徳島中央公園
徳島県徳島市の徳島城跡を利用した公園 ウィキペディアから
徳島県徳島市の徳島城跡を利用した公園 ウィキペディアから
徳島中央公園(とくしまちゅうおうこうえん、Tokushima Central Park)は、徳島県徳島市徳島町城内(一部南前川町)の、城山とその周辺に広がる徳島城跡を利用した公園である。1906年に開設された。
旧称・通称徳島公園。
徳島市のほぼ中心、徳島駅の北方の助任川沿いに位置する。旧徳島城の大半を敷地とするが、江戸時代の徳島城はより広く、現徳島町城内のほぼ全域を占めていた。また逆に、徳島城には含まれない助任川対岸の助任川河岸緑地も徳島中央公園の管轄である。徳島市内町小学校は、東西北3方を徳島中央公園に囲まれているものの、公園の一部ではない(ただし公園開設時はこの地は園内だった[1])。
中央を城山が占め、城山と堀川により、平地は大きく西・東・南に分かれている(開設時は西区・東区・南区と呼ばれた)。
かつての蜂須賀桜を偲ぶべく随所(特に南部のお花見広場)に桜が植えられており、花見の時期などになると多くの人で賑わう他、4月~7月頃にかけては8月の本番に向けた阿波踊りの練習が公園内の各所で行われている。城山を一周するランニング・ウォーキングコースがある。
園内各地に「徳島彫刻集団」による彫刻が野外展示され、毎年交換されている。
徳島市内町小学校には卒業時、徳島中央公園敷地内にタイムカプセルを埋める習慣がある。
徳島公園として開設したが、1977年徳島中央公園に改称した。
「徳島城址を愛する会」による「徳島城公園」または「徳島城址公園」への改名運動がある[3]。
1906年開設。本多静六と本郷高徳の設計による。彼らは日比谷公園の設計も手がけており、徳島公園は日比谷公園に次ぐ日本で2番目の西洋風公園となった[3]。当初の面積は18.5ha(現在は20ha)で、広さは日本で5指に入った[3]。
現在は公園に含まれない西の丸跡(現内町小学校)[1]と物産陳列場(現文化センター)[4]を、公園内の施設だったとしている資料もある。
なるべく、城山を中心とし東→南→西と時計回りに記載する(最後に城山)。
移転改名等して現存する施設を含む。廃止または転出順。
徳島中央公園の一部で、新町川水際公園に続く第2弾の親水公園である。「ふるさとの川モデル事業」により徳島県が護岸工事をし、徳島市が公園工事を行 った。助任川沿いには他にも中徳島河畔緑地があり、ともに「美しい日本の歩きたくなるみち500選」選定である。
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