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小学生クラス対抗30人31脚(しょうがくせいくらすたいこう30にん31きゃく)は、1996年より14年間、テレビ朝日が主催、朝日新聞と朝日小学生新聞が後援して開催された競技大会、およびその模様を放送するテレビ番組。2009年の大会をもって終了した。
30人31脚とは横一列に並んだ30人以上[注釈 1] のチームが二人三脚の要領で足を紐で結び、50メートル走のタイムを競う。その他安全にも配慮した細かいルールが策定されていた。全員がなるべく直線の列を保たないと走りが不安定になるため、熟練が必要で、かなりの練習を積む必要がある。
競技そのものは『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』の企画「小学生クラス対抗30人31脚50m走10秒切れたら100万円」から生まれたものである。全国各地から小学生のチーム同士の戦いをテレビ朝日系で年1回放送していた。大会名に「クラス対抗」とあるが、30人未満の学級が複数ある学校にも配慮し、単一学級でなくても出場することも出来た(どの学年でも可能)。
ただし、出場できるのは原則としてテレビ朝日系列(フルネット局のみで、クロスネット局である福井放送(日本テレビ系列主体)とテレビ宮崎(フジテレビ系列主体)は除く)のサービス地域の小学校に限られていた[注釈 2]。 したがって系列局はあるがクロスネット局の福井県と宮崎県、クロスネット局もない富山県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県の小学校は参加できず、特例が認められた山梨・佐賀両県と違って不平等な扱いが批判された。
基本的に放送局単位で予選を行っていたため、中京広域圏(愛知県・岐阜県・三重県)(メ〜テレ)、瀬戸内準広域圏(香川県・岡山県)(瀬戸内海放送)は広域圏内から1校が選ばれた一方、関東広域圏・山梨県(テレビ朝日)は第1 - 3回は1校選出だったが、第4回以降は東京大会(東京都)、南関東大会(神奈川県・千葉県)、北関東大会(埼玉県・茨城県・栃木県・群馬県・山梨県)に3分割して広域圏+1県内から計3校。また近畿広域圏(朝日放送)も第1 - 11回は1校選出だったが、第12回 - 第13回は北近畿大会(滋賀・京都・兵庫)、南近畿大会(大阪・奈良・和歌山) と2分割して広域圏から計2校を選出できたが、第14回は再び1校選出に戻った。
第3回以降から海外のチームを1チームないし2チームを招待し、2005年の第10回記念大会ではボビー・オロゴンが率いるナイジェリアのチームが出場、ボビーの父親が監督を務めた。2001年の第6回では中国のチームが海外招待チームとして初優勝を果たした。海外チームと対決して勝利した日本のチームがそのまま優勝することもあった。なお、2002年の第7回は海外招待チームの替わりに地方予選で敗れた学校の中から「作戦に創意工夫がある、30人31脚普及への貢献度、学校の統廃合」等を加味して3校が「特別推薦枠」として選ばれ、全国大会に出場した。
2001年の第6回大会から2003年の第8回大会までの間、三菱自動車工業が特別協賛していたが、2004年に同社がリコール問題を起こした影響で特別協賛を辞退(テレビ番組の提供は行われた)。その影響で、2004年の第9回大会と2005年の第10回記念大会は冠スポンサー無しで開催された。
2006年の第11回大会は、大手化学メーカーである花王のメリットが提供。2007年の第12回大会、2008年の第13回大会、2009年の第14回大会は太陽生命の特別協賛で行われた。
なお、5で割り切れる大会回数の大会は、記念大会として行われていた。
第1回と第2回は『27時間チャレンジテレビ』のメイン企画として、また独立した特別番組になった第3回までは生放送であったが第4回以降は収録として放送されていた。
