大洗磯前神社

茨城県大洗町にある神社 ウィキペディアから

大洗磯前神社map

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は、茨城県大洗町にある神社式内社名神大社)。旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

概要 大洗磯前神社, 所在地 ...
大洗磯前神社
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拝殿
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所在地 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
位置 北緯36度18分57秒 東経140度35分14.8秒
主祭神 大己貴命
社格 式内社名神大
国幣中社
別表神社
創建 斉衡3年(856年
本殿の様式 一間社流造茅葺
例祭 8月25日(八朔祭)
地図
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大洗磯前神社
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正面鳥居
額「大洗磯前神社」は熾仁親王の書。
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神磯の鳥居
祭神の降臨地と伝わる。

概要

茨城県の東部、太平洋に面した岬の丘上に鎮座する。那珂川対岸のひたちなか市にある酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している。

中世には戦乱で荒廃し、近世になって水戸藩主の徳川光圀綱條により再興した。本殿・拝殿・随神門が茨城県・大洗町の文化財に指定されている。このほかにが洗う海岸に建てられた「神磯の鳥居[1]初日の出などで有名である。

祭神

主祭神
大国主命の別名。国造りを行うため、境内前方の岬の岩礁に降臨したとされる。
配祀神
酒列磯前神社祭神で、その分霊。大己貴命とともに国造りを行なったとされる。

国造りにおいて『古事記』『日本書紀』『風土記』などの神話では大己貴命と少彦名命の2神が併せて登場することから、当社に限らずこの2神の組み合わせで祀る神社は多い。また、当社では大己貴命を七福神大黒天とも見なしている。

歴史

創建

日本文徳天皇実録』によると、斉衡3年(856年)に常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れたとされる。

常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。

ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一ほどだった。さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。神霊は人に依って「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。

『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条

そして、大己貴命(大奈母知)が大洗に、少彦名命(少比古奈命)が酒列に祀られ、両社の創建となったと伝えられている。

概史

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「常陸国鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩明神社」と記載され、名神大社に列している。

永禄年間(1558年-1570年)には戦乱で荒廃した。近世に入り元禄3年(1690年)に水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営がなされ、3代・綱條の代で現在の本殿・拝殿・随神門が完成した。

明治18年(1885年)、近代社格制度において国幣中社に列した。現在では公称を「大洗磯前神社」としている。

神階

境内

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本殿(県指定文化財)

社殿は元禄3年(1690年)に水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営の起工がなされ、3代・綱條の代で本殿・拝殿・随神門が完成した。

本殿は一間社流造茅葺享保15年(1730年)に現在地に遷座した。茨城県の文化財に指定されている[2]

拝殿は桁行5間、梁間2間で向拝1間付きの入母屋造で茨城県の文化財、随神門は大洗町の文化財にそれぞれ指定されている。

そのほか、軽巡洋艦「那珂」忠魂碑がある。

摂末社

二の鳥居そばに鎮座。御霊信仰の神社で、不運の死をとげた小幡宥円の祟りをおさめるために祀られた。
  • 烏帽子厳社 - 祭神:烏帽子厳神
駐車場にある「烏帽子岩」と呼ばれる岩石の神霊を祀る。

祭事

文化財

茨城県指定有形文化財

大洗町指定有形文化財

  • 随神門

現地情報

所在地
付属施設
  • 大洗海洋博物館
交通アクセス
周辺

脚注・出典

関連図書

関連項目

外部リンク

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