議室室長は、1997年3月12日の国会での小山孝雄参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁[357]、翌日の新聞では『産経新聞』を除き、この「裏取りもせず、非公開のものだけで強制連行を認めた」とする政府答弁について報道するメディアはなく公聴会が開かれることもなかった[358]。西岡力は金縛りにあったように「誰も、なにもいえなかった」として、これは1988年に梶山静六がアベック失踪について北朝鮮による拉致が濃厚と答弁したときの翌日に産経と日経以外のメディアが報道しなかったことと同じ構図だったと述べている[359]。
この時の証言認定が河野談話の前提ともなり、また、韓国政府はその河野談話を日本政府が強制連行を認めた証拠として提示するようになる。
なお、河野洋平は河野談話発表後、「半世紀以上も前の話だから場所とか状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」と、元慰安婦の証言の裏付けをとらずに証言は真正のものと認定している[360]。
戦後、ドイツは「人道に対する犯罪(人道に対する罪)には時効はない」と宣言した[361]。ただし、ドイツ軍(ドイツ国防軍および武装親衛隊)慰安婦への戦後補償は実施されていない[362])。ほか、日本のフェミニスト・女性学者[誰?]や、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などでは慰安婦問題を女性に対する暴力・性犯罪・強姦罪として問題にしている。
韓国系アメリカ人によるロビー活動においては近年、ホロコースト問題と日本軍慰安婦制度問題とを同列に考えようとしてユダヤ系アメリカ人との連携を進行させており、2011年12月15日にはコロンビア大学で「女性の権利」フォーラム主催のシンポジウム「人類の希望:ホロコーストと慰安婦の生存者の声」が開かれホロコーストの生存者である女性2名と、元慰安婦2名、チャールズ・ランセル下院議員、韓国系アメリカ人投票者協議会(KAVC)のドンチャン・キム会長らが参加した[363]。
他方、当時は国が売春を認める「公娼制度」があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する人権感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある[364]。政策研究大学院大学教授の北岡伸一も「21世紀の人権感覚を過去の歴史に適用するのは、いかにも乱暴」と述べている[365]。
「いわゆる従軍慰安婦問題」について、具体的に(たとえば国家による強制連行の)証拠を明示せよと指摘された「慰安婦擁護側」が、証拠を明示できない場合に、この「人道的な価値観」を持ち出すことで、無意識のうちに問題をすり替えてしまうという指摘がある[366]。また、いわゆる進歩的文化人の論法の特徴の一つに、正面切って反対しにくい事柄を振りかざし、それに少しでも異議を唱えるものに「人道の敵」「人権侵害者」とレッテルを貼り、「慰安婦がかわいそうだとは思わないのか」と居丈高に断罪するというものがある、そこには事実に基づいた冷静で客観的な議論は無理であるという指摘もある[367]。
初版(1955年)では、慰安婦について「戦地の部隊に随行、将兵を慰安した女」と解説されていたが、慰安婦問題が社会問題化すると[368]、「日中戦争、太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。(第5版)」などと変化した(詳しくは「広辞苑」を参照)。
※当時の日本軍、政府が発令した通達は本文を参照。
朝鮮での慰安婦 朝鮮半島では国家総動員法に次ぐ国民徴用令に基づいた挺身隊(女子の動員は1943年9月から)から、植民地女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当時の朝鮮では「挺身隊」を「慰安婦」と混同するデマが流布しており(韓国における「挺身隊」と「慰安婦」の混同と流言参照)、また慰安婦と称する者の証言以外には「慰安婦強制連行」の客観的証拠は見つかっておらず、朝鮮半島における命令書等の公文書は現在までに発見されていない。(「慰安婦の強制連行」参照)
東京裁判における資料
日本政府による調査
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