全国大会本戦は11月の中旬頃に行われ、12月上旬頃のゴールデンタイムに放送されていた。さらに第5回以降は元日に新春特番として、当年度の完全ノーカット版が(第5回 - 第9回は7:00 - 10:00、第10回 - 第11回は7:30 - 10:00の放送)放送されていたが、第12回大会は2008年元日の同時間帯に歌謡特番を編成する関係で、年末特番という形で12月30日の9:00 - 11:45に、第13回大会は12月28日の7:00 - 10:00に、第14回大会は12月27日の6:00 - 9:00に放送された。
また、各地方大会の模様も各系列局別で(ローカル特番という形と、夕方のローカルニュース番組の特集枠のいずれかで)放送されたが、CS放送でも各地方大会のすべての模様も放送された。CSの放送は当初はスカイ・Aで放送されていたが、後にテレ朝チャンネルに移行された。また放送数ヶ月前に前年の放送分が再放送された。
テレビ朝日および系列各局は、2010年3月、本大会を2009年の第14回大会を最後に終了することを発表した。
終了に至った理由として、参加校の全国的減少により、当初の基本コンセプトの成立が難しくなったことと、またテレビを取り巻く経済環境の悪化により従来の大会運営が厳しくなってきたことを挙げた[1][2]。
参加校の減少については、児童数減少や少人数学級増加のほかに、改訂学習指導要領(授業時間数増加、外国語必修化)の実施前倒し、教員の時間的な余裕の減少、中学受験による塾通いの増加などにより練習時間が確保しにくくなったことも背景にある。
こうして、「30人31脚」は2009年をもって14年の歴史に幕を下ろした。
テレビ朝日よりライセンス提供を受けて、 タイ、 ベトナムにて大会及びテレビ放送が行われている。
その他、放送席ゲスト兼レポーターとしてタレント数名、アナウンサーらが出演する。特に、トーク番組には一切出演しなかったいかりや長介が出演した希少な番組でもある。初代司会者であるウッチャンナンチャンは1999年度いっぱいで『炎チャレ』が終了後も(2000年3月で終了)、引き続き2000年度まで担当していた。
出場国(及び地域)は以下の通り。
回 | 開催年 | 会場 (上の全国大会開催地を参考) | 優勝校 | 優勝タイム | 地区代表 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1996年 | 横浜アリーナ | 静岡市立服織小学校6年1組 | 9秒23 | 静岡県 | 炎チャレの100万円獲得クラスを破ったクラスが登場、一気に全国優勝へと上り詰めた。この大会のみ最初の1人がゴールするまでのタイムで測定。 |
2 | 1997年 | 代々木第一体育館 | 鹿児島市立紫原小学校6年2組 | 9秒99 | 鹿児島県 | この大会以降、最後の1人で測定。宮崎からは巨人(当時)の松井秀喜がゲスト。尚、この年にエキシビションとして初の海外大会を実現( 香港、 タイ、 オーストラリアの3チームが出場)。結果はタイのチームの圧勝に終わった。 |
3 | 1998年 | 幕張メッセ | 奈良市立左京小学校6年1組 | 9秒45 | 奈良県 | この大会から、海外勢も全国大会に本格参戦。又、この大会まで生放送と言う形で大会が実施された。 |
4 | 1999年 | 横浜アリーナ | 諫早市立喜々津東小学校 (当時西彼杵郡多良見町立) 6年2組 | 9秒35 | 長崎県 | この大会から予選タイムトライアルが新設される。 |
5 | 2000年 | 幕張メッセ | 熊本市立力合小学校6年5組 | 9秒41 | 熊本県 | 九州勢が連覇達成。この回まで大会委員長はウッチャンナンチャンが担当。 |
6 | 2001年 | さいたまスーパーアリーナ | 少林鵝坡(がは)武術専修院 | 9秒22 | 中国 | 1998年に全国大会を海外勢に開放して以来、初めて海外勢が優勝。尚、準優勝(日本勢内での優勝校)は石川県の金沢市立新神田小学校6年1・2組で、決勝のタイムは9秒35。この第6回大会まで実況は松井康真アナが担当した。この回から大会委員長は加藤晴彦と優香が担当。 |
7 | 2002年 | 横浜アリーナ | 熊本市立杉上小学校 (当時下益城郡城南町立) 6年1組 | 8秒97 | 熊本県 | この年からギネス・ワールド・レコーズ認定大会に。海外勢は出場せず、第2回大会以来久々に国内チームのみの大会となった(海外勢の代わりに「特別推薦枠」が登場)。この第7回大会以降、実況は中山貴雄アナに。優勝校の杉上は準決勝で8秒94を叩き出し。決勝最速タイム。 |
