愛川町
神奈川県愛甲郡の町 ウィキペディアから
神奈川県愛甲郡の町 ウィキペディアから
愛川町(あいかわまち)は、神奈川県の北部に位置し、愛甲郡に属する町。
人口は約3.9万人。
町の中央を中津川が流れ、西部は丹沢山地となっている。直下には伊勢原断層が所在している。
戦前には段丘面上に広がる平地に陸軍の相模飛行場が置かれていた。相模原町の軍需工場、座間町の士官学校、綾瀬村・大和村の厚木海軍飛行場、横浜市旭区・瀬谷区の海軍倉庫施設などと隣接して軍都神奈川構想の一翼を担っていた。1966年には、この跡地に内陸工業団地が建設され、多くの工場や事業所が進出した。
愛名・愛甲・鮎川・愛川といった地名を一連のものと考えると大化の改新以前の記録がある相模国最古の地名のひとつである。戦国時代最初期、長尾景春の乱では、反乱軍の景春・豊島氏方の有力拠点であった小沢城(こさわ)が太田道灌によって攻略されている。武田信玄が小田原侵攻に関連して北条氏康と戦った三増峠の戦い(みませ)は、愛川町の三増周辺だったと考えられており、史跡三増合戦場跡が存在する。
西部の半原盆地を中心として、元来米の生産に向かない地形から養蚕、製糸・撚糸などの軽工業、宮大工などの出稼ぎ職人の本貫として知られていた。半原宮大工は江戸城修復にかかわるなど、飛騨の大工と並び、その腕を称えられていた。撚糸業では群馬県富岡の機械を模倣して水力を補助動力とした軽工業が盛んだった。内陸工業団地の完成により機械工業、住宅地域、流通拠点へと姿を変えて現在に至る。
南米などから来ている工場労働者が多いことから、義務教育においての先進的な取組みやサッカーなどの地域スポーツが盛んなことでも知られている。
愛川町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 愛川町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 愛川町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
愛川町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
東西にひょうたん形になっており、住宅、工業、商業は東部の中津地区に集中している。行政等の施設は中央の高峰地区にあり、観光資源は西部の半原地区、および北部三増地区に広がっている。
町内に鉄道路線はない。町のすぐ東側にJR東日本相模線が走っており、同線の原当麻駅・下溝駅(いずれも相模原市南区に所在)が当町付近にある。しかし相模川によって隔てられているので相模線沿線から同町への利便性がいいというわけではない。そのため本厚木駅が実質的な最寄り駅になっている。 路線バスも本厚木駅行きの本数が多いため、一般には本厚木駅を利用することが多い。
なお、同町を通る道路は混雑してバス運行での速達性や定時性に支障が生じており、鉄道の延伸が公共交通網の飛躍的な向上をもたらすとして、神奈川県と愛川町を含む県内全市町村、および経済団体などが参加する「神奈川県鉄道輸送力増強促進会議」は2007年から小田急電鉄に対し、唐木田駅 - 上溝駅間の延長に向けた協議が進められている小田急多摩線をさらに愛川町や厚木市(北部)方面に延伸するよう検討を求めている。しかし小田急は、建設費や採算性の問題から新線建設は非常に困難と回答している[2]。
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