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岡田可愛

日本の女性俳優 ウィキペディアから

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岡田 可愛(おかだ かわい、: 오카다 가와이, 1948年10月19日 - )は、日本の元女優。後にアパレル関係の仕事をしている[1]。本名・伊藤可愛。青蘭学院高等学校(現青稜高等学校)卒。

概要 おかだ かわい 岡田 可愛, 本名 ...

来歴・人物

大阪市生野区に6人兄妹の末っ子として生まれる[1]。両親とも韓国人[2]

名前は可愛いという意味ではなく「可愛」(愛される可し)、つまり多くの人に愛されるようにという意味で、父の友人である漢文の先生に名づけられた[1]

父親の事業の失敗などで小学校4年の大晦日に一家で東京・吉原へ移り住む。小学校6年の時に一番上の姉によって劇団日本児童へ入れられる(父が厳格で簡単に出掛けさせてくれなかったことから、妹の付き添いをするために外へ出たいという口実からされたことだった[1])。子役時代はオーディション合格率100パーセントだった。NHK教育テレビの生放送「マッチ売りの少女」がデビュー作。木下恵介監督作品のオーディションにも受かったが、北海道ロケで家を離れるのが嫌で断ったこともあった。1962年、中学2年の時に吉永小百合主演『キューポラのある街』(日活)で映画デビュー。本名の可愛をそのまま芸名とした。

東宝の社長シリーズに主演の森繁久彌の娘役として出演し、助監督だった松森健がテレビドラマ『青春とはなんだ』(日本テレビ)で監督デビューする際に女生徒役として推薦される。夏木陽介主演のこのドラマは大人気となり、お転婆で明るい女生徒・松井勝子を演じた岡田可愛も一躍お茶の間の人気者になる。結局、シリーズ化された青春学園シリーズに連続4作一度も休むことなく延べ132本に出演した。最後の『進め!青春』終了時には皆勤賞を貰っているが、著書『失敗なんて怖くない』によれば、実は、自立して生活していたため1回でも出演回がないと給料に響くため監督に頼み込んで無理やりシーンを作ってもらっていたという。

1969年、女子バレーボールを扱ったスポーツ根性ドラマ『サインはV』(TBS)の主役・朝丘ユミに抜擢される。この作品はあらゆる層から支持される国民的人気ドラマとなり、人気を不動のものにする。その後も数多くのテレビドラマ、映画に出演していたが、結婚して子供が生まれたのを機に女優業を休止し、子供服を中心とした婦人服のアパレル業「キッズエンジェル」についている[1]。休業中もとんねるずの番組などにゲスト出演することもあった。

現在、QVCなどで婦人用アパレルや豆乳おからクッキーなどを販売している。俳優の岡田亮輔は実の息子である。

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出演

映画

テレビドラマ

その他のテレビ番組

ラジオ

CM

オーディオ・コメンタリー

  • DVD『ニュージーランドの若大将』(2006年3月東宝発売)
藤岡琢也と一緒に出演。加山雄三松本めぐみのことから自身のデビュー時から青春学園シリーズ、『サインはV』の頃のことなども語っている。
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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

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タイアップ曲

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著書

脚注

外部リンク

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