8 | 2003年 | 横浜アリーナ | 鹿島郡中能登町立鳥屋小学校 (当時鳥屋町立) 6年1・2組 | 9秒24 | 石川県 | 石川県勢としては 中国に決勝で敗れた2001年以来、2回目の全国制覇 |
9 | 2004年 | 横浜アリーナ | 薩摩川内市立亀山小学校6年2組 | 9秒31 | 鹿児島県 | 鹿児島県勢としては1997年以来、2回目の全国制覇 |
10 | 2005年 | 横浜アリーナ | 石狩市立若葉小学校6年1組 | 9秒18 | 北海道 | 大会10年目にして初の北海道勢優勝(中山アナも紫の優勝旗が史上初めて津軽海峡を渡ります!と絶叫的に発言)。尚、準優勝校の愛媛・石井東も、愛媛大会で8秒80を叩き出してギネス記録を塗り替えた。第6回大会から担当して来た2代目の大会委員長(加藤晴彦・優香)はこれが最後の担当。 |
11 | 2006年 | 横浜アリーナ | 柳川市立昭代第二小学校6年1・2組 | 9秒28 | 福岡県 | この回から3代目の大会委員長として井ノ原快彦と小林麻央が担当。福岡県の学校が初優勝、九州勢としても6度目の優勝を達成。 |
12 | 2007年 | 横浜アリーナ | 八代市立八代小学校6年1組 | 9秒19 | 熊本県 | 新方式を採用して、第3回大会以来の完全トーナメント制。シード校(予選タイム上位5校)が次々と1回戦落ちする波乱がありながらも結果は5年振り3回目の熊本県制覇し、九州勢としては2年連続7回目の優勝。また沖縄県の浦城小が2年連続準優勝となった。第11回大会から担当して来た3代目の大会委員長(井ノ原快彦・小林麻央)はこれが最後の担当。 |
13 | 2008年 | 横浜アリーナ | 島原市立三会小学校 | 9秒05 | 長崎県 | この回から4代目の大会委員長として松岡修造が担当。長崎県勢1999年以来9年ぶりの全国制覇達成。九州勢としても、2006年(福岡)以来3年連続8回目の全国制覇(3連覇)を達成した。決勝戦は静岡県代表の湖西市立東小学校と長崎県代表の島原市立三会小学校の戦いとなったが、長崎県代表が第13代目の王者となった。三会小学校は初優勝。4年連続4回目の全国大会出場となった三会小学校は、予選で記録した9秒05を決勝2走目でもう一度マークし他を寄せ付けなかった。なお、この年の長崎県大会では、6年1・2組全員の57人58脚でも完走を果たしている。
また、宮城県代表の富谷町立日吉台小学校は、県予選から全国大会本番における全ての機会を、6年1・2組全員(56人57脚)で走っている。56人57脚での完走は、全国大会では史上最多人数であり、史上初である。 |
14 | 2009年 | 横浜アリーナ | 八代市立太田郷小学校 | 9秒10 | 熊本県 | 熊本県勢2007年の同市立八代小学校以来2年ぶり4回目の全国制覇達成。更に、九州勢としても2006年の福岡県柳川市立昭代第二小学校以来4年連続9回目の全国制覇(4連覇達成)。 |
回 | 放送日 | 備考 |
---|---|---|
第1回 | 1996年11月2・3日 | 生放送 |
第2回 | 1997年11月8・9日 | |
第3回 | 1998年11月15日 | |
第4回 | 1999年11月14日 | 第4回以降は収録として放送。 |
第5回 | 2000年11月12日 | ウンナンの司会はこの回で最後。 |
第6回 | 2001年12月15日 | |
第7回 | 2002年12月14日 | |
第8回 | 2003年12月13日 | |
第9回 | 2004年12月4日 | |
第10回 | 2005年12月10日 | 加藤・優香の司会はこの回で最後。 |
第11回 | 2006年12月9日 | |
第12回 | 2007年12月9日 | 「サンデーデラックス」枠で放送。井ノ原・小林の司会はこの回で最後。 |
第13回 | 2008年12月6日 | |
第14回 | 2009年12月12日 | 最後の大会。 |
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